識者たちの「靖国神社公式参拝を巡る」意見
11 日本バプテスト連盟宣教研究所所長 松見 俊
私たちは国家による天皇の軍隊への「慰霊」という宗教行事を許してはなりません。それは明白に政教分離原則違反であり、また皇軍による侵略戦争という戦争責任を無視し、アジアの民衆の苦しみを逆なでする行為であるだけでなく、私たち人間の個の尊厳を傷つける行為なのです。
靖国神社は「招魂社」以来の歴史が示すように、天皇の名で死んだ者たちを「慰霊・鎮魂」する施設なのです。支配者・権力者たちに利用されて死んでいった者たちの「犬死」の恨みをつらみの口を封じてしまおうという施設なのです。その無念さを「英霊」などというちっぽけな栄誉を与えて「無化」しようとするのです。これこそ、人間の尊厳を傷つける行為でなくてなんでしょうか。そしてこんな調子で新しい戦死者が準備されてはならないのです。
2001年 NO19−20 平和を実現するキリスト者ネット
10 産経新聞 編集局次長兼政治部長 外山衆司 2001年8月14日
「熟慮の中身こそが重要である。その結果、歴史的な意味での本当の政を行う好機を自ら逃がしたのではないか。とすれば残念である。」
「首相の参拝が憲法20条の政教分離規定に抵触するという指摘は、最高裁判例などによりすでにクリアされている。与党内の反対もしくは消極の理由は、おおむね中国、韓国の反発を懸念し、近隣諸国外交の混乱を恐れたからである。」
「政権を担う小泉首相が中国韓国など近隣諸国とより深い未来志向の友好関係を望むのは当然である。だがその一方で、首相は国家と国民の精神のありようにも重大な債務を負っている。熟慮の要点はそこにあったはずだ。つまり政治の責任者として、政の比重をどちらに置くべきかである。首相の参拝は、一人の国会議員、もしくは閣僚としてのそれとは、重みも意義も当然違う。そこに政治的意味がある。これまで参拝を当然としてきた小泉首相が、首相に就任したがゆえに参拝できないという事態が改めて明確になれば、国家と国民の精神のありようにどのような影響があるのか。その影響と円滑な内政外交運営との比較考慮こそ首相は熟慮したはずだ。本来、国に身命を捧げた人々をどういう形式で祭り、どう拝するかは純粋に国家と国民の固有の問題である。しかし、中国や韓国が首相の公式参拝を強く批判するようになったこの16年間、歴代内閣はそれを外交問題と認めてきた。
小泉首相が4月の自民党総裁選や参院選で「非難があろうが15日に参拝する」と明言してきたのは、そうした悲しむべき現実を告白する政を行うためではなかったのだろうか。首相は自らの言を翻したことで、信頼という政治的財産に傷をつけるとともに、本当の政を取り戻す機会を逸し負債を抱えてしまったのではないか」
9 西尾幹二 新しい歴史教科書をつくる会会長
13日を選ぶというこそくな足して二で割る考え方で、歴史を浅はかに合理化することはできない。首相は戦略戦争を認めており、あってはならない別形式(共同墓地方式)を模索し始めていて、歴史が連続していることに自明の認識さえ持っていない。自国の歴史を語る資格はなく、内閣支持率は急落するだろう」
8 河上倫逸 京都大学教授 法思想史 2001年8月15日 毎日新聞
「13日だろうと15日だろうと参拝すれば宗教的な関わりを持つ点では同じだ。8月15日に宗教的意味はない。首相の参拝が政治問題なったのは75年の三木首相からだ。それまでも吉田茂、田中角栄氏らが例大祭で参拝しており、宗教的意味ではこちらのほうがより問題だ。解決の方向はすでに明確になっている。靖国神社は一宗教法人となった。憲法の政教分離の原則から、公人たる首相の参拝は明らかに問題がある。最高裁も愛媛玉串料訴訟の判決に見られるように、国が靖国神社に関わることを否定している。欧米諸国は国家と宗教の分離に苦闘し、国家が無宗教で戦没者を追悼するという道を見いだした。国立墓地構想には小泉首相を含め、ほとんどの政党が賛成している。早く次の段階、国立墓地の中身に関する議論に進まねばならない。」
7 大原康男 國學院大學教授 2001年8月14日
「15日に参拝するということで期待していたので残念だが、途絶えていた首相の参拝が小泉首相の強い意向で実現したのは大きい意義がある。」「参拝形式は神道形式にのっとったものではないが、16年前の中曽根元首相の参拝に比べれば、はるかに礼を尽くしていた。首相の靖国参拝を違憲だとする主張もあるが、これは津地鎮祭訴訟の最高裁判例でクリアされている。」「今後の課題として挙げていた国立墓地のような新しい参拝施設を作る必要はない。」
