ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年10月29日


2006年10月29日 主日礼拝説教
「神がしてくださった大きなこと」(ルカによる福音書8章26節〜39節)

■はじめに
 先週は、ちはら台キリスト教会で説教しましたので、ルカの福音書からの説教は1週間あいてしましました。先々週はルカの福音書8章22節からのところをお読みしました。
 イエス様と弟子の一行が、舟でガリラヤ湖を渡りました。その途中、突然の嵐が襲って来て、舟が沈みそうになってしまった。イエス様はどうなさっていたかというと、ぐっすりお休みになっていたのでした。弟子たちは、イエス様がいっしょにいれば大丈夫だということを忘れてしまい、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言って、イエス様を起こしたのでした。
 イエス様は起き上がって、風と波をしかり、嵐を静めてくださったのでした。こうして、嵐も収まり、イエス様たち一行は、無事向こう岸にたどりつきました。そこから今日、お読みした出来事が始まって行きます。
 イエス様は、自然界を支配なさっておられるだけでなく、霊的な世界を支配しておられ、特に、悪霊の世界を支配し、服従させるお方であるということをお話ししたいと思います。

■悪霊につかれていた男

26こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。27イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。

 イエス様たちは、舟でガリラヤ湖の向こう岸である「ゲラサ人の地方」に着きました。そこは異邦人が住んでいた地域でした。そのゲラサの地方に、「悪霊につかれていた男が」いたのでした。
 悪霊の存在、霊の世界のこと。現代人には、あまり日常的なこととは言えなくなりましたが、聖書では、霊の世界に触れて、サタン、悪霊、御使いなどの存在を語っているのです。私は、実際に、初めてキリスト教を伝えようとして宣教地に入っていった宣教師たちの報告会で、悪霊との戦いを経験したという証しを聞いたことがあります。
 では、今日の箇所に出てくる悪霊とは一体何なのでしょうか。ペテロは第2の手紙で、悪霊とは、罪を犯した御使いだと言っています(2:4)。
 悪霊は人間にとりつき、正気を失わせる力があります。悪霊につかれた男の異常な行動がそれを示しています。彼は「長い間着物も着けなかった」とあります。彼は裸だったのです。彼は恥ずかしいという感情を失っていました。
 そしてこの男は「墓場に住んでいた」のでした。墓場といっても、日本の墓地とは違います。この地方のお墓は、山の斜面に横穴を掘り、そこに体を葬り、石でふたをしておくお墓です。ですから、その穴に住もうと思えば住めるわけです。その男は、だれもが近づきたがらない死人の世界を好み、人間社会に住もうとしなかったのです。
 その上、彼は暴力的であったのでした。彼は超人的な力を発揮し、そのために縛り付けておかなければならない状態だったのでした。29節に、「汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていた」とあります。
 鎖をひきちぎり、足かせを砕くほどの凄まじい力。マルコの福音書では、5章5節、「それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた」とあります。
 これではだれも近寄れません。髪や爪は伸び放題になっていたでしょう。裸になって石を自分の体に打ち付け、傷だらけ、血だらけになり、昼も夜も叫び声を挙げている。その悪霊につかれた男のところに、イエス様がやってきました。

■悪霊が豚に入る

28彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」

 悪霊は、イエス様が神の御子であられ、自分たちを支配する力と権威を持ったお方であることを知っていました。悪霊は、何にもまさって、そのさばきを恐れていました。
 そして叫び声をあげて、御前にひれ伏し、こう嘆願しました。「お願いです。どうか私を苦しめないでください」。それはイエス様が、この汚れた霊に「この人から出て行け」と命じられたからでした。イエス様は悪霊につかれた男に向かって尋ねます。

30イエスが、「何という名か」とお尋ねになると、「レギオンです」と答えた。悪霊が大ぜい彼にはいっていたからである。

 イエス様から名前を尋ねられ、彼は自分の名前を言わず、「レギオンです」と答えたのでした。レギオンとは、ローマ軍団の6000人のことです。大勢の悪霊が入っていたのでした。
 悪霊は、イエス様に「底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんように」と願いました」。

32ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。33悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。

 その山の山腹に豚の大群が飼われていました。悪霊たちは、「その豚の中に入ることを許してください」と懇願しました。イエス様は、その願いを許しました。
 どのような情況が起こったのでしょうか。悪霊たちがこの男から出て行き、豚の中に入ると、豚の群れが暴走を始めて、けわしいがけを駆け下っていき、次に、湖になだれ落ちておぼれて死んでしまったのです。

■男がいやされて
 豚の群れが突然、水死するという事件を巻き起こして、この男はいやされ、正気になりました。悪霊に縛られて、どうにもならなかった男の人が、イエス様によって解放されたのです。
 ゲラサ地方の民衆は、これを見て、すっかりおびえてしまいました。

37ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。

 だれも近づくことのできなかった男に近づき、ことばを交わしたかと思うと、前代未聞の出来事を引き起こしたこの人は人間なのか、それとも悪霊の仲間なのか。人々は混乱し、恐れでいっぱいになり、イエス様に自分たちのところから出て行ってくださいと頼みました。
 一方、悪霊を追い出していただいた男の人は、イエス様のお供をしてついて行きたいと願い出ました。彼はすでに友人もいなかったでしょうし、地域の人ばかりか家族さえも、こわがって受け入れてくれないかもしれません。イエス様について行きたいという願いは、「しきりに願った」とあるように、男の人の切なる願いでありました。
 しかしイエス様は、この男の人に「家に帰りなさい」とおっしゃったのです。

39「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。

 家に帰りなさい。あなたは家族のもとに帰りなさい。そして、あなたが救われたこのところで、受け入られるようになりなさいと。それが、あなたのこれからの人生であると。
 イエス様とお別れして、男の人は家に帰りました。男の人は、この地域で生きる者となり、地域で主を証しする者となったのでした。

■まとめ
 きょうの所から2つのことを見たいと思います。第一は悪霊の働きのことです。
 エペソ人への手紙2章を見ますと、私たちもかつてはこのような悪の力のもとにあったと言われています。私たちがクリスチャンになる前の歩みは、不信仰、不従順の子らの中に働く悪の霊、サタンに従って歩んでいたのだと。

1あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、2そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」

 神様を抜きにした人生を送っている人は悪の霊の支配下にある、というのです。人は神様に従うか、それとも、神様に背いて悪の霊、サタンに従うかを選ばなければなりません。
 神様に従わない人生、それはどういう人生なのか。続く、2章3節にこう書いてあります。

3私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」

 「肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行う」、それは、人が生まれながらに持っている罪の生活を続けることです。神様はこの罪に対して、御怒りを持っておられます。しかし神様は、愛のお方であり、ご自分の造られた者を限りない愛をもって愛しておられます。
 そこで神様は、人をその罪の滅びから救うために、その怒りをご自分のひとり子を罰するという方法をとられました。それがイエス様の十字架です。神様の怒りとさばきを、イエス・キリストが私たちの身代わりに十字架で負ってくださったのです。
 イエス様の十字架によって救われる人は、永遠にわたり自分の罪のためにさばかれることはないのです。そう私たちは信じるようにしていただいて、クリスチャンにしていただきました。
 人を罪と悪に引き込もうとする悪の力は、今もクリスチャンである私たちに対して戦いを挑んできます。しかし、ご自分の御子のいのちと引き換えに滅びから救い出した私たちを、神様は2度と手放すことはありません。
 神様は、私たちを圧倒的な勝利者へと導いてくださるのです。

 ローマ人への手紙8章37私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

■家族伝道について
 最後にもう一つ、家族への伝道について考えてみましょう。鎖につながれていた男の人を家族はどうすることもできませんでした。彼は、家族に見捨てられていたのでした。そんな彼がイエス様に出会い、救われて正気に返ったのでした。彼はイエス様に、お供をしたいと願いました。しかし、イエス様は彼に、「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい」と言われました。
 イエス様は、家族を大切に見ておられました。イエス様は十字架の上で死を前にして、お母さんのマリヤのこれからの生活を弟子のヨハネに託しました。
 パウロもこのように言っています。

 テモテへの手紙第一5章8もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」

 イエス様は、この男の人を自分の家に帰らせました。そして、神がどんなに大きいことをしてくださったかを家族に話して聞かせなさい、とおっしゃいました。それまで、彼は家族にどんなに心配をかけ、どんなに大きな苦しみを与えてきたことか。彼は、イエス様に救われて、家族のもとに帰り、「今まで苦労をかけてすまなかった」とおわびし、これからは、家族の一人として、普通の暮らしをするように導かれたのでした。
 「家に帰って」というのは、そのことをおっしゃっているのではないでしょうか。その上で「神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを」家族に伝えなさいというのです。まず家族のもとへ帰ってこその証しであり、伝道であります。
 私は10代で救われました。家族は、洗礼を受けることには反対ではなかったのですが、私があまりも熱心に教会に通うことになってしまったので心配しました。もう少し家族の身になって考え、証しすることができればよかったと反省しています。
 何はともあれ、神様から与えられた、この計り知れない大きな恵みを伝えるのは、先に救われた私たちであることは確かなことです。これからも、機会を見つけて、皆さんとともに、家族に証しをしていきたいと思います。
 みことばの約束です。今日の招きのことばで読みました。使徒の働き16章31節です。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

 けっしてあせってはいけません。力ずくでできるわけではありません。神様ご自身が導いて、救いに至らせてくださることを信じ、神様の完全なるご計画に一切をゆだねていきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年10月29日