靖国神社参拝を巡る小泉首相の言動
靖国問題の最新情報
● 2006年 7月20日 元宮内庁長官 88年のメモ 参拝中止「私の心だ」
昭和天皇が1988年に靖国神社のA級戦犯合祀について強い不快感を示し「だから私はあれいらい参拝していない」などと語っていたメモが当時の宮内庁長官、富田朝彦氏の手帳に残されていた。間接的メモとはいえ、78年のA級戦犯合祀以降参拝しなかった理由が明らかになった。富田氏は74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまで昭和天皇との会話などを日記や手帳に納めていた。「私はあるときに、A級が合祀されその上 松岡、白取(原文のまま)までもが、 筑波は身長に対処してくれたと聞いたが」と記している。「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 安易と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心 子知らずと思っている だから 私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」(原文)
昭和天皇は松平氏が決断した合祀に不満だったことを示している。
松岡洋介元外相(東京裁判の公判中に死亡)、 白鳥敏夫元駐伊大使(終身禁固刑 収監中に死亡) 筑波藤麿 靖国神社宮司(66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受取りながら合祀しなかった 松平慶民(最後の宮内相) 松平の子(松平永芳氏 合祀した靖国神社宮司)
● 2006年 4月10日 小沢・民主党代表の靖国問題見解
小沢一郎民主党代表は就任インタ−ビュ−において、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判し、極東国際軍事裁判でのA給戦犯の合祀を間違いであると明言した。
「A級戦犯には戦争指導者としての責任がある。戦争を指導した人たちは日本国民に「生きて虜囚の辱めを受けず」と言った。国民に死を求めておいて自分たちはおめおめと捕虜になる。そんな道筋の通らないやり方は無い。しかも彼らは戦死者ではない。靖国神社に祭られる資格が無い」と言い切った。
A級戦犯の合祀が間違いであったと判断した上で、靖国神社に安置されている「霊璽簿」から彼らの氏名を削除することと解決策を指摘している。小沢代表は75年以後途絶えている天皇陛下の参拝にも言及した。
A級戦犯の合祀は1978年秋に、当時の松平永芳宮司が踏み切った。戦没者以外の合祀は例外であるが神社側は戦犯死亡者は国家に殉じいのちを落とした「昭和受難者」であり戦没者と同じ扱いであると説明をしている。
靖国神社側では「一度、神様として招いたものを簡単に人間の考えで左右するわけにはいかない。永久にありえない」(湯沢貞前宮司)と主張している。 (2006年4月11日 毎日新聞)
● 2005年 9月30日 小泉首相の靖国参拝は違憲判決
旧日本軍の軍人・軍属として戦死した台湾先住民族の遺族ら188人が首相と国、靖国神社にひとり1万円の損害賠償を求めた訴訟で大阪高裁(大谷正治裁判長)は、参拝は首相の職務行為と認定した上で「憲法の禁する宗教活動に当たる」と高等裁判所段階での初の違憲判断を下した。違憲判決は2004年4月の福岡地裁判決以来2回目である。
1 参拝は首相就任前の公約の実行してなされた。
2 首相は参拝を私的なものと明言せず公的立場での参拝を否定していない。
3 参拝の動機、目的は政治的なものである。
国が靖国神社を特別に支援し他の宗教団体と異なるとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進になると認められるとのべ、憲法20条3項の禁止する宗教的活動と結論づけた。首相がなし崩し的に靖国参拝を続けることに歯止めをかける意義ある判決といえる。横田耕一流通経済大学教授は、「首相が次に靖国神社を参拝する場合には「私人である」との立場を明確に表明しないと憲法違反となる」(毎日新聞)と指摘している。
