第10回 聖墳墓教会 カルバリの丘
3月30日、私たちはカルバリの丘(聖墳墓教会)に、ついに到着しました。ビア・ドロロ−サ(悲しみの道)の終点の丘を囲むように聖墳墓教会が建てられています。
聖墳墓教会の屋根
教会堂の中は世界各地からの巡礼者たちの群で大混雑していますので、私たちは教会の裏手にある静かな場所に行き、各自が黙想の時を持ちました。主の十字架の前ではただ「恵みに感謝するしかありません」。罪人に注がれた恵みの大きさに、ただ主をあがめるしかありません。信仰はそれで十分なのです。
紀元326年にコンスタンティヌス皇帝の母ヘレナがエルサレムを巡礼し、キリストの墓と十字架の木の破片とを発見したとされる場所に、聖墳墓教会が建てられました。現在の建物は1099年に十字軍によって増改築された教会堂が、1808年の火事で大破してしまった後、再建されたものです。
聖墳墓教会の特徴は、ロ−マカトリック教会、ギリシャ正教会、アルメニア教会、コプト教会などの6宗派によって、管理する場所と礼拝時間が取り決められていることです。各宗派の修道士たちにとって、聖墳墓教会で礼拝をささげ、神に仕えることは最高の栄誉とみなされています。それゆえ、各宗派の伝統儀式が尊重され、宗教的共存がはかられています。
巡礼者や観光客がまだ来ない早朝4時、まずギリシャ正教の僧侶がキリストの墓の前を掃き清めます。無言で挨拶を交わし、続いてロ−マカトリックの僧侶が墓前のロ−ソクに火を灯し始めるそうです。教会の扉が閉じられた後の深夜に、各宗派が順番で礼拝をささげます。各宗派独自の燭台が灯されている間は、他の宗派は互いに干渉をしない決まりになっています。こうした取り決めは1852年に結ばれ、「ステ−テス・クオ」と呼ばれています。
聖墳墓教会の入り口
聖墳墓教会の内部ですが、教会の入り口にある暗い急な石階段を上ったところが、カルバリの丘の十字架が立てられた場所とされています。キリストが十字架に釘づけられた場所にはカトリック教会の祭壇が、キリストが息を引き取られた場所にはギリシャ正教会の祭壇が隣り合わせで設けられています。そしてそれぞれの祭壇では巡礼者たちが祈ったり、口づけしたり、触ったりしていました。私たちプロテスタントの信者には、イコンやキリスト像、聖人像、金銀で飾り立てられた燭台や香の壺などは、仏教寺院の装飾された祭壇や仏壇を連想させられてしまい、違和感があり、しっくりときませんでした。心の中でイメ−ジしていたカルバリの丘とはあまりにもギャップがあり、なじめませんでした。
しかしキリスト教各派が、聖墳墓教会に特別なシンパシ−を抱きながら、この聖所をどこかの1派だけが力尽くで奪い支配するのでなく、ステ−タス・クオと呼ばれる取り決めを尊重し在って、共存をはかっている姿が私にはたいへん印象深く心に残りました。このような共存的態度と知恵が、ユダヤ教とイスラム教がその主権を激しく争っているエルサレム問題へのひとつの糸口にならないものかと考えさせられます。
エルサレムは不思議な力と雰囲気を持っている都です。あたかも自分がアブラハムやモ−セや、ペテロやイエスキリストのように思えて宗教的幻覚に陥ってしまう「エルサレムシンドロ−ム」(エルサレム症候群)にかかる巡礼者が毎年200名近く発症するそうです。「宗教都市エルサレム」、ここはまさに人々の心を強く引きつけてやまない不思議な力をもった都です。
2001年3月1日