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2006年12月24日 主日礼拝説教
「飼葉おけのキリスト」(ルカによる福音書2章1節〜7節)
■アウグストの時代
1そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。2これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
ここに、イエス・キリストが生まれた時代は、どのような時代であったかが記されています。
「皇帝アウグスト」は別名オクタビアヌス。20年間にわたるローマの内乱を平定し、ローマの初代皇帝となった人物です。「アウグスト」は、紀元前31年から紀元後14年までローマを治めました。政治も安定し、ローマ帝国全体に平和が訪れ、ローマは繁栄していきました。
このアウグストが全世界(もちろんローマ帝国内ですが)の人口調査を
するという勅令を出しました。歴史に残っている人口調査記録がいくつかありますが、それは前8年か7年ころと考えられます。人口調査の目的は2つです。税金をかけることと、徴兵の下準備です。
ですから、この勅令は、皇帝アウグストが支配する世界に自分が王であること、そして税を徴集する権利があることを宣言し、実行に移したものでした。
神様は、このような世界に救い主を送られました。地中海地方が、ローマという国に統一され、ことばもギリシャ語で世界が通用するようになった。道路も整備され、人の行き来も自由になった。新しく救い主が生まれたことを世界に広めるのに最適な時でした。
しかし、一方では、神の民イスラエルが自らを神とするローマ皇帝に服従を強いられる苦難の時代でもありました。彼らは、救い主の誕生を待ち望んでいたのです。
■ナザレからベツレヘムへの旅
3それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
ヨセフも、身重になっていたマリヤをつれて、旅立ったのです。民族の大移動です。国中が大騒ぎになったことでしょう。
4ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、5身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
ヨセフはダビデ王の家系の者でした。イエス・キリストが生まれる約千年前、イスラエルにダビデという、有名な王様がいました。救い主はダビデの家系から生まれると預言されていたのです。
さらに、救い主はベツレヘムで生まれると預言されていたのです。ミカという旧約聖書の預言者がいました。そのミカが、イスラエルが異国に圧迫される苦難の時代に、やがてベツレヘムに王なる救い主が生まれ、イスラエルの民を救い出されることを預言しました。
5章「2ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」
アウグストの勅令によって、ガリラヤに住んでいたヨセフとマリヤが、ユダヤのベツレヘムに行き、そこでイエス・キリスト、救い主を生む巡り合わせになるのです。預言のとおり、神様がそのように導いておられたのです。
ナザレからベツレヘムまで、3日ほどの旅行でした。マリヤはすでに臨月になっていました。多くの人が行き交うなか、二人はいたわりあいながら、ゆっくり旅を進めたと思われます。
■イエスの誕生
6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
ベツレヘムの町は、ダビデの家系の者たちでごったがえしていました。身重のマリヤを伴っての旅は足が遅かったのでしょうか、宿屋はもう満員でした。
「すいません、泊めていただきたいのですが……。」「子どもが生まれそうなんです。」しかし、どこも泊めてくれそうにありません。
そこで、まもなく生まれて来る子どものために、野宿するわけにもいかず、あいていた家畜小屋に泊まることになりました。「宿屋には彼らのいる場所がなかったからでした。」
家畜小屋にいる間、マリヤは、御使いから告げられた約束の男の子を生みました。救い主として生まれた赤ちゃんは、「飼葉おけ」に横たえられました。
イエス・キリストの誕生の記録はこれだけです。
旅の途中での出産。「宿屋には彼らのいる場所がなかった」、「布にくるんで、飼葉おけに寝かせた」とあるだけです。
そんな場所での初めての出産、若い二人はさぞかし苦労したことでしょう。助産婦さんはいたのだろうか。私も、子供や孫の出産の時、何時間もの生みの苦しみの末、やっと生まれる。それをじっと待っているという経験を何度もしてきました。でも、そんな描写もありません。
■飼葉おけのキリスト
聖書は、私たちの目を「飼葉おけ」に寝かされた乳呑み子に向けさせます。
布にくるまれて、飼葉おけに寝かされた、幼子イエス。神の子イエスは、にぎやかな場所ではなく、華やかな世界からも遠く離れたところに生まれたのです。神の子キリストは、大きな宮殿で生まれたのでもなく、立派なベッドに寝かされたわけでもありません。世間の片すみでひっそりとお生まれになり、飼葉おけに寝かされ、布でくるまれていました。