● 2005年 3月7日 一定の宗教活動容認か
自民党新憲法起草委員会(森喜朗前首相)は3月6日、4月にまとめる新憲法草案の試案で、現憲法が定める政教分離を緩和し、社会的儀礼や習俗的行事の範囲であれば国や自治体による一定の宗教活動を認める方針を固めた。特定の宗教に偏らない「一般の宗教教育」も容認する方向である。首相の靖国神社参拝や公金からの玉ぐし料支出を新憲法で担保するのが狙いである。国家神道の反省に基づく政教分離の線引きが不透明になる可能性があり、中国など近隣諸国かや野党から批判が出そうだ。(毎日新聞 3月7日)
● 2003年1月14日 首相、3たび靖国参拝
小泉首相は、昨年に続いて14日、靖国神社を突然参拝した。一昨年は8月13日、昨年は4月21日に参拝した。日韓両国が新体制に移行しないうちにといった思惑が感じられる。田中明彦東京大東洋文化研究所教授は「北朝鮮情勢をめぐって国際的協調を必要とする日本の立場や諸外国への影響などの政治的な波紋を十分に考えたのだろうか。」と疑問を呈している。2001年は終戦記念日前の8月13日、2002年は春秋の例大祭と正月に参拝、今回は1月14日の突然の参拝と一貫性は認められない。麻生太郎政調会長は「伊勢神宮に行って靖国に行ってはいかんという理屈はない」と記者団のインタビュ−に答えた。
● 2002年4月21日 突如、小泉首相が靖国神社参拝 毎日新聞より
小泉首相は4月21日午前8時半、公用車で神社に入り、記帳簿に「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記し、県花料3万円を私費で負担した。首相は「熟慮の上、本日を選んだ。終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることは意に反するところだ。」「例大祭に合わせて参拝することにより、私の真情を率直に表すことができると考えた。」と説明。例大祭は21日の午後3時からの「清祓い」をもって始まるので、午前中の参拝は宗教儀礼と直接の関わりがないと、政教分離に予防線をはっている。新藤宗幸千葉大学教授は「例大祭初日に参拝したことのシンポル性は大きい。憲法20条違反の疑いは濃厚」と指摘している。
● 2002年8月1日 国立広島死没者 平和祈念館開館
被爆者援護法に基づき国立広島死没者追悼平和祈念館が広島市中区の平和祈念公園内に建設され開館しました。被爆者を追悼し、被爆体験を伝える資料を展示収集する初めての国立施設となります。建設理念の説明文に「誤った国策により犠牲となった多くの人々に思いをいたし」と、国の戦争責任を認める文言を明記しています。2001年7月には被爆の経緯を説明する文章に「国策を誤り戦争への道を進んだ」と記述するとした厚生労働省の原案に対し、解説準備検討会の一部メンバ−が反発しました。しかし被爆団体が「国策の誤りの表現は不可欠」と要望、2002年1月に検討委員会は「誤った国策」を説明文に入れることで最終的に合意しました。
建設理念の説明文 抜粋
「ここに、原子爆弾によって亡くなった人々を心から追悼するとともに、誤った国策により犠牲となった多くの人々に思いをいたしながら、その惨禍を二度と繰り返すことがないよう、後代に語り継ぎ、広く内外へ伝え、1日も早く核兵器のない平和な世界を築くことを誓います。」
「誤った国策により戦争への道を進んだ」との厚生省原案からは後退したものの、国立施設に「誤った国策により犠牲となった」との文言を入れたことは、戦争に対する肯定的歴史観に1つのくさびを打ち込んだものといえます。しかしながら、世界で唯一の被爆国の「ノ−モアヒロシマ」という核廃絶平和運動の拠点となるべき施設建設の場であっても、「誤った国策による戦争」という歴史認識と戦争責任を回避したこと、「誤った国策による犠牲」というあたかも「戦術ミスでおおくの戦死者を出した」かのような表現に薄められたしまったことは残念です。
