ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年7月30日


2006年7月30日 主日礼拝説教
「神の目が注がれて」(エズラ記5章)

■はじめに
 エズラ記4章までのところをもう一度、見てみましょう。
 捕囚の民であったイスラエル人は、ペルシヤのクロス王の第1年に、解放されて、自分の国に帰って来ました。これが第1章でした。2章には、帰って来た祭司をはじめ人々のリストがあげられていました。その数は、およそ5万人にも上りました。3章になると、いよいよエルサレム神殿再建が始まります。まず祭壇を築き、彼らは神殿の土台を据えました。
 さて4章に入り、「さあ、これから建てるぞ」という段になって、思わぬ横やりが入ります。それは、その地に住んでいたサマリヤ人からの妨害です。彼らはペルシヤ王に、イスラエルは謀反を企てようとしているので工事をやめさせてください、という手紙まで書きました。そのようないやがらせもあって、神殿工事が中断されることになりました。4章24節です。

「こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年まで中止された。」

 この中止の期間は、実に16年間に及びました。この間、ペルシヤの王クロスから、ダリヨスに変わっていました。
 さて、今日は5章に入ります。

■預言者ハガイ、ゼカリヤの励まし

1さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言した。

 この時、神様は預言者をお立てになり、人々を励まし、神殿再建に着手することになったのでした。この二人の預言者、ハガイとゼカリヤとは、旧約聖書の後ろから2番目と3番目に出てくるハガイ書、ゼカリヤ書を記した預言者です。
 イスラエルの民たちは、最初のうちは再開を信じて待っていましたが、それが2年、3年、10年と過ぎていくと、神殿工事再開の情熱は薄れていきました。
 土台だけ据えられて、そのまま放置されていく。神殿を建てるために故郷に帰って来た人々は、いつしか自分の生活に追われるようになってしまいました。
 そのとき、神様は二人の預言者を遣わし、「イスラエルの神の名によって預言」し、民たちの心をもう一度神殿建設へと向けさせたのです。ダリヨス王の第2年6月、預言者ハガイは語りました。ハガイ書1章を開いてみましょう。

2万軍の主はこう仰せられる。この民は、主の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。……4この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか、と。」

 イスラエルの民は、神様に選び出された民として、神第一、礼拝第一を貫き通すべきでした。そこから離れたときに、神様の祝福が失われていったのでした。

9あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。--万軍の主の御告げ--それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。」

 神様のみことばを聞くとき、そのことばによって人々は動かされます。励まされます。私たちは、みことばによって悔い改め、みことばによって力を与えられ、みことばによって立ち上がるのです。彼らも、預言者のことばを聞いて奮い立ったのです。
 エズラ記に戻ります。

2そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも彼らといっしょにいて、彼らを助けた。

 民の指導者であった「ゼルバベルとヨシュア」が、神様のみことばに励まされ、先頭に立って、立ち上がったのでした。その時は「ダリヨス王の第2年6月24日であった」とハガイ書に記されています。

■神の目が注がれて
 ところが、工事の再開とともに、役人が領土内の視察にエルサレムにやってきました。土台だけ据えられ、16年間も放置され、荒れ放題になっていたその土地に、突然の大工事の出現したのでした。

3そのとき、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚とがやって来て、こう言った。「だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか。」

 彼らの調査は1つ、「だれの命令でこのような工事をしているのか」。2つ目は、「工事の責任者はだれか」ということでした。
 しかし今度の神殿工事は、4章のときにあったような、妨害にくじけてしまったのとは違っていました。今度は、みことばに励まされて始めた神殿工事の再開です。 そこには、神様の目が注がれていたのでした。彼らは、工事を続けます。

5しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった。

 「ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていた」とあります。 意気揚々とバビロンから帰って来たときから、すでに16年がたっていました。帰ってきて、すぐに工事を始めた時も、神様の助けと導きはあったでしょう。しかし、当時は、財力もあり、まだ情熱も衰えていなかった。自分たちの力でやってみせるという思いもあったかもしれません。
 思わぬ妨害と挫折の繰り返しの中で中断させられ、今また預言者のことばに励まされて始まった神殿工事です。彼らには神様の助けを求め、神様だけに信頼して歩む思いが与えられていました。彼らは、自分たちの思いが砕かれたのでした。自分の力に頼っていてはだめだ。神様に助けていただかなければ、と悟ったのでした。
 それが「神の目が注がれていた」ということばに現れています。神様は、ご自分に助けを求める者を愛し、御目を注いでくださるのです。今日の招きのことばで読みました。第2歴代16:9です。

