柵原キリスト教会
日本ホーリネス教団
          創立1946年
 Eーメ-ル            
kobayashimituo○gmail.com  
○を@にしてください       
小林光生牧師個人管理ページ 
            

礼拝  日曜 朝10:30〜11:45  
祈り会 水曜 朝10:00〜11:15
    〒708-1534        
          
岡山県 久米郡美咲町藤原124−6      
      TEL/FAX:0868-62-0252
        
 
今までの礼拝中継録画です   

   2021年10月17日 礼拝 「望みの神
 (日曜朝8時より公開)

10月1日現在、岡山県がまん延防止対策が解除されました。教会での10時半からの
礼拝を感染対策をとりつつ、短いかたちで再開されました。

インターネットでの礼拝録画は上記のように継続しています。

                                         

     
 2021年イースター 

  礼拝説教「花婿を迎えに出なさい」

 聖書箇所 マタイによる福音書 25章1〜13節

  
今年は、イースターの特別な行事は出来ませんが、「イースターおめでとう!」と心より挨拶をします。
それはどんな状況の中にあっても復活の主イエスが共にいてくださるからです。

<復活の主はもう一度来られる
    10人の娘たちのたとえ>

 新約聖書の最後にあります。ヨハネの黙示録で、復活の主イエスのことをこのように紹介しています。
「今、いまし、昔いまし、やがてきたるべき方」
 そうです、復活された主イエスは、今も生きておられ、再びこられるとの約束が聖書の約束です。  
 今日の聖書箇所は、復活の主がもう一度こられるという「再臨」について、主イエスが譬えを通じて教えておられるのです。
再臨の主イエスを待つ姿が、花婿を出迎える 10 人の娘たちに譬えられています。

 花婿が花嫁を連れて、お祝いの会場に帰ってくるはずなのに、なかなか戻って来ない。そのうちに暗くなり、何と夜中になってしまったのす。
 これは、初代教会の人たちが「主イエスは自分たちが生きている間に来られるのではないか」と思っていましたが、なかなか来られないという状況と似ているのではないでしょうか。
 夜中に帰ってきた花婿を迎えるために、ともしびを準備するのです。賢い娘たちはともしびと共に油を用意してあったのですが、愚かな娘たちは、準備していなかったのです。

<再臨は、花婿を待つようなもの 喜びの訪れ>

 わたしは、小学生の低学年の時に、これが、この世の終わりのラップか?という経験したことがあります。
ある日の午後、町中にいつも聞かない、ラッパの音が響き渡ったのです。
わたしは、「ああ、イエス様が来られるときのラッパの音か?」
聖書にあるように、お父さん、お母さんはもう天に引き上げられているかもしれないと思い、家に帰りましたが、牧師の父も母もいたのです。
あとでわかったのは、その町に来た、サーカス団のラッパの響きであったのです。
 子どもの私には、主イエスがもう一度こられるというのは「こわい」という感じがあったと思います。
このような、畏れは大切なものでありますが、ここでは、花嫁を待つという「喜びの訪れ」のたとえなのです。

<どうして貸してあげないの?>

 ここで「どうして?」と思ってしまうところがあります。
ともしびは持っていたが、油を用意していなかった、5人の娘たちが、叫ぶのです。
「油をわけてください!この娘たちの悲痛ともいえることばに対して、他の5人は断るのです。
 「店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう

これは、人間には、人に分けてあけられるものとどうでないものがあるということではないでしょうか。
自分の子どもの試験のために祈ることができても、試験をかわってあげることはできません。
それと同じように、信仰は貸してもらうものではありません。
主イエスは「あなたが信じなさい」と言われているのではないでしょうか。

目をさましていなさい

 最後にこうあります。「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。」
 マタイ25章13
このたとえ話では賢い娘たちも、愚かな娘たちも眠ってしまっているのです。
私たちも寝てしまうような、弱い肉体ををもっているのです。
 では「目をさましている」とはどういうことでしょうか。

黙示録に「裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである」とあります。
 黙示録16 章15 節

「目をさましている」とは、寝ないでのではありません。そうでなくて、救いの衣を着せて頂き、準備していることなのです。そして、主イエスの約束のもとに祈り、礼拝して、主イエスのよろこびの訪れである再臨をお待ちするのです。
 

    小林光生・和子牧師 コラム     
         倉敷ホーリネスチャーチの            
      お知らせにリンクしてあります     

牧師 小林 光生(コバヤシ ミツオ Mitsuo Kobayashi)

はじめまして。2016年4月から当教会の主任牧師になりました、
小林光生です。
東京で生まれ、6歳で牧師の両親と愛知県蒲郡市に移住しました。
「キリスト坊や」とあだ名をつけられながら、死を恐れ、親の財布から
お金を盗む罪を重ねる子どもでした。ある日、父と山頂でお祈りし、
「子よ、安かれ。あなたの罪は赦された。」との聖書の言葉で救われた
のです。心に温かい炎が灯ったような思いでした。
その後、牧師となり茨城県鉾田市・東京都青梅市・蒲郡市で
奉仕し、このたび岡山にやってきました。
イエス様の素晴らしさを多くの方に伝えたいと思っています。
あなたもどうぞ、教会にいらしてください。お待ちしています。
(同じ県の倉敷ホーリネスチャートと兼任しています)

 
 小林和子
 こんにちは。牧師として遣わされてきました、小林和子です。  
私は幼い頃、暗く、泣き虫で愚図な子どもでした
でも、ほめられると有頂天になって高ぶり、人の目を意識して
頑張りすぎたり落ち込んだり。そんな自分が嫌でたまりませんでした。
そんなある日、あるお菓子メーカーのこんなメロディーが聞こえてきました 「だあれもいないと思っていても どこかでどこかで
エンジェルが〜ちゃんと眺めてる」 
 ちょうどその頃、教会に行き始め、ありのままの私を見ておられる方を知りました。
こんな汚い私の罪を赦すために身代わりとなって死んでくださった、
イエス・キリストというお方でした。その時から変えられ、口から出るのは不平と愚痴ではなく、
感謝と賛美になりました。 その後、幼稚園勤務を経て牧師となり、小林師と結婚、
3人の子どもに恵まれ今に至っています。あなたにも、神様の愛を知ってほしいと願っています。


 


車で行けます。          

  

(駐車場20台ほど            
駐められます)           


地図にリンク                       
        
       
                             
  

 自転車で行けます

  片鉄ロマン街道   
  終着点の鉄道記念公園
  から  自転車で数分 
 





ほさな新聞
(現在は発行されていません)より 親子相談 質問と答え

Q いじめの問題をクラスで話し合いました。いろんな意見が出たけれど? などなど、