さらにこの祈念館には現在日本人の名簿しか登録されていないことも恥ずかしい限りです。在日外国人の被爆者などできる限り速やかに調査し名簿をづくりに着手されることを希求します。
● 2002年8月15日 今年もやって来た「靖国の夏」
57回目の終戦記念日、日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が天皇、皇后をはじめ遺族約5000人を含む6000人が参列し、約310万人に上った戦没者の追悼と平和祈願がささげられた。小泉首相は、「先の大戦において、わが国は多くの国々とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表してここに深い反省の念を新たにし、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します」と昨年同様、戦争責任に言及しました。さらに「不戦の誓いを堅持する」と決意を示しました。
今年も8月15日に、東京九段の靖国神社には5閣僚(片山虎之助総務相 武部勤農相 平沼赳夫経済産業相
村井仁国家公安委員長 中谷元防衛庁長官)
が参拝。 石原東京都知事も参拝。午前中に自民・民主・自由・保守党議員有志で作る「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」169名が参拝。
石川県金沢市の石川護国神社には2000年8月に設置された高さ12mの石碑「大東亜聖戦大碑」に多数の人々が供花した。8月4日には「大東亜聖戦祭」が開かれ小林よしのり氏が「あの戦争は聖戦だということを次の世代に伝えたい」と述べています。市民団体は本島等・元長崎市長を迎えて全国集会を開き撤去を求めました。
● 2002年11月19日 新追悼施設に関する懇談会提言
官房長官の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(座長・今井敬新日鉄会長)は18日、戦没者を追悼し、平和を祈念する国立施設の建設などを求める提言の骨格をまとめた。施設は「追悼」と「不戦の誓い」を目的にし、無宗教とする。追悼の対象は「明治維新以後の対外戦争で亡くなった人々」として、A級戦犯や外国人を含むかどうかははっきりさせず、靖国神社の位置づけや首相参拝の是非についての判断は避けることにした。
国権の発動によって死没した人々を追悼し、不戦の誓いを新たにする」と規定される。「慰霊」の場ではなく、「戦争で亡くなった人々を追憶し、思いをめぐらせる場」として、靖国神社など宗教施設との違いが明確にされている。
追悼の対象については個人名を特定せずに、明治維新以後の対外戦争で亡くなった軍人や一般市民のほか、戦後の国連平和維持活動(PKO)に従事して犠牲となった警察官や民間人も含めることにした。
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2002年12月15日 新しい追悼施設と靖国神社 毎日新聞 「発言席」
国際基督教大学名誉教授 一瀬智司氏
一瀬教授は、「靖国神社を新追悼施設に衣替えするか、または福田官房長官の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」提案のまま、戦後の国連PKOなどで死亡した方も含めること、A級戦犯の方々は対象としないが考えられる」と語ります。A級戦犯の方々についてはサンフランシスコ条約を受諾しているので国立の施設で受け入れることは条約違反になる。靖国神社は宗教法人としての単立神社であり、A級戦犯を祀ったまま存続することに差し支えはない。ただし、「一国の首相が公式参拝するのは国立の新追悼施設に限るべきである。その理由は、国立で無宗教、かつ平和祈念が目的だからである。」と明瞭に提案されています。むろん宗教法人としての靖国神社に私人、民間人として参拝することは自由であるが、公人としては中国・韓国の批判をただ単に内政干渉として容易に考えるべきではないと指摘されている。
(小泉首相の言動 2001年5月〜8月)
●2001年5月9日 衆院本会議