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」

 神様の守りと助けがあるところでは、たといどのようなことがあろうとも、神様のみわざが前進していくのです。この神殿再建は神の事業である。いかなる妨害があっても、神が目を注いでいてくださるのです。
 神の目が注がれている者たちに対して、何か犯しがたいものを感じたのでしょう。手紙の返事が来るまで、工事は中止されずに続行されました。

■手紙の内容
 7節以下に、ダリヨス王に送った手紙が記されています。これらの報告の手紙は、長老たちから聞いたことをそのまま記しています。これは、イスラエルの長老たちの信仰告白になっています。
 11節で長老たちは、「私たちは天と地の神のしもべである」ことを告白し、昔、ソロモンが神様を礼拝するために建てた神殿を、立て直しているのだと語ります。しかし神殿が破壊されたのは、イスラエルの犯した罪の結果だったと、12節で告白します。
 エルサレム神殿の破壊とバビロンへの補囚は、自分たちが神様に従わず、偶像礼拝に陥ったためであり、神様のさばきの結果であったというのです。彼らは、預言者ハガイ、ゼカリヤからのことばを聞き、そのことを改めて思い知ったのでしょう。 
 手紙は、イスラエルの長老たちが言っていることが正しいかどうか、どうか、ダリヨス王様、調べてください、と依頼しているのです。その手紙の返事は、次の6章で明らかになっていきます。

■まとめ
 さて、ここから、神様の御目が神の民の上に注がれて、神様の守りと導きがあった、ということに注目したいと思います。
 神様に信頼して、天を見上げる時、そこに神様のまなざしがあるということです。

5しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった。」

 今日、午後から、ゆりのきキリスト教会の教会設立式が行われます。礼拝開始以来、3か月がたちました。その間、神様の温かい目が私たちの教会に注がれていたことを覚えます。
 以前にもあかししましたが、この礼拝場を与えられるまで、2か月間あちこち探しまわりました。あるところは、教会はだめという宗教的な理由で、あるところは家賃が高すぎて手が出ませんでした。
 もう、この所では教会が始められないのではないかとさえ感じめたとき、「ローソンの2階があいているので、教会でも大丈夫かどうか聞いてみます」という連絡があったのです。ここは、教会は無理でしょう、と言われて、ある不動産屋で問い合わせもしなかった場所でした。それがOKになったのでした。
 それから、いろいろな手続きがあって、契約をしたのが3月25日(土)でした。4月から準備を始めたいと願っていたので、それは最後の週でした。
 そのようにして、私たちは、4月から夫婦二人で礼拝を守り、4月30日の礼拝開始をめざして準備を始めました。ところが、1週間前の4月23日(日)に私の父が動脈瘤破裂で、緊急入院しました。85歳でした。もう助からないという診断でした。
 私はベッドで点滴と酸素吸入をしている父と話しました。牧師になったこと、今度、八千代市で教会を始めることになったことを話しました。耳元で父のために祈りました。父はそのことを喜んでくれました。
 27日(木)の夜、なくなりました。そして、30日(日)は通夜、5月1日は葬儀になりました。
 30日の礼拝が1週間遅れて、5月7日が第1回目の礼拝となりました。9名のスタートでした。椅子もなく、講壇も、事務机に段ボールを置いたようなところからのスタートでしたが、講壇も与えられ、椅子も買うことができました。
 このような中、私はみことばによって励まされていました。ここで礼拝を始めようと願った時に、与えられたことばです。使徒の働き18:9、10です。

9ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。10わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。」

 礼拝開始以来、いつも神様の御目が注がれて、守られ、導かれた3か月間でした。神様の守りと助けがあるところでは、たといどのようなことがあろうとも、神様のみわざが前進していくことを、覚えさせられた3か月でした。

「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった」

 今日の教会設立式。神様が、これからどんなにすばらしいことを見せてくださるのか、楽しみながら、神様と共に、皆さんと共に歩みたいと思います。
 今日は特別に、設立式を覚えて主の聖餐にあずかろうとしています。 主イエス様が、血をもって、私たちの罪を赦してくださった。そして、私たちの教会の土台がイエス・キリストの十字架であることを覚えたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年7月30日