2002年8月15日 愛媛県教育委員会「つくる会の歴史教科書」を採択
愛媛県教育委員会(6人、委員長=井関和彦・大洲商工会議所会頭)は15日、来春開校する県立中高一貫教育校3校で使う歴史教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学校歴史教科書(扶桑社版)を採択した。昨年に県立の養護、ろう学校の一部で採択したのに続く決定だが、文部科学省教科書課によると、国公立の普通中学校で扶桑社版を採択したのは全国初。
扶桑社版を採択したのは、中学を併設する形で03年4月に開校する県立の中高一貫教育校の今治東(今治市)、松山西(松山市)、宇和島南(宇和島市)の3校。来春から計480人の生徒が使うことになる。
この日の委員会では、「意思決定の中立性を保つため」などとして教科書審議については非公開で実施された。終了後に記者会見した委員によると、歴史教科書では事務局が東京書籍、日本書籍など8社の採択候補リストを示し、扶桑社版を事務局案として提案。委員が全会一致で承認したという。井関委員長は「我が国の文化への理解、国民としての自覚を深める点が配慮されていて、学習指導要領に最も沿っている」と採択の理由を述べた。
昨年は採択期限1週間前の8月8日に採択。期限まで反対派の抗議活動が相次いだ。今回は7月ごろから、扶桑社版に賛成、反対の両派から県教委や委員らへの陳情・要請が続いたため、県教委は「混乱を避けたい」と採択期限の15日に委員会を開いて審議した。6委員中5人は昨年と同じメンバーだった。
扶桑社版の歴史教科書をめぐっては昨年、「自国中心史観で貫かれている」などとの批判が国内外で起きた。各地で論議となったが、一部の私立校のほか、国公立では東京都立養護学校や愛媛県立養護、ろう学校の一部が採択した。昨秋の同省の調査によると、今春から使用される扶桑社版は私立校を含めて521冊で、全国シェアは0.039%だった。
昨夏に愛媛県立養護学校の一部などが扶桑社版を採用したのは、旧文部省OBの加戸守行知事の強い意向が影響したと指摘され、訴訟も起きている。加戸知事は中高一貫校3校の教科書についても「扶桑社版が一番ふさわしい」と当初から発言していた。 (朝日新聞 8月15日)
2001年10月19日 日中関係改善 毎日新聞
小泉首相は10月8日、訪中し北京で江沢民国家主席と会談した。首相は日中戦争の発端となる事件が起きた廬溝橋を訪問し、人民抗日戦争記念館では「祈求永久和平世代友好」と書かれた花輪の前で、犠牲者の霊に祈りをささげた。首相の廬溝橋訪問は95年5月の村山富市首相以来。記者団に「戦争の悲惨さを痛感した。侵略によって犠牲になった中国の人々に対し、心からのお詫びと哀悼の気持ちを持って戦争記念館の展示を見た」と、日中戦争を侵略として加害責任を認めた上で戦争犠牲者へのお詫びと哀悼の意を表明した。中国中央テレビによれば、江主席は会談で首相の靖国神社参拝について「日中関係の悪い時は教科書、靖国参拝など歴史問題と関係している。靖国神社には軍国主義者祀られており、日本の指導者が参拝するのは両国関係に重大な損害を与える」と語り、来年の参拝を強く牽制したが、日本側は江主席の発言を公表しなかった。
2001年8月25日 教科書歴史教科書2001年 総括 小出 隆
8月15日は、来年度から使用する教科書を採択するための最終期限日であった。全国の公立中学の教科書選択が終了した。結果的に扶桑社版の「中学歴史教科書」を採択したのは、公立中学校では東京都と愛媛県の一部の聾学校、養護学校合わせて7校だけであった。私立では、5県で6校が採用したにとどまった。全体で5000冊(0.4%)をはるかに下回った。この結果に強い抗議姿勢を示していた韓国や中国政府は安堵したと伝えられている。
こどもと教科書全国ネット21の俵代表は、総括として次のようなコメントを発表した。『「つくる会」教科書がわずかな採択となったのは、市民の良識が示されたものであり、非民主的な制度でありますが、多くの採択関係者が「つくる会」の教科書は使えないと判断した結果なのです。また、圧倒的多数の私立中学校や養護学校教科書に関する道府県教育委員会が「つくる会」教科書は「ふさわしくない」と判断した結果でもあります。それだけに、東京都と愛媛県教育委員会の採択の異常性が際立ったといえます。私たちは、養護学校での採択変更などの活動に引き続き取り組むとともに、この成果と教訓に学びながら、大きく高まった教科書に対する関心をいっそう発展させ、日本の教科書制度と教科書内容を改善するための活動を具体化します。』