「戦没者に対し、心を込めて敬意と感謝の誠をささげたい。個人として参拝するつもりだ。」
●2001年5月14日 衆院予算委員会
「よそから非難にされてなぜ中止するのか理解に苦しむ。首相として2度と戦争を起こさないという気持ちからも参 拝したい。」
●2001年7月11日 主要7党党首討論会
「国民感情として亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯も現世で刑罰を受けている。死者をそれほど選別しなけ ればならないのか。」
●2001年7月24日 読売新聞などへのインタビュ−
「参拝してからどういう改善の方法があるのかを考える。いろんな協力分野があるから冷静に対処したい。」
●2001年7月30日 参院選後
「与党三党の方々の意見を虚心坦懐に伺って、熟慮して、判断したい。日本には戦没者に哀悼を捧げる形式が あり、外国の方にも理解してもらいたい。」
●2001年7月30日 田中外相は24−25日に日中・日韓外相会談を終えて帰国後、首相と会談
「靖国神社には行かないでもらいたいと、私ははっきり申し上げました。」「個人とか何だとか使い分ける、こそくな 手段は使わないで頂きたい。」
●2001年8月2日 毎日新聞 熟慮の首相、どう対応
「参拝見送りを求める大合唱に、有言実行を旨とする首相も「熟慮する」と述べるなどここにきてやや迷いが生じ ているようだ。首相は参拝に当たり「公私の別は明言しない。昇殿して一礼方式で行う。ポケットマネ−で供花料 を支払う」という形式をとるが、97年の終戦記念日に厚相として参拝した形式と同じである。公明党は「憲法に触 れないように公用車の不使用を提案。終戦記念日をはずして参拝する案なども具申されている。
●2001年8月7日
「自民党推進派国会議員は、「小泉首相の靖国神社参拝を実現させる超党派国会議員有志の会」(保岡興治会 長)を発足させた。設立には42名が参加。作家の阿川弘之氏らが発起人となって8日に「小泉首相の靖国神社 参拝を支持する国民集会」が東京都内で開かれる。日中友好議連の林代表は「論調が分かれている。なぜこの ようなことになるのか考えてほしい。日中関係もあるし国内のこともあるが、特に中国で被害を受けた人のことを 考えてほしい。」と参拝回避を強く求めた。山崎幹事長は「靖国参拝は断行すべきであると考えているが、近隣諸 国への配慮も必要なのでTPOについては検討すべきだと再三申し上げていると、8月15日をさけるべきだという 考えを改めて示した。
●2001年8月8日 毎日新聞
「与党三党幹事長の訪中のとき、中国側は参拝が避けられない場合は次善の策として、
1 合祀されているA級戦犯を追悼する意志がないことや不戦の誓いなどを談話形式で表明してほしい。
2 8月15日の参拝を中止してほしい。
との要望を伝えたとみられる。」
●2001年8月10日 毎日新聞
9日「小泉総理の靖国神社参拝を実現させる超党派国会議員有志の会」(保岡興治会長)らは、安部晋三官房副長官と会い、首相が15日に参拝するように申入書を手渡した。申入書は「内政干渉等により首相の信条を曲げざるを得ない事態に至ることは、国民の純粋な期待に失望や傷を与える結果になりかねない」と指摘している。
野党の議員有志107人は、小泉首相の靖国神社参拝に反対する集会を国会内で開いた。社民党の淵上貞雄幹事長は「侵略戦争の反省で憲法9条ができ、アジア諸国は我が国を信頼してきた。それを踏みにじる行為だ。」と批判。民主党の管直人幹事長は首相官邸に福田官房長官を訪ね「近隣諸国との信頼関係を損なう。戦没者の追悼・供養をどうどうと行うため、無宗教の戦没者国立墓苑を創設するのが適当」とする同党の見解を手渡した。
10日夜、公明党の冬柴鉄三郎幹事長は首相公邸で会談した際、「15日というのは戦前と戦後を分ける分水嶺であり、特別な日だ。15日に参拝ならこれ以上あなたの内閣には協力できない」と迫り、離脱する意向を伝えた。首相は「え−っ」と驚き黙り込んだという。
●2001年8月13日
小泉首相 13日午後4時半に靖国神社参拝