聖書は、飼い葉おけに寝かされていた、この幼子が私たちを救うために来られた神の子だと語っているのです。
このあと羊飼いに救い主誕生の知らせが天使によって告げられますが、そのしるしは「飼葉おけ」だったのです。
「11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
「飼葉おけ」は、生まれたばかりの乳呑み子を探すしるしであると同時に、そこに大切な意味があることを告げたのです。
■飼葉おけの意味
第1は、救い主は徹底したへりくだりの中でお生まれになった、ということです。このことは、先週の説教でお話ししました。
ヨハネの福音書1章「9すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。10この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。11この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」
神の子イエスは、にぎやかな、華やかな世界から遠く離れた、だれからも見向きもされない所、気づかれない所、忘れ去られたような所に生まれたのです。しかも「飼葉おけ」の中に。
聖書は、この人々の関心から隠されたイエス・キリストこそ「すべての人を照らすそのまことの光」である、と告げているのです。
第2に、それは私たちのための誕生だったのです。
天使が羊飼いに告げました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
だれのためでもない、「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました」と。私たちのために救い主になるという使命を帯びて、この乳呑み子は生まれたのです。
でも、こんな貧しい所で生まれた方を救い主、神の子として認めることができるのでしょうか。「飼葉おけ」に寝ている乳呑み子です。
この世の価値や見えるもので、すべてを判断してしまう私たちには、それは難しいかもしれません。
では、なぜ私たちの救い主は、このようなところで生まれたのでしょうか。それは、第3に私たちを罪と悲惨から救い出すために生まれたからです。
私たちの悲惨さは、喜びと平安の源である神との交わりが絶たれていることから来ているのです。飼葉おけの乳呑み子は、私たちをその罪と悲惨から救い出すために生まれたのです。
イエス・キリストは十字架に至る苦難の生涯を送るため、誕生の時から、このような低いところに生まれてくださったのです。それは、すべての人の弱さ、悲しみ、苦悩、罪を知り、そこから救い出してくださるためだったのです。
私たちはみな罪ある者です。神様の目から見れば、すべての人が罪人であります。私は弱い者だ、悪いと分かっていながら罪を犯してしまう者だと、そう心の中で告白することができるならば、きょう、イエス・キリストは、その方のもとに来てくださいます。
「飼葉おけ」に生まれたイエス・キリストは、人間の体を持ってお生まれになり、この肉体の限界や弱さを知ってくださったからなのです。神の子でありながら人間の体を持ってお生まれになったキリストは成長し、30歳になられたとき、人々に神様の愛と救いを宣べ伝え始めました。やがて、キリストは捕らえられ、十字架につけられました。
イエス・キリストは、十字架にかけられてもご自分を十字架にかけた者たちのために、こう祈りました。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と。
私たちが自分のしていることさえ分からなくなってしまっているという、この救いようのない現実をイエス様は知ってくださいました。救いようがないまでに罪にけがれてしまった人間を「父よ。お赦しください」と祈ってくださったのです。
コリント人への手紙第2、8章「9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
「飼葉おけ」にいるキリストを貧しさを見る時、罪にまみれ、心の貧しい私たちが、罪の赦しを確信でき、永遠のいのちを与えられるという「富む者」とされたことを感謝できるのです。
■最後に
「飼葉おけのキリスト」、それは、時の皇帝アウグストに比べたら、なんと貧しい弱い存在なのでしょうか。しかし、このお方の生涯が私たちに生きる力を与え、生きる喜びと希望を与えてくださるのです。
どんなに貧しい弱い者にも、愛の心をもって接するやさしい思いを与え、どんな時にも恐れることなく立ち向かうことのできる勇気を与えてくださるのです。
「6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
クリスマス、イエス・キリストのお誕生を心から感謝したいと思います。
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