ちなみに、京都市内8会場で行われた教科書の展示会には昨年の170倍となる5001名が訪れた。京都府全体でも約8倍の2271名が来場したと報道されている。市民の関心の高さがこうした数字にも表れている。次期の教科書採択は4年後になる。目標に達しなかった「新しい歴史教科書をつくる会」側では、リベンジを期し、4年後の採択に目標をおいて新たな採択推進運動を進めることであろう。
今回の教科書採択では、扶桑社版の教科書の採択は、公立私立合わせて13校に過ぎなかった。しかし、一方で、ただ1社、「従軍慰安婦」について記述していた「日本書籍」の歴史教科書も採択を見送られたケ−スが多かった。ちなみに東京都では、昨年の43地区から15地区に激減したという。教科書会社もビジネスである以上、売れる教科書を作らざるをえない。ここにも現実と理想とのギャップがある。
今回の「教科書問題」は大きな関心を市民レベルにおいて喚起し、戦争に対する「歴史認識」を改めて考えさせられる結果となった。国民の多くは、侵略戦争によって同胞310万人、アジア近隣諸国2000万人の戦争犠牲者が、日本の侵略戦争によって引き起こされたことを歴史事実として認識している。その戦争責任と反省の中から戦争放棄を明言した「平和憲法」が生まれ、不戦の決意を内外に宣言したことによってアジア諸国の信頼と協調を今日まで築き上げてきたことを理解している。しかし、最近、偏狭なナショナリズムの台頭によって、そのような歴史認識が「自虐的」と呼ばれ、大東亜戦争は「欧米列強からアジアの人々を解放するための聖戦」であったという戦争肯定の歴史観が主張されるようになった。日本民族としての自覚と誇りを回復するために、新しい歴史教科書を編纂し、公教育において新しい歴史教育を推進することを政治的戦略としたのである。今回の教科書採択は、多くの国民の良識によって、扶桑社の教科書採択に歯止めがかかった。しかし、「歴史教科書問題」は4年後に再燃することが考えられる。しっかりと見守り続けることが必要である。ある中学生が、本当の日本人の誇りとは「平和憲法を守って50年以上も戦争を一度もしなかった国であることではないか」と語った。この中学生のことばこそ、戦後の平和教育が日本にもたらした最も尊い価値ではないだろうか。 以上
2001年8月13日 毎日新聞
シュティフィ−・リヒタ−・ライプチヒ大教授が中心となり、エアランゲン大学、ポ−ランドとの教科書相互修正を主導したゲオルク・エッカ−ト国際教科書研究所が共同で、日本、中国、韓国の歴史学者をドイツに招き、歴史教科書の記述を相互に検討する「多国間教科書会議」を開く計画が進められている。数年後には国際会議開催もめざす。日中韓のほか、米国や台湾など第2次世界大戦の当事国、地域の歴史、教育の専門家数十人をドイツに招き、歴史についての教科書の記述の相違点や、他国に対する偏見がないかをお互いに点検。参加各国持ち回りで、多国間会議を開催しながら、3年程度をかけ、教科書の修正案をまとめる。リヒタ−教授は「欧州の経験が生かせるかは未知数だが、相互理解は深まるはず。」と話している。
2001年8月10日 毎日新聞
愛媛県教育委員会は県立の養護、ろう学校5校で「新しい歴史教科書をつくる会」主導でできた中学校の歴史教科書(扶桑社版)を採択したことを受け、県教委には9日朝から電話、メ−ル、ファックス200件以上寄せられた。県内の障害者支援団体約10団体も相次いで訪れ、採択の撤回を求めた。このうち、「障害者の自立支援センタ−」(松山市 中村久光代表)は、「障害児やその親が社会から隔離されている現実の中での強行はひきょうだ」などとする抗議文を提出した。
「こどもと教科書全国ネット21」も、次のような抗議声明文を出した。
2001年8月7日 子どもと教科書全国ネット21事務局長・俵 義文
東京都教育委員会は、本日、「つくる会」の教科書(扶桑社版)を都立養護学校(病弱・知的障害)で採用することを決めた。これは歴史に汚点を残す暴挙であり、心の底からの怒りを込めて抗議するものである。