小泉首相は13日午後4時半すぎ、モ−ニング姿で靖国神社を訪れ、参集所で「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳した後、手を清め、本殿に上がり、一礼して参拝した。現職首相として平成8年7月の橋本龍太郎首相以来、5年ぶりに靖国神社に参拝した。憲法の政教分離に抵触しないように、神道形式の「2礼2柏手1礼」方式はとらず、玉串奉呈もせず、ポケットマネ−で献花料を支出した。さらに「公的か私的かに私はこだわらない。首相小泉純一郎が心をこめて参拝した。」と述べた。
終戦記念日の8月15日に参拝する意向を明言していたが、中国韓国は靖国神社にA級戦犯が合祀されているのを理由に反発を強め、政府与党内部からも中止や日程の変更を求める意見が強まったため、13日に参拝した。福田官房長官は首相が参拝日程を変更した理由を、「幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して首相としての職責を果たし、諸問題の解決に当たらなければならない立場にある」と説明した。
8月15日 終戦記念日の靖国神社
21世紀最初の終戦記念日。靖国神社は例年になく、喧噪に包まれた。
「これだけ右翼も左翼も活発な8月15日は見たことがない」と広報課の談。
1 小泉首相は午前、追悼会に先立ち、千鳥が淵戦没者墓苑を訪れ、献花した。
2 土井たか子社民党党首は、千鳥が淵の国立戦没者墓苑で献花後、新しい国立墓地の設立構想について「すでにある国立墓苑を大事にすることが先決問題ではないか。」と述べ、墓苑の整備拡張を優先すべきだととの考えを示した。千鳥が淵墓苑の現状について「十分に国が意を尽くしているとは言えない。粗末だ。」と指摘。
3 小泉内閣5閣僚が午前中参拝。武部勤農相(一般拝殿で参拝、記帳せず、玉串料出さず)、中谷元防衛庁長官(献花料2万私費 記帳は国務大臣)、村井仁国家公安委員長、平沼赳夫経済産業相、片山虎之助総務相。
4 靖国公式参拝を求める「英霊に応える会」が境内の特設テントで戦没者追悼中央国民集会を午前10時25分から開いた。1200名が参加。首相の13日参拝に対して出席者内でも賛否両論。
5 11時に「自民、民主、自由、保守各党の国会議員有志で作る「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 瓦力元防衛庁長官)のメンバ−88名が参拝。山崎拓幹事長、安部晋三官房副長官、拝殿で神道形式で参拝。橋本首相は単独で参拝。また「小泉総理の靖国神社参拝を実現させる超党派国会議員有志の会」(保岡興治会長)は、「(私人であると明言せず)内閣総理大臣として参拝したことは16年ぶりである」と評価。しかし、出席者は「中国韓国影響を受けた形で13日の参拝となった。日本の主体性が失われているのは残念」と。
6 0時半頃、石原慎太郎東京都知事が参拝。「知事、ありがとう」などのかけ声が飛び交い、熱狂はピ−クに。
7 56回目の終戦記念日に、東京都千代田区の日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。天皇、皇后を含め、遺族約5300名を含む6300名が式典に参列。小泉首相は式辞で、「我が国はアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と追悼式の式辞としては初めて「我が国」を主語にして、「明確に戦争の加害責任」を明確にした。また靖国神社参拝による影響に配慮して、近隣諸国との友好関係の維持発展を強調した。綿貫民輔衆議院議長、井上裕参議院議長、山口繁最高裁長官、戦没者代表・増矢稔さん(61)が追悼の意を述べた。
8 15日の靖国神社の参拝者は12万5000人(昨年は5万5000人)に達し、閉門時間を1時間延長し午後8時とした。一方で今後、靖国神社が終戦記念日に首相を迎え入れる可能性は遠のいたと考えられている。「あれだけ国民に支えられている人がやめたのだから、首相の参拝はもう無理」と政府高官は語る。
