ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年1月14日


2007年1月14日 主日礼拝説教
「五つのパンと二匹の魚で」(ルカによる福音書9章10節〜17節)

■はじめに
 先週まではルカの福音書1、2章から、バプテスマのヨハネの誕生、マリヤへの受胎告知、クリスマス、イエス様の少年時代とたどってきました。
 さて、今日は、昨年、教会開始から11月までルカ3章から8章までを見てきましたので、9章に入り、10節からのところを取り上げました。この箇所は「5000人に食べ物を与える」、または「5000人の給食」と言われている奇蹟で、この奇蹟だけが4つの福音書すべてに記されています。

■ベツサイダに退く

10さて、使徒たちは帰って来て、自分たちのして来たことを報告した。それからイエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。

 今日の箇所は、伝道に遣わされた弟子たちが帰ってきたところから始まっていますイエス様は、9章1節からのところにありますように、12弟子を二人ずつ組にして伝道に遣わされました。10節で、彼らはその伝道旅行から帰ってきたのでした。そして、自分たちがしたことと、教えたことを残らずイエス様に報告しました。
 イエス様が弟子たちの伝道報告をお聞きになって、イエス様は、弟子たちを連れて「ベツサイダという町へひそかに退かれました」。「ベツサイダ」という町は、ガリラヤ地方から少しはずれたところにある町でした。
 イエス様たちがそこにひそかに退かれたのは、イエス様が今まで伝道旅行をしていた弟子たちに休息をとらせるためでした。
 もう一つは、イエス様ご自身がガリラヤの国主ヘロデから身を避けるためでした。ガリラヤの国主ヘロデとは、すぐ前の段落に出てきます。9章7節に「さて、国主ヘロデは、このすべての出来事を聞いて、ひどく当惑していた」とあります。
 この国主ヘロデは、バプテスマのヨハネの首をはねた人でした。その国主ヘロデが、9節にこのようにあります。

9ヘロデは言った。「ヨハネなら、私が首をはねたのだ。そうしたことがうわさされているこの人は、いったいだれなのだろう。」ヘロデはイエスに会ってみようとした」

 ヘロデのイエス様に会ってみたいという興味が何であったのかわかりませんが、イエス様は、今は会う時ではないと思って、「ベツサイダ」のほうへ退かれたのでした。

■多くの群衆が集まってくる

11ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。

 ところが、大勢の群衆が、イエス様や弟子たちがひそかに移動したのを知って、ついてきました。彼らは、なんとかイエス様の救いを得たいと願っていた人々でした。すでにイエス様の働きは、特に病を癒されるという奇蹟は、ガリラヤ中に知れ渡っていました。
 ヨハネの福音書によれば、この時、過越の祭りが近づいていたということですから、エルサレムに上る巡礼があちこちに集まっていたころと思われます。それもあって、イエス様の周りに、おびただしい人の群れが集まってきたのです。
 イエス様は、集まってきた人々を見て、「羊飼いの、いない羊のように」「深くあわれまれた」とマルコの福音書には記されております。
 イエス様は、ご自分たちが休息をとることよりも、人々の求める心を優先されました。イエス様は「喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった」のでした。

■弟子たちの提案とイエス様の答え

12そのうち、日も暮れ始めたので、十二人はみもとに来て、「この群衆を解散させてください。そして回りの村や部落にやって、宿をとらせ、何か食べることができるようにさせてください。私たちは、こんな人里離れた所にいるのですから」と言った。

 イエス様の話が続き、時間がたちました。弟子たちは心配になってきました。大勢の人が食事もせず、イエス様の話に聞き入っていたのです。弟子たちはイエス様に、群衆を解散させ、めいめいで食べ物を用意させることを提案しました。
 しかし、イエス様のお答えは違いました。イエス様は、思いがけないことを言われました。

13しかしイエスは、彼らに言われた。「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」彼らは言った。「私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。私たちが出かけて行って、この民全体のために食物を買うのでしょうか。」

 「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい」とイエス様は言われました。それに対する弟子たちの答えには、「イエス様、それは無理な注文です。私たちの手に負えません」という思いがあらわれています。
 確かに、これだけの人たちの食糧を買い集めることは不可能でした。彼らの手元にあったのは、「五つのパンと二匹の魚」でした。
 「イエス様、これだけです。」「これで全部です。」弟子たちは、自分たちではどうすることもできないことを知りました。
 「パンが5つと魚が2匹。」
 イエス様は、その貧しいものを祝福して、豊かなものとしてくださろうとしていたのです。今あるものを用いて、すばらしいことをしてくださろうとしたのです。

■男5000人への給食
 イエス様は弟子たちに、人々を組みに分けて座らせるように命じられました。弟子たちは、落ち着き払ったイエス様のことばに従って、いつものように手分けして群衆を座らせました。
 男の人だけで5000人という人々がいたのですが、女の人、子供を入れてどのくらいの人がいたでしょうか。イエス様のおっしゃったとおり、50人ぐらいずつ、固まって座りました。150組以上のグループができたことでしょう。
 羊飼いのいない羊のようだった群衆が、羊飼いであられるイエス様のもとに、集められました。

16するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに与えられた。17人々はみな、食べて満腹した。そして、余ったパン切れを取り集めると、十二かごあった。

 イエス様は、5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンをさき弟子たちに渡されて、人々に配るようにされました。
 弟子たちが手にしたパンと魚は、手のひらに入ってしまうようなわずかなものだったでしょう。それをさらに割いて人々に渡しました。すると驚くべき奇蹟が起こりました。小さなパンが、裂かれては差し出された人々の手に渡っていきます。魚もそうでした。
 奇蹟は整然と行われました。組になっていたからです。離れたところにいる人たちは「自分のところまで回ってくるかどうか」と思っていたでしょう。ところが、彼らにも十分なパンと魚が配られたのです。
 毎週水曜日、荒川の河川敷で行われている給食伝道のお手伝いすることがあります。200人くらいの人が集まってくるでしょうか。その人たちは、説教を聞くとき7人ずつの列になって座ってくださいます。
 説教が終わり、給食が始まります、まず袋に入れたパンを差し上げます。次ぎにご飯とお汁を奉仕者が、一人一人に皆さんのところに持って行くのです。7人ずつになっているのでスムーズに、そしてだれももれることなく手から手に渡っていくのです。
 弟子たちが、イエス様からいただいたパンをさいて人々に分けました。弟子たちは、割いても割いてもなくならない、パンと魚の奇蹟を自分たちの手の中に見たのです。
 弟子たちは、自分たちが奇蹟にかかわっていることに気づきました。無いに等しいわずか5つのパンと2匹の魚が、5000人以上の人々を養うのを見たのです。
 イエス様は、「余ったパン切れを集めなさい」と言われました。弟子たちがカゴを持って群衆の中に入って行くと、残ったパン切れが12のカゴにいっぱいになったのです。これほどの多くの人が十分食べて、なお残りが12のかごにいっぱいになったとは、なんという豊かさなのでしょうか。

■まとめ1、私たちの持っているものを用いてくださる
 それにしても、この奇蹟は何を私たちに語っているのでしょうか。5000人以上の人を養うには、とても足りないと思われた5つのパンと2匹の魚。自分たちのためにでさえ十分でないと思われたパンと魚を、イエス様は人々に配りなさいとおっしゃる。イエス様のおことばどおり配りはじめると、いくら配ってもなくならない、どんどん配ることができるのです。
 イエス様の恵みをたくさんの人々に豊かに分け与えることができ、しかも余ってしまったのです。弟子たちにとって、なんというすばらしい恵みの体験だったことでしょうか。
 私たちも、このすばらしい恵みを体験することができるでしょうか。
 イエス様は、こう尋ねておられます。「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」
 弟子たちの答え、そして私たちもこう答えるでしょう。「私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。私たちが出かけて行って、この民全体のために食物を買うのでしょうか」と。5000人以上の人を前にして、「パンは5つです。そして、魚が2匹」ですと。
 でも、イエス様がこのわずかなものを手にとってくださる時、そして、天の祝福をもって、これを人々に配るようにとおっしゃってくださる時、このわずかなものは決してなくならないばかりか、配っても配っても、なお余るようになるのだ、ということを信じたいと思います。

■まとめ2
 イエス様はイエス様のもとにきた、一人一人に目をとめられました。イエス様は、その一人一人を「羊飼いの、いない、羊のよう」に、あわれんでくださったと、先ほどお話ししました。
 イエス様の「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい」というおことば。そのおことばの中に、あなたたちがその羊に、できることをして差し上げなさい、というイエス様の思いが込められているように思うのです。
 イエス様は復活後、ペテロに「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか」と問われました。今日の招きのことばで読みました。
 ペテロは、「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります」と答えました。そのとき、イエス様は、「わたしの羊を飼いなさい」とペテロに、これからの使命を与えられました。
 私たちもイエス様のもとに帰るまでは、「羊飼いの、いない、羊」のようなものでした。私たちは、神様から罪を赦され、神の子とされたという驚くほどの恵みを与えられました。その恵みを、私たちの手で、まだこの恵みに浴していない方々に分け与えることができます。
 神様が私たちを祝福し、イエス様が私たちを手にとってくださる時、そして天の祝福をもって、「五つのパンと二匹の魚」を人々に配るようにとおっしゃってくださる時、私たちが持っている小さなものでさえ、配る私たちの手を通して、人々に行き渡っていくことを信じていきたいと思います。それが、イエス様の教えが、そして神様の恵みが広がっていくことだと思うのです。
 私たちはイエス様の力を信じます。私たちを用いてくださるイエス様の力を信じます。 弱い私たちをおおってくださるイエス様の深いあわれみにすべてをゆだねて歩んでいきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年1月14日