「つくる会」歴史教科書は日本の侵略戦争を肯定・美化し、歴史を歪曲して偏狭なナショナリズムを煽る内容などが、また、公民教科書は人権を敵視し、憲法を否定する国家優先の内容などが、国の内外から批判されてきた。それだけではなく、多くの間違いを含むもので、とうてい教科書としては使用にたえられない、ふさわしくないものであることも多くの関係者によって指摘されてきた。さらに、この教科書を不採択とした多くの教育委員会が指摘しているように、「中学生にとっては文章、内容が難解」「生徒が自ら学ぶ内容ではない」「分量が多すぎる」「学習指導要領の趣旨に沿わない」という点からも多くの問題があり、教科書として使えるものではない。
養護学校で学ぶ生徒たちは、様々なハンデをかかえながら勉強している。この子どもたちに中学生にとって負担の多い難解な教科書で学ぶことを強要する都教委の決定は、教育的な観点からの判断ではなく、「つくる会」を支援するというきわめて政治的な立場だけを優先させたものだと断ぜざるを得ない。これは、教育と民主主義に対する挑戦であり、教育行政にあたるものが、教育を政治的目的のために自ら破壊する行為である。都教委は、都民はもとより全国の市民から批判・抗議を受けることは明らかであり、さらに、アジアの人々からの批判にさらされることになろう。
現在、全国では70%を超える採択地区の採択結果が判明しているが、「つくる会」教科書の採用を決めたところは一地区もない。その点からみても都教委の採択決定は異常なものだということが明らかである。東京都では、「つくる会」の熱心な賛同者である石原慎太郎知事が先頭に立ち、都教委が「つくる会」教科書を採択させるように区市町村教委に圧力をかけてきた。しかし、今日までのところ、住民の強い要請によって、「つくる会」教科書は1地区も採択されていない。都教委の決定は、こうした状況への石原都政の焦りの現れであり、今後の区市の採択への影響をねらったものと推測されるが、これによって、区市町村教委が「つくる会」教科書を採択しやすくなったなどと判断することがないように強く望むものである。私たちは、都教委の「つくる会」教科書の採択決定に強く抗議するとともに、ただちに決定を撤回することを要求する。そして、東京都民だけでなく全国の人びとに対して、都教委への抗議と決定の撤回を求める要請行動に起ちあがることを呼びかけるものである。
2001年8月8日 毎日新聞
東京都教育委員会は、ごく一部の都立養護学校向けに扶桑社の中学歴史・公民教科書を採択した。約40道府県の公立中で扶桑社の教科書の使用は見送られた。東京23区では千代田、新宿、文教区など12区が採択を終えており見送られたが、残りの11区に都教委の採択が影響を及ぼす可能性も指摘されている。都教委員長の横山洋吉氏は論議内容を説明し、「内容の評価と障害への配慮の2点が論点になった。内容については扶桑社を評価する意見が多数を占めた。病弱と精神障害者は普通の状態では健常者と変わらない。健常者にはどういう教科書がいいのかが採択の基準であった。」 と語った。石原知事が就任後、任命した教育委員は6人中5人を占めており、今回の採択について、子どもと教科書全国ネット21事務局は、「一つでも二つでも既成事実を作りたいという石原知事の狙いが反映されている」と受け止めている。
2001年7月26日 朝日新聞
栃木県下都賀地区教科書採択協議会は25日、「新しい歴史教科書をつくる会」主導による扶桑社版の中学歴史教科書の採択方針を白紙に戻し、東京書籍の教科書を改めて採用することを決めた。「つくる会」教科書の採択方針は、地区内10市町のすべてで拒否されたため、それぞれの教育委員会での審議結果が報告され、再協議がなされた結果、前回に行われた無記名投票ではなく、責任ある意志表示として挙手による採択を行った。
日本教職員組合、戸田恒美書記長は次のような談話を発表した。
「つくる会主導の歴史教科書の採択方針が決定された後、各教委が真摯な議論を行ったのは望ましい。韓国との交流事業が次々と中断されている現状を憂慮する。教委はこうした環境にも配慮し、公正で透明性のある教科書採択を確保していく義務がある。」
三上昭彦・明治大学教授(教育行政学)は、「下都賀地区の協議会の最初の決定は、各市町教委の意向を反映していなかったことになる。地方分権の趣旨から言っても再協議は望ましい動きだった。また文部科学省は、教科書採択の権限は教委にあるというが、学校や教師の専門的な意見を十分に聴き、父母・住民の要望もくみ取るという前提があっての話だ。それを重視して最初の決定がなされたとは言えない。現在の教委が教師や父母・住民から乖離し、民主主義的基盤に欠けているという問題も浮き彫りになった。」と話している。
