第9回  ビア・ドロロ−サ  悲しみの道



2000年3月30日、私たちは「十字架の道」を歩きました。ロ−マ総督であったピラトの官邸から、カリバリの丘(現在は聖墳墓教会が取り囲んでいる)にいたるまでの約1000mの石畳の道は、ラテン語で「ビア・ドロロ−サ」と呼ばれています。神の御子イエスキリストが十字架を背負ってカルバリの死刑場まで歩まれた道であり、刑場に引き立てられて行くイエス様の姿を道沿いで見つめる母マリアを初め、多くの弟子たちの心の悲しみを言い表した名前です。

曲がりくねった狭い道の両側には観光客相手の土産物店が所狭しと立ち並び、ものすごい人混みに圧倒されそうでした。主の十字架の苦しみを深く思いめぐらすながら静かに道をたどるという雰囲気ではありませんでした。とにかく道に迷ったなら出て来ることができないほど路地が入り組んだ通りです。

ガイドのスティ−ブン・栄子先生は、「ここはイエス様のお苦しみを思い巡らすというより、私たちの罪が赦されたことを喜びをもって歩く道なのです」と、この巡礼の道の歩き方を教えてくださいました。特に巡礼の道ですから、写真をとることに熱中したり、お土産屋を覗いたりしないようにと心ぞなえを丁寧に語ってくださいました。イスラエル旅行の最大のハイライトは、多くのクリスチャンにとってやはりこの「悲しみの道」をたどることではないでしょうか。もし、もう一度ここを訪ねる機会が与えられたなら、ぜひ早朝にこの道を静かに歩きたいと思っています。

イエス様が死刑を宣告されたピラトの官邸のあった場所から、十字架で処刑され埋葬された場所に至るまで、ステ−ションと呼ばれる14のポイントがあります。それぞれが聖書に記されているイエス様の出来事を記念している場所であり、巡礼者たちはこのひとつひとつの場所で関係する聖書箇所を朗読し、讃美を歌い、祈りをささげます。それぞれのステ−ションには、教会堂や修道院が建てられています。毎週金曜日の午後3時には、十字架をかついで行進するカトリック教会の「十字架の道行き」の行列が、第1ステ−ションを起点にして行われます。

第1ステ−ションは、「ピラトの官邸」
第2ステ−ションは、「鞭打ちの教会と宣告の聖堂」
第3ステ−ションは、「イエス様が十字架の重荷に最初に倒れた場所」
第4ステ−ションは、「苦難の母マリアの教会」
第5ステ−ションは、「クレネ人シモンが身代わりに十字架を背負った場所」
第6ステ−ションは、「ベロニカという女性がイエス様をハンカチで拭いたところ、顔が布に映ったとされる場所」
第7ステ−ションは、「イエス様が2度目に倒れた場所」
第8ステ−ションは、「イエス様が嘆き悲しむエルサレムの娘たちに語りかけられた場所」
第9ステ−ションは、「イエス様が3度目に倒れた場所」
第10ステ−ションは、「処刑にされるため上着を脱がされた場所」とされています。
第11ステ−ションは、「十字架に釘づけられた場所」
第12ステ−ションは、「十字架が立てられた場所」
第13ステ−ションは、「イエス様が十字架から降ろされた場所」
第14ステ−ションは、「イエス様の遺体が埋葬された場所」

このうち、第3、第4ステ−ションが面している通りはたいへん特徴的な道です。金曜日の朝10時にはバスタ−ミナルのあるダマスコ門から「岩のド−ム」周辺で祈るためにイスラム教徒がぞくぞくと通過する道で、午後1時頃から礼拝を終えて家路に帰る人々のために路上に食料品店が立ち並びます。午後3時をすぎると今度はキリスト教徒が十字架を担いで「聖墳墓教会」を目指して行進します。アラブの店はこの頃にはすべてたたまれてしまいます。そして日没になれば、ユダヤ教の安息日が始まり、黒いフロックコ−トを着た正統派のユタ゜ヤ教徒が数多く、「嘆きの壁」の前で祈るために足早に通りすぎて行きます。ここは世界の3大宗教が交差する祈りの道でもあります。

エルサレムは紀元90年にロ−マ軍により崩壊され焼き尽くされてしまいましたので、死刑場へ続く当時の道はおそらく地下3mぐらい地下に埋もれていると言われています。この「悲しみの道のコ−ス」は、16世紀に定められました。しかしほぼ正確なコ−スであると言われています。

アメリカの宇宙飛行士で月面を直接歩いたチャ−リ−・ドュ−クは40歳を過ぎてからクリスチャンになりました。NASAを引退後、ビジネスを初めて大成功をしました。しかし心の空しさを満たすことはできずイエスキリストの救いを求めたのでした。彼は「月を人間が歩いたことよりも、イエスが地上を歩いたことのほうがはるかに意味がある」と語りました。神の御子が2000年前、人となってこの地上に来てくださり、私たち全人類の罪を解決するために十字架で身代わりとなって死なれ、私たちに罪の完全な赦しを差し出してくださった。神の愛と恵みがしるされた道、それがカルバリの丘へ通じる「悲しみの道」なのです。神の御子が歩まれた十字架の道は、全人類にとって「赦しと希望」に通じる唯一の道、永遠の道なのです。

    
  ドロロ−サ         第3ステ−ション

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