6 水島朝穂 早大教授 2001年8月14日
「77年の津地鎮祭訴訟の最高裁判例を引用して、公機関の宗教への関与は一定の範囲内なら合憲だというが、参拝という行為は宗教的色彩が強く、地鎮祭について出された判決の過度な一般化は慎むべきだ。これまでの判決では「公式参拝」を合憲としたものはなく、むしろ違憲ないし違憲の疑いを指摘する下級審判例が複数あることを留意すべきである。今回の参拝は違憲の疑いが強い。
慰霊とはすぐれて個人的なことで、大切なのは個人が心の安定と静寂のもとでなくなった人々をしのぶ場所と時間が確保されることだ。靖国神社は軍隊と関係の深い神社だったし、今も意識と儀式の点では連続性を保っている。その意味で千鳥が淵を中心として無宗教の国立墓地を作る考えは検討されていい。」
5 梅原猛 哲学者 国際日本文化研究センタ−顧問
毎日新聞(2001年8月11日)に、梅原氏は「首相よ靖国参拝やめよ」と題して、率直な意見を寄稿している。まずその要旨を以下に紹介したい。
「かつて中曽根内閣のとき、首相の靖国神社の公式参拝を是認すべきかどうかの懇談会が設けられ、私もこの懇談会の委員になった。そこで憲法学者の権威、芦部信喜氏は頑として靖国参拝は違憲であるという説を曲げなかったし、宗教学者の大御所、故中村元氏も私とともに敵を祀らず味方のみを祀る靖国神道は日本の伝統の宗教から逸脱しているという説を主張した。学界から出た委員はおおむね反対であったが、委員会が多数決で公式参拝を是認したのは官僚出身の委員などが多数を占めたからであった。」と懇談会の内容を紹介している。
「そしてさらに首相は「日本人の国民感情として亡くなるとすべて仏様になるる死者をそれほど選別しなきゃならないんだろうか」という。しかし、靖国神社そのものが死者を選別してるのである。靖国神社に祀られているのはただの神霊ではない。それは戦争で死んだ官軍の神霊のみである。靖国神社は明治2年、官軍の戦死者の霊3500余柱を祀った東京招魂社に始まるが、もちろん官軍の戦死者の10倍を越える白虎隊を初めとする会津の戦死者は祀られていない。また後に賊軍となった西郷隆盛なども祀られていない。そして日清、日露戦争を経て太平洋戦争にいたるが、そこに太平洋戦争の最大の犠牲者というべき沖縄戦や空襲、原爆で死んだ民間人は殆ど祀られていない。靖国神社は今でも戦争について何の反省もしていないところを見ると、その霊的は昔の超国家主義を棄ててはいないのだろう。」と、靖国神社が死者を選別している点を鋭く指摘している。
「してみると、昭和53年、ここに東条首相などの霊が合祀された時、靖国の霊たちはその霊を喜んで迎え、東条首相の霊を首霊にしたに違いない。おそらく靖国神社には今でも東条首相の「鬼畜米英一億玉砕」という甲高い絶叫が響いているのであろう。こういう神社に参って、小泉首相が「もう二度と戦争は起こしません」といえば、東条首相らの霊は「何をいってるこの臆病者めが」と一喝するに違いない。」と語り、小泉首相への提言として、「辛いであろうが、参拝をやめてほしい。やめれば首相のメンツは多少傷つくが、小泉首相の長所は何よりも率直さである。思慮が足りなかったが国のために死んだ人の霊を慰める方法を今後良く考えると祖直に語ったならば、私のように靖国神社参拝には反対していても構造改革を支持する人間は、理性を取り戻した小泉首相を以前より以上に支持するであろう。」とエ−ルを送っている。
梅原氏の意見は靖国神社のもつ歴史性、軍神を祀る特殊性がよく浮き彫りにされており、たいへん興味深い。
4 舛添要一氏 自民党参院議員
毎日新聞 2001年夏 靖国 与野党議員に聞く 8月10日
桝添氏はインタビュ−にこのように答えている。
