ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年8月20日


2006年8月20日 主日礼拝説教
「神の宮の奉献式」(エズラ記6章)

■はじめに
 捕囚の民であったイスラエル人は、ペルシャのクロス王の第1年に、バビロンの地から解放されて、自分の国に帰って来ました。その数は、およそ5万人にも上りました。
 エズラ記の3章になると、彼らはエルサレム神殿の再建に取りかかります。神殿の土台を据えることができました。
 4章に入り、「さあ、これから建てるぞ」という段になって、思わぬ妨害が入ります。それは、その地に住んでいたサマリヤ人からの妨害でした。彼らは、ペルシャ王にイスラエルが謀反を企てようとしているので工事をやめさせてください、という手紙を書きました。その結果、神殿工事が中断されることになりました。
 神殿工事の中断は16年間に及び、土台はそのままになり、荒れ放題となりました。そのとき、神様は預言者ハガイとゼカリヤをお立てになり、人々を励まして、もう一度、神殿再建に着手することになったのでした。それが、前回の5章です。
 預言者のことばを聞いて奮い立たされた者たちが工事に取りかかりました。ところが、また横やりが入ったのです。その地方の総督「タテナイ」が視察にやってきて、どうしてこのような工事をしているのか、と問いつめたのでした。
 しかし、5章5節に、「ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていた」とあります。今度は神さまのことばにしっかりと立っていましたから、彼らはくじけませんでした。神様の守りと、助けの中で、工事は中断されることなく、続行されていきます。
 一方、タテナイたちは、ペルシヤのダリヨス王に手紙を書きます。この工事が本当にクロス王の許可によって始まったものか調べてください、というものです。ダリヨス王が手紙を受け取ったところから6章が始まります。

■ダリヨス王からの返事

1それで、ダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、

 ダリヨス王は手紙を読んで、早速バビロンにある「文書保管所」を調査しましたが、「メディヤ州の城の中のアフメタ」で、クロス王の巻物が見つかりました。「アフメタ」で発見された記録は、18年前にクロス王から出されたものでした。
 神殿の大きさと規模、そして、その費用は王家が支払うことが書かれていました。。

3クロス王の第一年に、クロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえがささげられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。4大きな石の層は三段。木材の層は一段にする。その費用は王家から支払う。」

 ダリヨス王は、早速クロス王の意思を継いで、エルサレムの神殿建設にあらゆる便宜をはかることにしました。すぐに総督タテナイに返事を送りました。それが6節から12節までです。
 ダリヨス王は、その手紙の中で、
1、神殿工事を妨害してはならない、と命じました。
2、税金から建築費用を間違いなく支出すること。
3、毎日の礼拝に必要な物を支給することまで命じました。
4、そして10節にあるように、「王と王子たちの長寿を祈るようにせよ」と命じたのです。
 さらに、最後に、この命令に違反する者に対しては厳しい刑罰があることが、神の御名によって警告されます。

11私は命令を下す。だれであれ、この法令を犯す者があれば、その家から梁を引き抜き、その者をその上にはりつけにしなければならない。このことのため、その家はごみの山としなければならない。12エルサレムに御名を住まわせられた神は、この命令をあえて犯しエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように。私ダリヨスは命令を下す。まちがいなくこれを守れ。」

■神殿の完成
 こうして、ダリヨス王からの手紙が「川向こうの総督タテナイ」たちに届けられました。14節にこうあります。

14ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、また、クロスと、ダリヨスと、ペルシヤの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた。

 その工事は、「預言者ハガイとゼカリヤ」の励ましにより、「イスラエルの神の命令」であると確信して、進められました。彼らは、神のみことばによって励まされ、神様の守りがユダヤの民と共にありました。

15こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。

 工事は、ダリヨス王からの再建命令が送られてから、4年目、「ダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成」しました。西暦で言いますと、紀元前515年の2月か3月になります。クロス王の勅令が「クロス王の第一年」から数えると、23年の月日がたっていたのでした。
 神殿建設。私たちの場合は、礼拝する場所を求めるということ、あるいは教会の会堂建設になるでしょうか。新しい会堂を求めるときには、人知では計り知れない不思議な神様の導きがあることを覚えさせられます。このゆりのき台の礼拝場が決まるまでもそうでした。そこにはたくさんの恵みがあったのです。

■神殿の奉献式
 神殿を建て上げたイスラエル人は、喜び勇んで、神の宮の「奉献式」をすることになります。

16そこで、イスラエル人、すなわち、祭司、レビ人、その他、捕囚から帰って来た人々は、この神の宮の奉献式を喜んで祝った。17彼らはこの神の宮の奉献式のために、牛百頭、雄羊二百頭、子羊四百頭をささげた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、イスラエル人全体の罪のためのいけにえとして、雄やぎ十二頭もささげた。」

