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2007年2月11日 主日礼拝説教
「落ち穂拾いの祝福」(ルツ記2章)
■はじめに
エリメレクとナオミ夫妻は、飢饉のためユダのベツレヘムから外国のモアブに移り住みました。そこでナオミは、夫と二人の息子の死を迎えるのでした。残されたのは、ナオミ、ルツ、オルパの女3人でした。ほどなくナオミは、ベツレヘムの飢饉が終わったことを聞き、故郷へ帰ろうと思いました。オルパはモアブの地に残りましたが、ルツはナオミに従ってナオミの国に帰りました。それは、ルツがナオミの信じている主なる神様を信じるようになっていたからでした。
今日の2章で出てくる「落ち穂を拾うこと」について最初に触れておきます。「落ち穂拾い」は、貧しい人のため、特にやもめのために定められた律法でした。収穫する者は、畑の隅々まで刈ってはならない。落ち穂を集めてはならない。もし束を畑に忘れても、取りに戻ってはならないなどと決められていました。
ですから、ナオミとルツが大麦の収穫(4月ごろ)のときにベツレヘムに帰り着いたのは、働きさえすれば、差しあたっての食糧には困らない季節であったのでした。
■ボアズの畑
1ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。
2章に登場するボアズの紹介から始まります。ボアズは、ナオミにとって夫エリメレクの親戚でした。しかし遠い親戚であったのでしょう、名前は知っていたが交流はなかったと思われます。夫の親類であったことが、あとで大きな意味を持つことになります。彼は、有力者、また裕福な人であったのでした。
2モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで」と言った。
ルツは、夫に死に別れていたといっても、まだ若くて体も丈夫であったのでしょう。ベツレヘムに帰ったとき、ちょうど大麦の刈り入れの時にあたっていました。ルツは、生活のため働きに出る。ナオミに落ち穂を拾いたい、と願ったのでした。
すでに大麦の刈り入れが始まっていました。落ち穂は貧しい人たちのものでした。親切な人の畑であれば、そこに行きたいと願いました。
ナオミは、ルツにどこの畑に行ったらよいか教えたわけではなかったと思います。それが3節にあるように、「はからずも」ボアズの畑であり、それがルツが願っていたような親切な人がいるところでした。
■ボアズがしたこと
4ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように」と答えた。
3節の「はからずも」、4節の「ちょうどその時」は神様の導きを示していることばです。
人には、起こった出来事のすべてを知ることも理解することもできません。神様の御手がそこにあって、神様のみこころがなされていくのです。偶然と思われる出来事の中に、神様の働きがある。それを私たちは見ることができます。
ちょうどその時、ボアズが自分の畑の見回るためベツレヘムからやってきました。ボアズは、雇い人である「刈る者たち」と互いに「主があなたを祝福されますように」と祝福のあいさつをしてから、畑を見ると落ち穂を拾っている見かけない娘がいることに気づきました。
ボアズは、刈る者たちの世話をしている若者(ボアズの使用人)に、その見知らぬ娘のことを尋ねます。「これはだれの娘か」と。「刈る者たちの世話をしている若者」は、娘のことを詳しく教えます。「ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘」であるということを。
その娘は、今日の朝からやって来て「落ち穂を拾わせてください」と言い、朝から今まで畑で拾い集めては畑の近くにあった小屋に行って袋につめ、また畑に出ては拾い集めるという作業をずっと休まず働いている。ルツのひたむきな態度がこの若者にも好ましく映ったのでしょう。ボアズへの答えも好意的なものでした。
ルツとボアズの出会いです。人生を変える出会いでした。神様は私たちに、人と人との出会いを演出してくださいます。そして、最善に導いてくださいます。そのことを思わされます。
8ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。9刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
ボアズは、目の前で一生懸命働いているルツに、ほのかにひかれる思いを持ったのでしょう。それで、なんとかルツに良くしてあげたいと思ったのでした。ボアズはルツに話しかけます。
「娘さん。」「私の娘よ」という呼びかけです。二人には、少し年の差があることがうかがえます。ルツのほうも、畑の所有者であるボアズ様から突然話しかけられて、びっくりしたでしょうか。
ボアズは「娘さん」と呼びかけ、ほかの畑に行かないで、ここで落ち穂を拾いなさいと言います。落ち穂を拾う者にとって、落ち穂を拾い終わったら、次の畑へと動き回ったほうが都合よかったのかもしれません。ボアズは、自分の畑にとどまらせることによって、ルツに多くの落ち穂を拾わせようとしていたのです。
「若い女たち」とは、ボアズの家の女の使用人のことです。その女たちといっしょに、その後について落ち穂拾いをするようにと言います。男が刈り取り、女がそれを束にして行く。そのあとをルツがついて行くのです。ボアズはルツを特別扱いしようとしていたのです。
あとで出てきますが、食事が終わったあとに、15、16節にあるように、
束からわざと穂を抜いて落とすようにとも使用人に命じるのです。
そして、のどがかわいたら水瓶のところに行って自由に水を飲んでよい、と言います。水は貴重なものです。本来なら、ルツが自分で水をくみに行かなければならなかったでしょう。水を飲んでもよいという申し出は、ルツにはありがたかったでしょう。
■ルツの態度
10彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」
ルツは突然の親切にびっくりしてしまいます。ルツはへりくだって、感謝して、どうして外国の私に親切にしてくださるのですかと問います。
ボアズは、若い者から聞いたのでしょう。ルツが自分の国を後にして、ベツレヘムにしゅうとめといっしょにやってきたこと。しゅうとめに尽くしているという評判。今も、しゅうとめと二人分の食糧を得ようと熱心に働いていること。エリメレクの親戚(ボアズもその一人でした)にも頼らず、自分の手で働こうとしていたこと。それらのことを「私はすっかり話を聞いています」と言います。
12主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
