第5回 エルサレム編 − 嘆きの壁 −
嘆きの壁
3月29日、私たちはオリ−ブ山を降り、エルサレム旧市内に入り、八つの城壁の門の一つ、糞門をくぐって嘆きの壁を訪れました。危険物持ち込みを防止するチエックを受けました。12時から14時までは昼休みで入場ができないそうです。
旧市街の南東に位置する海抜740mの神殿の丘に、かつてはヘロデ大王が建てた壮麗な神殿が建っていました。 嘆きの壁とは、ロ−マのティトス将軍によって紀元70年に崩壊させられたエルサレム神殿を囲んでいた外壁のうち、残った西側部分を指します。壁の高さは21m、長さは60mあり、地下には第二神殿時代(紀元前587年にバビロンのネブカデネザル王によって破壊された後に、ペルシヤ王によって帰還命令が出され、紀元前515年に再建された神殿)の石段がまだ19段も地中に埋もれているそうです。この西側の外壁がかつての至聖所にもっとも近いところから、ユダヤ教の聖地とみなされてきました。
1967年の6日戦争でイスラエルはエルサレムを奪還し、ヨルダンの占領下にあった嘆きの壁がイスラエルに戻り、1900年にも及ぶ民族の悲願はついに達成されました。2世紀からすでにユダヤ人は「来年は過ぎ越しの祭りをエルサレムで」を挨拶代わりとするほど、エルサレムに帰る日を待望していました。この戦争で瀕死の重傷を負った兵士たちも病院ではなく、奪還した嘆きの壁に連れていってくれるように懇願し、感激の声をあげて泣いたそうです。現在でもユダヤ教徒はこの嘆きの壁前で、13歳になる男子の元服式やイスラエル軍の入隊式を行うそうです。
頭に帽子さえかぶれば嘆きの壁に誰でも自由に近づくことができます。帽子を持ってない人のためには紙で作ったおわん型の小さな帽子・キッパを無料で貸してくれます。壁の前の広場にはフェンスがあり、壁に向かって右手が女性、左手が男性の祈りの場所に分けられています。私たちはこの壁の前で20分近く自由に祈る時間を持つことができました。日本の福音宣教の祝福のために、また私をエルサレムに送り出してくださった教会の愛する兄弟姉妹たちの祝福を神様に心を込めて祈ることができました。ユダヤ人たちは祈りを書いた紙を小さく折り畳んで壁の隙間に差し入れるそうです。私も同じように祈りの課題をしるした紙切れを隙間に差し込みました。
嘆きの壁 私の祈りの椅子
手を触れると壁はひんやりとしており、第2神殿建設以来の2500年を越える歴史の深さが手のひらを通して伝わってくるようでした。夜露が壁の石を伝ってしたたるところから、泣いているように見えるので、いつしか嘆きの壁と呼ばれるようになったそうです。
嘆きの壁の前では、黒いフロックコ−トを着た正統派(イスラエル国民の約10%)のユダヤ教の男性が、壁の前でひたすら聖書を朗読し、体を揺さぶらせて祈っていました。彼らが身にまとう黒服は、神殿を失って喪に服していることを表すそうです。祖国を失ったユダヤ民族の悲嘆の歴史は、イスラエル建国を果たした今もまだ続いています。嘆きの壁は24時間開放されており、祈りの声が絶えることがないそうです。ユダヤ人のメシアがすでに世に来られたことを彼らが知り、大いなる慰めを受けることができるようにと心から祈りました。