ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年6月4日


2006年6月4日 主日礼拝(ペンテコステ)説教
「みなが一つ所に集まっていた」(使徒の働き2章1節-13節)

■はじめに
 今日はキリスト教会の誕生を覚えて記念する聖霊降臨日、ペンテコステの日です。教会にとって、クリスマスとイースターと、このペンテコステの3つが大切な記念日になっています。
 ペンテコステは、聖霊が主の弟子たちの上に臨んで、教会が誕生した日です。そのことを覚えながら、みことばを読んでいきましょう。

1五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

 ペンテコステとは、ギリシヤ語で50番目という意味です。ペンテコステは、過越の祭りから50日目に行われる祭ということです。過越の翌日から7週を数えたので、ユダヤでは「7週の祭」とも言われました。

■過越の祭からペンテコステ
 イエス様が十字架にかかられたのが過越の祭の時でした。過越の祭とは、ユダヤ人がエジプトの奴隷から解放されたことを記念してお祝いされるようになったものです。
 モーセがエジプトの王様に、イスラエル人をエジプトから解放するように交渉したのですが、なかなか許可されない。そこで、神様はエジプトに10の災害を下されたのです。その最後の10番目の災害が、エジプト中の初子を殺すというものでした。
 しかし、神様は、イスラエル人だけは助けようとされ、「家のかもいと門柱に子羊の血を塗れば、それを見た主の使いがその前を過ぎ越す」と約束してくださいました。不思議な命令です。彼らは神様のことばを信じてそのとおり実行しました。
 その夜、そのことばのとおり、エジプト中の初子は死に、イスラエルの子どもたちは、子羊の血を門とかもいに塗ったので助かったのであります。これを記念したのが過越の祭でした。
 イエス様はこの過越の祭の日に、十字架にかかられ、私たちを罪から救ってくださったのです。このときは、イエス様ご自身が過越の子羊となってくださったのでした。
 それから50日目、エルサレムは、ペンテコステの祭りでにぎわっていました。その日、「みなが一つ所に集まっていた」のでした。使徒の働き1:15を見ますと、「そのころ、百二十名ほどの兄弟たちが集まっていた」とあります。
 イエス様は十字架で死んで、3日目によみがえりました。そして天に帰られたイエス様の言いつけを守って、信じた者たちが集まり、祈りを共にしていました。いっしょに集まり、祈る。そうすることが、彼らにとっては、とても大切なことでありました。聖霊が臨まれるというお約束を信じて待つことが、そのとき彼らには必要なことだったのです。
 時は、2章15節にあるように朝の9時です。この時間は、神殿に出向き祈る時間でした。このとき、不思議な現象が起こったのです。

2すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

 弟子たちに、聖霊が与えられました。「炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった」のです。

■聖霊が与えられるという約束
 イエス様が十字架にかかられる前、イエス様は最後の晩餐の席で、このようにおっしゃっていました。ヨハネの福音書14:16-17です。

16わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。17その方は、真理の御霊です。」

 このお約束どおりのことが、弟子たちに起こったのでした。
 そして、もう一つは、イエス様が昇天なさる前に、このようにおっしゃっています。使徒の働き1:4?5です。

4彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。5ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」」

 それは、イエス・キリストの教えを世界に広めるために必要なことでした。使徒の働き1:18にこうあります。

8しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 このようにイエス様は、聖霊が与えられる、と約束しておられたのです。

■聖霊が与えられたしるし
 さて、聖霊が与えられたことを示す、2つのしるしがありました。
 第1のしるしは耳で聞こえる音によるしるしでした。「天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った」とあります。
 「激しい風の吹いてくるような響き」が「天から」、しかも、彼らのいた「家全体に響き渡った」とありますから、神の御霊が下ったことは、その場にいた人たちにはっきりと感じ取れるような、現象だったのでした。
 そして、もう一つのしるしは、「炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった」ことです。これは、目に見える具体的なしるしでした。
 「舌が現われて」とは、ことばを語ることを意味しています。ですから、彼らは語り出したのです。

4すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

 聖霊に満たされた弟子たちは、御霊に導かれるままに、外国のことばで話し始めました。
 この外国のことばを聞いた人々がいました。

5さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、6この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

 それは、エルサレムに来ていたユダヤ人でした。彼らは、離散のユダヤ人、「ディアスポラ」と言って、世界各地でユダヤ教に教えを守っていた敬虔な人たちでした。彼らは、過越の祭やペンテコステのために、エルサレムに帰ってきて、そこでお祝いをしたのでした。
 大きな音に驚いて集まってきた人たちは、そこで自分たちの生まれ故郷のことばで話し始めた弟子たちを見て、驚きました。

7彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。8それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。

