キリスト教会の暦では、キリストの復活を記念するイ−スタの前の1週間を受難週と呼びます。キリストは金曜日の朝9時にカルバリの丘と呼ばれる公開死刑場で十字架に両手両足を釘づけにされ、群集の頭上に高く掲げられました。
1 十字架の祈り
その時、キリストは居合わせた人々が思わず自分の耳を疑うような、執り成しの祈りをささげました。キリストの両脇で十字架にかけられた他の2人の死刑囚たちは、神をのろい、人を恨み、悪口・悪態をついていましたから、キリストのことばは驚きであったと思います。キリストは自分を十字架につけて殺そうとしているものたちのために「父よ、彼らの罪を赦してください、彼らは自分が何をしているのかわからないほど盲目状態に陥ているのですから」と父なる神様に、愛をもって赦しを願い求められたのでした。
こんな祈りを純粋な気持ちでいったいだれが祈れるでしょう。欲とエゴと復讐心が特徴である生まれながらの罪人である人間にはとうてい出てこないことばではないでしょうか。
江戸時代、常陸の国佐倉村に惣五郎という慈悲深い名主がいました。重税に苦しむ農民のために彼は代官に年貢の軽減を直訴しました。しかし代官の怒りに触れ、一族郎党全員が見せしめのために捕らえられ、十字架にはりつけにされてしまいました。死の直前、惣五郎は無念さのあまり「この恨み、七たび生まれ変わって呪ってやる」と叫んだそうです。それが殺される側の当然といえば当然の心情だと私は思います。彼は後世、義人佐倉惣五郎と呼ばれ、彼を記念する桜祭りが今日に至るまで、毎年盛大に開かれていると聞いています。
「彼らを赦してください」と、イエスキリストは呪いではなく赦しを祈りました。人間には祈ることができない祈りができるのは、キリストが人間ではなく、愛を本質とされるまことの救い主、ただ一人の神の御子であることを私たちに教えています。
2 十字架の赦し
聖書はキリストの十字架の死の意義について教えています。キリストはご自分の罪のゆえに裁かれたのではなく、全人類のすべての罪を背負い、身代わりとなって罪の刑罰を受け、死んでくださったのだと。キリストの十字架の死は身代わりの死であり、キリストの死によって私たちの罪がことごとく赦され、キリストのいのちと引き換えに、私たちがほろびから救いへと導きいれられたのだと。
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、 私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、
あなたがたは、いやされたのです。」(1ペテロ2:24)
「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移して くださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、 すなわち罪の赦しを得ています。」(コロサイ1:13-14)
あなたは今までの人生の中で、大きな過ちや失敗、あるいは罪を無条件で赦していただいた経験がありますか。赦してもらったはずなのに、また後から思い出したように責められ非難されたという経験がないでしょうか。赦されるために幾つかの条件がつけられてしまったという経験をされたことがあるのではないでしょうか。あるいは、あなた自身が決して赦すことができない相手や出来事があるのではないでしょうか。あなたの心の中にいまだに溶けない氷のような憎しみ、恨み、怒り、復讐心がひそんでいないでしょうか。
自分がまだ赦すことができずその準備ができていないのに一方的に謝られてしまい、まだ赦せない自分自身に罪悪感を感じさせられ苦しんでしまったという経験はないでしょうか。
赦すこと赦されることはとても難しいことだと思います。完全な赦しをどこかで知ることがなければ私たちは一生、悩みもがくことになるのではないでしょうか。
私は両親が離婚をしたため、私や妹を捨てて家を出て行った母親を恨んでいました。赦すことができず、死んでしまったと言い聞かせて心の整理をせざるをえませんでした。しかしイエスキリストの十字架の愛、身代わりの死による罪の赦しを知った時、心の中の氷が解けてゆく経験をしました。母を赦す前に、母を恨んでいた自分自身がキリストによってその罪を赦されたことを知ったからです。キリストが赦されない罪などはひとつもありません。キリストの十字架のもとではどんな罪でも赦しのなかにおかれ、心の平安と解放と自由がもたらされるのです。