9 韓国・金大中大統領は「第56周年光復節」で記念演説。
「最近、日本の一部勢力によって、歴史を歪曲しようとする動きがあった。」と歴史教科書を巡る両国関係の悪化に言及。「わが民族に与えた多くの加害事実を忘れたり、無視しようとする人々と、どうしてよい友達となり、安心して未来をともに生きてゆけましょうか」と批判した。
10 喧噪の中で、靖国神社の「8月15日」は閉じた。中途半端な政治的妥協のまま、すべては来年に先延ばしされたといえよう。
小泉首相の、「8月13日、靖国参拝参拝」という政治的妥協は今後、どのような新たな議論を生むのだろうか。私の個人的な意見を述べたい。
1 靖国神社問題を複雑にしてしまっているのは「政治性」である。首相・閣僚の靖国神社参拝は、宣教分離原則に抵触する違憲行為である。外国の非難や圧力のゆえにというのではなく、、国内政治問題としてはっきりと憲法順守の立場から、参拝を取りやめるべきであると考える。
総理の靖国神社参拝そのものが「違憲」の疑いがあるとの見解が法曹界て゜は主流を占めている。8月であろうと、春や秋の大礼祭であろうと、公人として「首相や閣僚」の立場にある者たちは、靖国神社の参拝を取りやめるべきである。もし本人が毎年個人の意志として参拝しているというのであれば、退任するまでは、はっきりと「私人」の立場て゜あることを明言することである。個人が靖国神社に参拝する「信教の自由」は保証されているのだから。
2 A級戦犯分祠案は、靖国神社自身が判断するべきことであり、いかなる国家干渉をしてはならない。一宗教法人である靖国神社が誰を祀ろうと分祠しようと、靖国神社自身が自ら主体的に判断することであり、靖国神社の「信教の自由」を侵害してはならない。おそらく神道の教理から言えば、分祠は不可能であろう。
しかし、靖国神社側は戦没者を合祀するにあたり遺族の承諾を必要とするのは当然である。靖国に祀ってもらうか拒否するか、それは遺族の「信教の自由」に基づいた正当な権利である。勝手に合祀しておいて分祠はできないと拒否する態度は、傲慢であり、戦前の特権意識を受け継いでいることに他ならないと思う。今後、「分祠を求める」訴訟が韓国の遺族から出てくるのではないかと思う。靖国神社側が一宗教法人として内部改革を進めてゆくことが求められよう。
3 新しい国立戦没者墓地の建設が提唱されている。積極的に国立墓地の中身の議論を進めていただきたい。
しかし、ハコ物をいくら作っても、「靖国神社問題」は解決しないであろう。なによりも「歴史認識」を明確にしなければならない。国内においてもアジア近隣諸国間において共有する努力をするべきである。政府公式見解が「村山総理談話」にあるとするならば、公式見解と現実行動を一致させるべきである。国内と国外とを使い分ける2枚舌のあり方は、国民の政治不信を助長するばかりである。首相が侵略戦争の歴史認識と戦争責任・加害責任を自覚しているならば、近隣諸国からの抗議と反発が渦巻く中、靖国神社に公式参拝することが、戦後56年かかって築いてきた「信頼関係」を根底から覆す愚行であるか、わかるはずである。
2001年8月20日
● 2001年10月19日 日中関係改善 毎日新聞より
小泉首相は10月8日、訪中し北京で江沢民国家主席と会談した。首相は日中戦争の発端となる事件が起きた廬溝橋を訪問し、人民抗日戦争記念館では「祈求永久和平世代友好」と書かれた花輪の前で、犠牲者の霊に祈りをささげた。首相の廬溝橋訪問は95年5月の村山富市首相以来。記者団に「戦争の悲惨さを痛感した。侵略によって犠牲になった中国の人々に対し、心からのお詫びと哀悼の気持ちを持って戦争記念館の展示を見た」と、日中戦争を侵略として加害責任を認めた上で戦争犠牲者へのお詫びと哀悼の意を表明した。中国中央テレビによれば、江主席は会談で首相の靖国神社参拝について「日中関係の悪い時は教科書、靖国参拝など歴史問題と関係している。靖国神社には軍国主義者祀られており、日本の指導者が参拝するのは両国関係に重大な損害を与える」と語り、来年の参拝を強く牽制したが、日本側は江主席の発言を公表しなかった。