 「みなガリラヤの人ではありませんか。」エルサレムから離れた、田舎のガリラヤの人が外国のことばを話すはずがない。これはいったいどういうことなんでしょう、というわけなのです。

9私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、10フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、11ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」

 9節から11節のの地名を見ると、彼らは、ユダヤの周り中の国からやってきていました。それに、生まれながらのユダヤ人もいましたし、異邦人からの「改宗者」たちもいました。その彼らが、「自分たちの国のことばで神の大きなみわざを語る」のを聞いたのです。
 彼らは、自分たちが住んでいた、その国のことばで神様の大きなみわざを、十字架によるイエス様の救いを聞くことができたのでした。自分のふるさとのことばで、母国語で神様の福音を聞くことができた。それだけでも、彼らは神様の恵みを感じたことでしょう。
 ウィクリフ聖書翻訳協会という宣教団体があります。まだ自分の部族のことばに訳された聖書を持っていない人々のところに行って、ことばを作ったり、教えたりしながら、聖書を翻訳していくのです。それは10年、20年、30年とかかる、大変な忍耐のいる働きです。それは宣教師たちの、福音をまだ聞いたことにない人たちに母国語で福音伝えたい、母国語で福音を聞く恵みを与えたいという思いから生まれた団体です。
 杉並教会に小栗宏子先生という方がおられますが、先生はインドネシアの一つの村イシワラで1973年からその仕事を始め、昨年、30年かかって新約聖書全巻を翻訳し終わったのであります。

■聖霊が与えた力
 聖霊が与えられるというお約束はこうでした。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」この約束が、この日に実現したのです。
 主の復活の証人として、ことばと民族の壁を越え、すべての人々に福音を伝えていくことができる、そのような力が与えられたのです。
 しかし、このような出来事の中、人々は「驚き惑って」、「いったいこれはどうしたことか」と言い、また「甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける人たちもいたのでした。
 そしてこのあと、ペテロが立ち上がって、「この人たちは酔っているのではありません」と、声を張り上げて人々に言い、話を始めるわけですが、ペテロの説教の中心は32、33節です。

32神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。33ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」

 それを聞いた人々は心を刺されました。ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と聞きました。そこでペテロが答えます。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」ペテロのことばを受け入れた人々は、バプテスマを受けました。その日、三千人ほどが弟子に加えられたのです。
 これが、2000年前の今日、ペンテコステの日に起こった出来事なのです。起こった出来事は不思議な出来事でありましたが、その目的は、「イエス・キリストの証人」として、イエスの弟子たちを地の果てにまで遣わすためでした。
 このとき救われた弟子たちは、「使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた」(42節)とあります。聖霊が弟子たちに臨まれて、教会が始まったのでした。

■まとめ
 聖霊のお働きによって何が起こるのでしょうか。
 第1に人を変えてくださるということです。ペテロを見てください。ペテロは、イエス様が捕まえられた時、3度も「私はイエス・キリストなど知らない」、「あの人とは何の関係もない」と言い張った人でした。
 そして、今、ペテロは聖霊によって変えられ、人々の前で大胆に証しをするまでになったのでした。ペテロは遠くローマまで出かけて行って、イエス様の復活の証人として働きました。ペテロはそのために捕まり、殺され、殉教しました。ペテロだけではありません。そこにいた弟子たちが、みな変えられたのです。
 2番目に、聖霊は教会を生み出し、建て上げてくださる、ということです。ペテロの説教によって、三千人の人が仲間に加えられました。2章46-47節です。

46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」

 私たちが理想とする教会の姿が、聖霊の働きによって、このとき人間の知恵や努力ではなく、聖霊の働きによって始まったのでした。
 3番目に聖霊は、宣教の力を与えてくださる、ということです。このあと教会はどうなるでしょうか。教会は聖霊の働きによって、爆発的に発展していくのです。使徒の働きのなかに、そのことが何度も書かれています。

6章7こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。」
9章31こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。」

 そのほか、たくさん書かれています(12:24、19:20等)。聖霊が人々を励まし、人々はそれによって前進し続けたので、救われる人が増し加えられていったのです。
 私たちの教会は人間のわざや、力づくで、新しく始められたのではありません。聖霊が、働いてくださったからこそ、ここまで来ることができたのです。
 そして今日のペンテコステの日に、特に覚えたいことは1節のことばです。「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。」
 「みなが一つ所に集まっていた」ときに、弟子たちに聖霊が与えられました。私たちはひとりひとり離れているときも、神様の祝福と恵みを受けることができます。しかし、「みなが一つ所に集まっている」時、すばらしいことが起きるのです。私たちは、神様のみわざに期待しながら、聖霊のお働きを信じていくことにいたしましょう。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年6月4日