1 何が問題ですか。 「一つは政教分離、信教の自由と国家が祭祀に参加してよいかという問題。二つ目は、戦争指導者と一般国民を分けて考える必要がある。仏様になったら指導者も国民も同じとは言えない。靖国神社は国家神道で体制側の敵は祭っていない。一宗教法人だ。憲法上の疑義はないといったらうそにならないか。陸軍で活躍した人が神社までになるのはよその宗教にない。全世界の国民は理解できない。彼らの理解に合わせてこちらを変えた方がよい。」「少なくとも植民地にされ、侵略された国の民が塗炭の苦しみを負った。特攻隊で散った人たちの悲しみと同じように、家族を殺された中国、朝鮮半島の人のことも理解すべきだ。僕は北九州出身で日本に連れて行かれた朝鮮半島の人をよく知っている。彼らには一時期選挙権もあったが、39年以降、強制連行で差別はひどくなった。そういう人たちの気持ちをおもんぱからないで、国際社会で日本は尊敬に値する地位にはなれない。」
3 神坂玲子氏 小泉首相の靖国参拝を許さない全国ネットワ−ク 共同代表
箕面忠魂碑訴訟元原告
毎日新聞 2001年8月8日 新世紀託す思い
神坂さんは、戦争中は欧米からのアジア解放を提唱する大東亜共栄圏という思想を持ち、万世一系の天皇を中心とした盟主日本が朝鮮を統治すすることの正統性を疑うことがなかった軍国少女であった。1975年に箕面市が忠魂碑を再建したとき、夫の哲さんとともに「碑への公金支出は憲法違反」として市長らに公金の返却を求める訴訟をも起こした。忠魂碑は村や町の靖国神社であり、天皇に忠義を尽くして戦死した人たちを祭り、私たちがそれに続くことを誓わされるものである。侵略戦争を聖戦と信じ込まされていた苦い経験への反省から忠魂碑反対に立ち上がったという。一審勝訴、2審は敗訴、93年に最高裁で敗訴が確定したが、政教分離を世に大きく問うことになった。「首相としての参拝なんて愛媛玉串料訴訟最高裁判決(97年愛媛県知事が県費で靖国神社に玉串料を支払うことを意見とした判決)があり、できないことは御存知のはずだ。なのに中国や韓国をはじめ国外の批判も沸騰する中で、まだ「やめる」とはおっしゃらない。靖国神社は戦死者を神として祭っている。これが天皇の神格化とともに侵略戦争の聖戦化に大きな役割を果たした。戦争における宗教利用の反省から憲法の政教分離原則が生まれた。しかも、A級戦犯が祭られているのだから、なおさら首相が参拝できるはずがない。」と反対意見を述べています。無名戦士の骨を納める国立の千鳥が淵墓苑がある。国立戦没者墓苑を建設し外国の国賓の表敬の場とする案も出ているが、神坂さんは「戦死者への表敬は戦争肯定の立場だ」と主張している。
2 瀬戸内寂聴氏 毎日新聞 2001年8月5日 時代の風 「もっと人のことばを聞きなさい」
瀬戸内さんが「ある国の首相の亡母のあの世からの独白」というユニ−クな意見を寄稿しています。一部を引用させていただきます。
「あんたはなぜ8月15日の参拝を反対されるのかわからないと言い張ってるけど、母の私だって、なぜいまあんたがこうも意固地になって靖国参拝に固執するのか全く気が知れない。何でことさら8月15日に首相としてお詣りせなあかんのか、あんたの言葉でいえば全く理解に苦しみます。今まで通り好きな時、ひとりでお詣りしとけばええのに。」
「一国の宰相とは、国民の声や諸外国の人々の声をしっかり聞き入れる能力があることが第1資格なのですよ。あんたの耳は福耳で、仏様に似てたっぷりしています。もっとよく人の言葉を聞き入れなさい。毎日耳たぶを引っぱって、仏の耳のように大きくなれ。」
瀬戸内さんの意見に私も賛成です。不退転の意志で原則を貫くことと共に国民の声やアジア諸国民の声に耳を傾け、聞き入れる、柔らかい心をもち、8月15日の公式参拝を判断していだきたいと願います。
1 小島朋之氏 慶応義塾大学教授 (読売新聞 2001年8月2日 論点から)
小島教授は「問題は参拝が国内問題にとどまらず外交問題て゜あるにも関わらず、小泉総理がもっぱら国内問題として決断したことである」と指摘している。1985年の8月15日に中曽根総理が初めて「公式参拝」の形式をとったが北京から始まった全国的な反日運動の波及を受け、中国政府が「アジア諸国民の感情を傷つける」と強く抗議したたため、秋の例大祭公式参拝を取り下げた経緯がある。教授は前例を踏襲するのであれば、参拝は中止しなければならない。前例突破をめざすのであれば、周到な準備と、一定期間の関係悪化に耐える覚悟が必要だ。と語っています。たとえば村山総理談話の「心からのお詫び」を踏まえて、参拝直後に中国や韓国の国民感情にも配慮した声明を発表したり、歴史の共同研究を呼びかけるなどを考えることができる」と提案しています。