それは、ルツがナオミと同じ神様を信じ、神様に信頼し、神様が最善をなしてくださることを信じているからだと、ボアズは見たからでしょう。「父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来た」こと、それは、単に国を離れるというだけではない。イスラエルの神を信じたからでした。
それをボアズは、「翼の下に避け所を求めて来た」と表現しました。無防備なひなが、神様の温かい翼の下に来れば安全です。赤ちゃんが、お母さんのところにいるときに安心、安全であるように、何の心配もいらないのです。
交読文で読みました。詩篇63篇です。
「7あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。」
ルツは答えます。
13彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」
ルツの控えめな謙遜なことばです。ボアズの親切を素直に、喜んで受け取ろうとする態度です。あなた様のはしためにもなっていないのに(若い女たちの立場でもない)と感謝を述べるのでした。
ルツにとって夫をなくし、この地に移って来てからの外国生活、貧しさの中にいて、初めて聞くうれしいことばであったでしょう。ルツはボアズのことばに、「私を慰めて」くださった。「ねんごろに話しかけてくださった」と感謝するのです。
食事時になりました。
14食事のとき、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。
食事のとき、働いた者みなで食べるために座りました。落ち穂拾いをしている者は別の席だったでしょうが、ボアズはルツに、いっしょに座るように招きました。ルツがあまり食べ物を持っていなかったのに気づいたのでしょうか。ボアズは、使用人といっしょに食べるように勧めます。
炒り麦もルツにあげました。それは十分すぎるほどでした。ルツは、家で待っているナオミのおみやげにしようと残しておきました。ボアズも、そうするようにと考えていたのでしょう。
食事が終わり、落ち穂拾いが続きます。穂がわざと落としてあるのですから、さらに仕事はやりやすかったでしょう。夕方になりました。
17こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。
拾った落ち穂をはかってみると1エパになりました。換算すると22リットルです。大変な量です。おそらく、落ち穂を拾うだけでは考えられないくらいの、大量の大麦がとれたのでしょう。
■ナオミの反応
18彼女はそれを持って町に行き、しゅうとめにその拾い集めたのを見せ、また、先に十分食べてから残しておいたのを取り出して、彼女に与えた。
ルツはそれを持って、町で待っているナオミのところに帰ります。拾ったもの、そしてボアズからもらったパンや炒り麦の残りもナオミに見せます。ナオミはそれを見て、だれかがルツに親切にしてくれたのだろうと思い、ルツに尋ねます。
19しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという名の人の所で働きました」と言った。
ルツが今日あった出来事を話します。ボアズがしてくれた親切なことを聞いたとき、ナオミは神様の不思議な導きを感じました。ナオミはボアズという名前に思い当たりました。ナオミの口に神様への賛美のことばがあふれました。
20ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」
神様は、恵みを施すことをやめてしまわれたのではない。女二人がこれから生きられるようにしてくださっただけでない。死んだ者(それは夫と息子たちでした)の名前を受け継ぐ人を神様は用意していてくださっている。そのことに思い至って、ナオミは神様を賛美しました。
ナオミはルツに、ボアズが「近親者で、しかも買い戻しの権利のある親類のひとり」であることをルツに知らました。
「買い戻しの権利」とは、先祖からもらった土地を受け継ぐ人がいなかったり、貧しくなって土地を手放したとき、それをもう一度買い戻すことができる制度でした。経済的に豊かになったとき、あるいは土地を受け継ぐ者ができたときにそれを買い戻すことができました。
ナオミの場合、夫と息子たちがいなくなったので、先祖から受け継いできた土地を手放さなくてはならなかったのです。しかし、ナオミの嫁のルツが「買い戻しの権利」のある親類と再婚し、その子供が夫エリメレクの後を継ぐことになれば、その土地は、今までどおりナオミたちのものになるのでした。
買い戻しは、新改訳聖書の欄外にあるように、「ゴエル」ということばです。「贖い主」とも訳されます。私たちの罪によって失われてしまった私たちのいのち。それを贖い主イエス・キリストは、ご自分の十字架の死によって買い戻してくださったのです。
ルツは、その人が親切で、刈り入れの間中、ずっとボアズの畑に来るように言ってくれたことを話しました。ナオミは、ボアズの好意を喜び、そうするようにと言いました。
こうして、大麦と小麦の刈り入れが終わるまで、ルツは落ち穂を拾い集めました。4月から6月までです。ボアズの好意によって、ナオミとルツは安心して暮らすことができました。
■おわりに
きょうのところから、一人一人が何かを感じ取り、教えられたことと思います。私は、「はからずも」「ちょうどその時」ということばに、私たちを支え、守り、導いていてくださる神様を思うことができました。
私たちは、すべての出来事の中に神様の導きを見ることができるでしょうか。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3:11)のです。
もう一つ、ボアズの好意を受け取ったルツの態度を見たいと思います。ルツは、ボアズの好意を、そのまま受け取りました。
私たちも、イエス様が差し出してくださる愛の好意を喜んで受け取りたいと思います。私たちは、イエス様が十字架によって示してくださった好意を喜んで受け入れ、そしてイエス様にあって歩みたいと思います。そしてあふれるばかり感謝をささげたいと思います。きょうの招きのことばを読みます。
コロサイ2:6-7「6あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。7キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」
そのほか、多くのことをルツ記のみことばから、お一人一人が神様からの語りかけを聞き取ってほしいと思うのです。
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