ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年7月9日


2006年7月9日 主日礼拝説教
「主の宮の礎は据えられて」(エズラ記4章)

■はじめに
 エズラ記は1章から3章まで見てきました。捕囚の民であったユダヤの民が、バビロンの地から自分の国に帰って来た。その歴史の中に働かれる、神様のみわざを見てきました。
 神殿の土台である礎が据えられ、彼らは「さあ、これから神殿を立て上げよう」というところまで導かれました。彼らは、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と主を賛美した彼らでした。
 ところが、順調に行っていた神の宮の工事が、思いがけない妨害に出会うのです。その様子が4章に書かれています。
 初めに、この4章は少しこみいった順序で書かれていることをお話ししましょう。
 まず1節から、神殿工事そのものへの妨害が書かれています。そしてこれが、5節「ペルシヤのクロス王の時代からダリヨス王」まで続いたとあります。このダリヨス王の時に神殿は完成するのです。
 そして6節には「アハシュエロス」と、7節に「アルタシャスタ」と二人の王様の名前が出て来ます。この二人の王様は、ダリヨス王のあとの王様です。ですから6節から23節の部分は、神殿が完成されたあとで、今度はエルサレムの城壁工事をするのですが、その時に起こった妨害の様子が書かれています。
 5節からは、飛んで一番終わりの24節に話が続きます。

5さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。このことはペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで続いた。」
24こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年まで中止された。」


 ですから、この4章は神殿と、城壁工事の妨害の記録をまとめて記している、ということになります。そのことを注意して読んでいきましょう。

■サマリヤ人たちの妨害
 さて、1節に「ユダとベニヤミンの敵たち」とあります。「ユダとベニヤミン」とは、捕囚から帰って来た人たちのことです。イスラエル12部族のうち、ユダ族とベニヤミン族が中心だったからです。
 その「敵たち」というのは、サマリヤ人と呼ばれている人たちでした。そのサマリヤ人たちが神殿を建てているところへ来て、こう言ったのです。2節です。

2私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちは、あなたがたの神に、いけにえをささげてきました。

 このことばの歴史的背景を少し説明します。イスラエルの地には、北のイスラエル王国と南のユダ王国の二つの国がありました。二つとも滅ぼされてしまうのですが、最初に滅ぼされたのが北イスラエル王国でした。北イスラエル王国を滅ぼしたのは、アッシリヤ帝国です。
 滅ぼされた北イスラエル王国の民は、アッシリヤに捕囚として連れて行かれました。2節に書かれているアッシリヤの王「エサル・ハドン」が、イスラエル人の代わりに、アッシリヤの各地から、多くの人々を移住させました。
 そこに住みついた人々と、もともとそこに住んでいたイスラエルの人々が、後にサマリヤ人と呼ばれるようになった人たちです。
 残った南のユダ王国はアッシリヤの侵略に耐え、さらに100年以上、続くことになります。そのうち世界情勢は変わり、アッシリヤはバビロニヤに滅ぼされてしまいます。そのバビロニヤによって、ユダ王国は滅ぼされ、人々はバビロンに補囚として連れていかれます。そして、そのバビロニヤを滅ぼしたのがペルシヤでしたね。
 ペルシヤの最初の王であった、クロスが、ユダ王国に住んでいた人たちに自分の国に帰ってもよい。エルサレムに自分たちの神殿を再建するように、という命令を出しました。その命令に従い、5万人ほどの人が祖国に帰ってきて、神殿を建て始めた。それが3章まででした。
 さて、イスラエルの北の地方に住みついたアッシリヤの人たちは、その地の人たちと結婚し、イスラエルの神の教えを受け入れていきますが、自分たちが拝んでいたアッシリヤの神々も捨てられず、その結果、似ているようで、全く違った宗教を造り出したのでした。
 そのサマリヤ人が、神殿を立てている「ゼルバベル」たちのところに来て、「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい」と願い出たのでした。
 それは、自分たちの土地に、突然帰って来たイスラエルの民を、自分たちの中に取り込もうとする意図があったからでした。
 ところが「ゼルバベル」たちは、その申し出を断ります。協力を受け入れれば、それだけ早く工事は進むでしょうし、経済的にも楽であったでしょう。しかし彼らは、ほかの神々を礼拝するサマリヤ人たちといっしょに神殿を建てることはできなかったのです。
 ゼルバベルは、3節「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。……私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ」と、答えました。
 協力の申し出を断られたサマリヤ人たちは、態度を一変させます。そこから、イスラエル人に神殿を建てさせまいとするサマリヤ人の妨害が始まるのです。民の気力を失わせるような中傷やおどしがあったでしょう。時には、ペルシャ帝国から派遣されていた役人を買収して妨害してきました。
 これが、「ペルシヤのクロス王の時代からダリヨス王」の時代まで続きました。ここから24節へ続きます。

24こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年まで中止された。

 クロス王の時代からダリヨス王の時代まで、工事の中断は20年にも及びました。
 このような妨害の中、実際に神殿が完成するのはいつでしょうか。それは、6章15節に出て来ます。

「こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。」

 それは、紀元前515年のことですから、クロス王の帰還命令が出た年から22年もたっていました。

■神殿完成以後の妨害
 さて、6節から23節です。

6アハシュエロスの治世、すなわちその治世の初めに……。
7また、アルタシャスタの時代に、……。


 これらの王様は、ダリヨス王の次の王様、またその次の王様であります。ですから、ダリヨス王の時代に、神殿建築工事が完成したあとも妨害が執拗にあったことがわかります。
 神殿が建てられたあと、さらにエルサレムでは、町を堅固にするため城壁工事が始まりました。だんだんと町が堅固になっていく様子を見ながら、そのことに不安を感じたサマリヤ人たちは、王が代変わりするたびに、「ユダとエルサレムの住民を非難する告訴状を書いた」のでした。その一つ、「アルタシャスタ王」あてに書き送った告訴状が、11節から16節に記録されています。
 その告訴状の内容を見てみると、いろいろ書いてありますが、彼らは過去に謀反を起こしてきた民である。だからこのままにしておいたら、再び謀反を起こし、王様は領土を失う恐れがある、ということでした。16節に「もしこの町が再建され、城壁が修復されたら、あなたはこのために川向こうの領土を失ってしまわれるでしょう」とあります。
 エルサレムの町が建てあげられていくのをことば巧みに、何か政治的な野心でもあるかのように匂わせ、なんとか王の力によって阻止してもらいたい、という巧妙な告訴状だったのです。
 これに対して「アルタシャスタ王」は、昔の記録を調べ、かつてエルサレムには勢力のある王たちがいて、支配していたことを知りました。そこで「アルタシャスタ王」は、告訴状に書かれているようなことが起こるといけないと考え、命令を送ります。

21今、あなたがたは命令を下して、その者たちの働くのをやめさせ、私が再び命令を下すまで、この町が再建されないようにせよ。

 サマリヤ人は、王の書状を受け取ると、エルサレムのユダヤ人のところに行って、武力をもって彼らの工事を、やめさせたのでした。
 「私が再び命令を下すまで」とありました。一度は工事を中止させたものの、アルタシャスタ王はのちに心を変え、再び許可を与えるようになります。それは、このエズラ記7章から登場するエズラに対して、アルタシャスタ王は便宜と援助を与えています。
 そしてさらに13年後、今度はネヘミヤがエルサレムに帰ってきます。それも「アルタシャスタ王」の時です。それはネヘミヤ記1章に出てきます。

■まとめ
 エルサレムに帰って、神殿工事の礎を据えたイスラエルの民を待っていたもの。それは、敵の妨害でした。サマリヤ人の妨害によって、主の宮の工事がストップしてしまったのです。
 私たちも、ひとりひとり、それぞれに体験していることですが、何か神さまの働きを担わせていただこうとする時、妨害のようなもの、抵抗のようなものを受けることはないでしょうか。そのような経験を思い出しながら、ここから3つのことを考えてみたいと思います。
 1つ目に、サマリヤ人の協力の申し出を断った、ゼルバベルの態度を見てみましょう。
 もし経済的なことや、政治的なことを考えるなら、サマリヤ人と手を組むほうがかしこいかもしれません。しかし、ゼルバベルは信仰の純粋性を失わないほうを選びました。決して妥協することなく、「私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ」と言い切ったのでした。ローマ人への手紙12:2です。

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

 2つ目に、このように神様の働きが妨害されていても、神様はご自身のわざを確実に進められていくということです。
 敵対者たちの思いが通り、このあと神殿が放置されたままになり、ユダヤの民は自分の生活に追われていってしまいます。しかし、神様は預言者のハガイとゼカリヤを起こされ、民を励まし、神殿建設が実現していくのです。それが次回のところ、5章1節から記されていきます。
 また、エルサレムの城壁の再建は、それを中止させた当の「アルタシャスタ王」本人を神様が動かされて、「アルタシャスタ王」の献酌官であったネヘミヤを通して、それが実現していくのです。人の思いをはるかに越えた神様のご計画の実現を見ることができます。
 私たちには、多くの思いや計画があります。箴言16:3と9を読みます。

「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」
「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」


 3つ目は、神殿の礎はすでに据えられていた、ということです。
 それから20年以上がたってしまいましたが、ダリヨス王の時に、その礎の上に神殿が建ち上がったのです。
 私たちのゆりのきキリスト教会は、キリストによってすでに礎が据えられています。それは、イエス様が私たちの罪のために十字架で贖いの死をとげてくださったことです。私たちはそのことを信じ、イエス様によって救われている。その事実であります。
 ゆりのきキリスト教会は、今、少しずつ少しずつ、建て上げる途上にあります。私たちの教会の将来に、いろいろな夢と可能性を与えられていると言えるでしょう。
 すべてのことにおいて、私たちの思いではなく、神様のみこころのとおりになることを信じ、神様の導きにゆだねたいと思います。
 また、それと同時に、私たちはすべてのことが神様のみこころのままに行われることを喜びたいと思います。
 主の宮の礎は据えられています。私たちは主ご自身が働かれて、教会が建て上げられていくことを信じ、共に歩んでいきましょう。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年7月9日