 多くのささげ物が神さまにささげられました。「牛百頭、雄羊二百頭、子羊四百頭」です。しかし、ソロモン神殿の時にささげられた物は「牛二万二千頭と羊十二万頭」(第2歴代7:5)でした。その1パーセントにも満たないものでした。
 確かに比べてみればまことに少ないささげ物でしたが、彼らができる最善のささげ物でしたが、神様はそれを喜んでくださいました。そして、そのささげ物をささげたとき、彼らの心に喜びがあふれました。彼らは「この神の宮の奉献式を喜んで祝った」のでした。
 神さまの名前をたたえるための神殿が、神さまが選ばれた、この地に再建された。神さまが、このあと大きな祝福をどのように自分たちに用意してくださっているのか、その大きな期待もあったでしょう。そのような思いを込めての感謝のささげ物でした。
 しかし、イスラエルの民は、その喜びとともに、今まで自分たちが通ってきた補囚の苦しみ、悲しみを忘れることはしませんでした。その補囚が「イスラエル人全体の罪」のためであったことを覚え、「罪のためのいけにえとして、雄やぎ十二頭もささげました」。
 彼らは、自分たちの罪を悔い改め、その上で、神様が与えてくださる新しい栄光の時代を待ち望んだのです。

■過越の祭り
 そして、神殿の奉献式から1カ月後、彼らは「過越」、「種を入れないパンの祭り」を祝いました。

22そして、彼らは七日間、種を入れないパンの祭りを喜んで守った。これは、主が彼らを喜ばせ、また、アッシリヤの王の心を彼らに向かわせて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。

 「過越」とは、かつて、イスラエルの民がエジプトに奴隷として苦しんでいたとき、イスラエルの民をなかなか解放しないエジプトの対して、神さまがエジプトに対して行った最後の刑罰でした。「もしイスラエルをエジプトから去ることを許さないなら、エジプト中の最初に生まれた男子は、人も家畜もすべて死に絶える」という、神さまのことばでした。
 モーセはそのことをエジプトの王、パロに告げました。しかし、エジプト王は聞き入れようとはしませんでした。その日の夜、神の使いによって、エジプトに神さまのことばのとおりのことが行われました。
 しかし、神さまはイスラエルの人々は守られました。子羊の血を入り口の門とかもいに塗るならば、そこを神の使いが見て、通り越す、過ぎ越す、と約束してくださいました。イスラエルは神様のことばを信じ、そのように行い、種を入れないパンを食べながら、その夜を過ごしました。
 その夜、子羊の血を入り口の門とかもいに塗ったイスラエルは救われたのです。そのことを忘れないように、以来イスラエルは、この日を覚え、毎年「過越」の祭りとして祝ったのでした。
 やがて、神の子イエス・キリストが、自ら「神の過越の子羊」となってくださり、十字架につけられました。十字架のイエス様を信じるとき、神様は私たちの罪をなかったものと見てくださり、私たちを新しい歩みへと導いてくださるのです。

■周りの民たちも共に祝った
 さて、バビロンから帰ってきた人たちは、自分たちも、バビロンの地で奴隷のような生活を送りながら、こうして今、エルサレムに帰され、神殿を建て上げることができました。彼らは、感謝をして、過越の祭りを祝ったのでした。
 神殿再建に協力した人々は、「捕囚から戻って来たイスラエル人」ばかりではありませんでした。

21捕囚から戻って来たイスラエル人と、イスラエルの神、主を求めて、この国の異邦人の汚れから縁を絶って彼らに加わったすべての者たちとは、これを食べた。

 ユダヤの地に残っていた人たちも、改宗した異邦人もいました。彼らは自発的に、「この国の異邦人の汚れから縁を絶って」、イスラエルの民の中に加わり、共に過越の祭りを祝いました。こうして、神の建物の建設は終わりました。しかし、彼らイスラエルの民としての歩みは、ここから始まるのでした。
 神殿完成を祝った人たちの中に周りの民たちがいたことから、私たちは、礼拝が行われるとき、それを見た人たちが礼拝に加えられてくることを覚えたちと思います。
 彼らは、イエス・キリストの十字架と復活を信じる決断をし、教会の交わりに加わってくるのです。そして、洗礼を受け主の聖餐式に連なるのです。それは強制ではなく、自発的な信仰によって与えられるのです。
 7月30日に行われた教会設立式の説教で、金小益先生が読んでくださったことばです。今日の招きのことばでも読みました。使徒の働き2:46-47です。

46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」

 このみことばのとおり、ゆりのきキリスト教会にもなりますよう、祈ります。
 エズラ記は、このあと7章からエズラが登場し、イスラエルの民を改革していきます。神殿のできあがったイスラエルが、神様によって訓練され、神の民として育てられていくのを見ることができます。私たちのゆりのきキリスト教会も神様の前に、神の民として訓練され、立て上げられていくのです。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年8月20日