2001年7月20日 毎日新聞
栃木県下都賀地区(栃木市、小山市、下都賀郡8町)の教科書採択協議会が扶桑社の歴史教科書を採択する方針を決めたが、小山市、藤岡町、大平町、国分寺町、都賀町の教育委員会は同教科書の不採用を全会一致で決めた。国分寺町は教育委員会で初めて審議内容も公表した。
1 隣国(韓国、中国)の理解を得られない教科書をあえて使う必要があるのか。
2 批判のある教科書は教師と生徒に不安を与える。
3 神話が意図的に多い
(教科書採択の審議内容がこのように情報開示されることは望ましいことである。国分寺町の判断はきわめて常識的なものである。地域住民が子供たちの使用する教科書に対して関心をいだき、いわくつきの教科書を採用しないように積極的に意志表示することは当然である。)
一方、「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・西尾幹二 電気通信大学名誉教授)は、各地の採択作業で公平さを損なう事態がおきていると緊急声明を出した。「特定の政治目的をもった団体が常軌を逸した抗議行動を展開し、協議会の決定を覆そうとしている」と非難。
2001年7月13日 毎日新聞
栃木県の下都賀地区(栃木県小山市下都賀郡8町)の教科書採択協議会は12日、「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学校歴史教科書(扶桑社)を採択する方針を決めた。公立小中学校の教科書を事実上決定する地区採択協議会で同教科書が採択されれば全国で始めてとなる。同地区の公立中学は30校、生徒数は1万4549人で栃木県の21%にあたる。県内では日教組に反発する保守色の強い県教職協議会に公立小中学校の教職員の約98%にあたる約1万人が加盟している。同協議会の田所徳光会長は「文部科学省の検定を通った教科書なら問題はないというのが協議会の考え方」と説明している。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館をめぐり、厚生労働省の開設準備検討会は建設理念の説明文案の中の「国策を謝り戦争への道を歩みだし真下」とする部分を変更することを決めた。説明文は客観的事実に基づいた記述にすべきである」との反対意見が出て別の文章にかえることが決まった。広島の被爆者団体が戦後50周年(1995年)終戦記念日に発表した村山富市首相談話を盛り込むように要請、厚生省が該当部分を追加したぱかりてあった。文案を変更する経緯について厳しく追及する声が挙がりそうである。
2001年7月11日 毎日新聞
韓国の金大中大統領は、歴史教科書に対する35ヶ所の再修正要求に日本が2ヶ所だけ修正すると回答したことに反発して、容認できないと表明。「ショックを禁じ得ない。日本が過去の歴史を歪曲して国民に教えることは、両国関係に全く助けならない。」「日本には国民に真実を教える義務があり、我々にはそれを要求する権利がある」と言明した。
2001年7月10日(火) 毎日新聞 夕刊
厚生労働省は広島市の平和記念公園に建設中の国立広島原爆死没者追悼平和記念館の建設理念として、「国策を誤り、戦争への道を歩みました。」など、日本の植民地支配の責任に始めて言及した95年の村山富市首相談話を盛り込む文案をまとめた。「(被爆者には)日本の植民地であった朝鮮半島の出身者、中国出身者も含まれており、その中には半強制的に徴用された人々もいました。」「(在外被爆者は)半強制的に徴用された。」などの文言を盛り込む文面がまとめられた。
韓国政府は「歪曲、美化した歴史記述を容認する一方、95年の村山首相談話と98年の韓日共同宣言を公式見解とする二重姿勢は許されない」とする声明を出した。日本の大衆文化解禁日程の見直し、日韓交流事業縮小、日本の国連安保理常任理事国入り反対などを検討中である。
一方、中国は「歴史教科書は歴史の真相を反映すべきであり、そうしてこそ若い世代に正しい歴史観をもたせ、悲劇の再演を防止できる」と非難。中国の関心は歴史教科書よりも小泉首相の靖国神社参拝にあり、韓国政府と共闘することも視野に入れている。