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:8-9)
3 十字架から流れ出る赦し
キリストの十字架の身代わりの死と赦しを信じた者の心の中には大きな変化が生まれます。変化というより、キリストがみちあふれてくださると表現したほうがふさわしいかもしれません。それは赦された者にしかわからない赦しの恵みです。そして多く赦された者は多く赦すことができるのです。
渕田美津雄さんはかつて真珠湾攻撃の攻撃隊長として一番機に載り、戦闘を指揮し、「トラトラトラ(我、真珠湾攻撃に成功せり)」と打電した日本海軍のエリ−ト将校でした。戦後、渕田さんはクリスチャンとなり日米親善の架け橋としての生涯を歩んだことでも知られています。戦後、渕田さんがアメリカの日本人捕虜収容所での処遇を調査していた時、一人の帰国した捕虜から、収容所で献身的に看護をしてくれた一人の女性についてのエピソ−ドを聞きました。実は彼女の両親は南太平洋の小さな島に宣教師として派遣されていましたが、侵攻した日本軍によってスパイの容疑を受け、切り殺されてしまいました。その悲報をアメリカで聞いた彼女は日本人を恨み憎んでいました。ところがやがて彼女のもとにご両親の最後の様子を伝える手紙が届いたそうです。手紙には、ご両親が殺される直前、日本刀を振り下ろす日本兵に向って「父よ、彼らを赦してください」と執り成しの祈りをささげていたことが記されていました。彼女は、父や母が日本人を恨んで憎んでいたのではなく、イエス様にように敵さえも愛してその罪の赦しを神に祈り求めていたことを知りました。そして自分もまた両親のように日本人を赦そう、愛そうと決心したのでした。
彼女は看護師になり自ら志願して日本兵の捕虜収容所に勤め、負傷兵や病人に誰よりも優しく献身的に看護活動をしていたのでした。
この話を聞いて、渕田さんは全く信じられなかったそうです。「鬼畜米英」と敵を憎み敵を打ち倒すことしか教育されてこなかった時代に、敵のために赦しを祈り祝福を祈るなど考えられないことでした。クリスチャンとはどんな人たちで何を信じているのか、聖書に興味がわき、東京神田の古本屋で1冊の聖書を購入し、マタイ伝から読み始めたそうです。そしてルカ23章34節まで読み進めてきた時、目が釘付けになりました。宣教師のあの祈りは、キリストが十字架の上で祈られた祈りであったことを知ったからです。
渕田さんはこのときからキリストにとらえられました。熱心に信仰を求め、キリストを受け入れクリスチャンとなりました。家族が真珠湾攻撃の隊長であったものがアメリカに行くことはあまりに危険な行為だと反対する中、アメリカにわたり、伝道活動をされ、戦後の日米友好の架け橋となられました。学生時代、枚方教会の伝道集会に渕田氏が招かれ、私は直接、お話を聞く機会が2度あり、ご自宅も訪問させていただくことができました。渕田さんは「私の青春時代は天皇陛下がすべてのすべてであったが、キリストを信じてからはキリストがすべてのすべてとなった。いのちをかけて仕えてきた。」と話してくださったことを今でも鮮明に記憶しています。
キリストの十字架のもとからは愛と赦しが流れ出て、うるおしてゆきます。憎しみは赦しに、怒りは平安に、復讐は愛の奉仕に、対立は和解に変えられてゆきます。キリストの十字架のもとには真実な愛、永遠の愛があふれているからです。
あなたもイエスキリストのもとにきて、十字架の血による罪の赦しをいただきませんか。キリストの十字架の愛に生かされる新しい人生を歩み出されませんか。
「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、
すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」 (エペソ1:7)
2008年3月21日(受難日)
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