ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年4月1日


2007年4月1日 主日礼拝説教
「イエスは黙っておられた」(マルコによる福音書14章53節〜65節)

■はじめに
 今週は受難週です。今日は棕櫚(しゅろ)の日曜日と言い、イエス様がロバの子に乗ってエルサレムに入られたとき、群衆が上着を脱いでその道に敷き、棕櫚の木を振りながら、「ホサナ、祝福あれ」と言って迎えた日です。
 そして、その週の月火水とイエス様はエルサレムの神殿の中で、律法学者やパリサイ人からの質問に答える毎日を送り、木曜日に最後の晩餐を迎え、金曜日に十字架につけられたのです。
 今日は、木曜日の夜中、金曜日の朝を迎えるまでの、イエス様に起こったことを見てみましょう。

■逮捕されるイエス様

53彼らがイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな、集まって来た。

 イエス様は最後の晩餐を終え、ゲツセマネの園というところで最後のお祈りをなさいました。そこで、十字架を前にして、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と祈られました。
 祈りが終わって弟子たちと話している時に、祭司長、長老、律法学者たちから差し向けられた群衆がやってきました。たいまつを持ち、剣や棒を手にした群衆たちです。先頭にはイスカリオテのユダがいました。暗い中、彼らはイエス様がどこにいるのかわかりませんでした。それをユダが教えることになっていました。ユダの口づけにより、イエス様が捕らえられました。
 夜でした。まだ町の人々は眠りの中にいました。その中を、群衆に囲まれ、イエス様はゲツセマネの園からエルサレムの町へ戻って行かれました。

■裁判を受けるイエス様
 4つの福音書を読み総合すると、イエス様はこれから翌朝にかけて、6つの法廷に引き出され、尋問されることになります。ユダヤ教による宗教裁判が3回、そしてローマ総督ポンテオ・ピラトとガリラヤの領主ヘロデ・アグリッパによる政治的な裁判が3回です。
 イエス様は最初に、大祭司カヤパのしゅうとであったアンナスのところに連れていかれます。それはヨハネの福音書に書かれています。
 その次に、今日の個所である大祭司カヤパのところに送られてきます。大祭司の門の所には火を囲みながら、役人たちが番をしていました。彼らは、捕らえられ引き立てられて行くイエス様たちが通り過ぎるのを見つめています。
 ユダヤ教の議会であるサンヘドリンの会議場は神殿の中にあったのですが、夜中は開いていません。そこで、「祭司長、長老、律法学者たち」サンヘドリンの議員たちは、本来、会議は夜には開かないことが慣習だったのですが、急きょ招集され、大祭司カヤパのところに集まってきたのです。イエス様は、大祭司カヤパの前に引き立てられました。
 ペテロがイエス様の後から遠く離れて、「大祭司の庭の中まで」入ってきました。役人たちといっしょになって火にあたって、裁判のなりゆきを見守っていたのです。光に照らされて、ペテロの顔が照らし出されていました。

55さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった。

 彼らは、イエス様を死刑にするため、あらかじめ証拠をつかんでおこうとしました。しかし、何もみつからなかったのです。イエス様の逮捕と裁判が不当であり、罪のないイエス様が罪ある者たちによってさばかれ、死刑にされようとしていることを示しています。
 ユダヤ教の正式の裁判は(それは3回目の裁判になりますが)、夜が明けてから、行われることになっていました。

56イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのである。

 律法によれば、死刑にする場合、2人か3人の証言が一致していなければ、有効ではなかったのです。

57すると、数人が立ち上がって、イエスに対する偽証をして、次のように言った。58「私たちは、この人が『わたしは手で造られたこの神殿をこわして、三日のうちに、手で造られない別の神殿を造って見せる』と言うのを聞きました。」59しかし、この点でも証言は一致しなかった。

 「神殿を壊すと言った」という証言が出ました。しかしそれは、3年前に起こった、イエス様の最初の宮きよめと言われている事件の時に、イエス様が言ったことばじりを捕らえたものでした。
 ヨハネの福音書2章に「19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」」とあります。これは、イエス様の体を指して神殿と言ったのであり、イエス様が死ぬこと、3日目に復活されることを意味していました。
 彼らは、このことばが神殿を冒涜するものだとしたのです。しかし、3年もたって記憶があいまいだったのか、そのことばを聞いた人の証言も一致しませんでした。

■死刑を宣告されるイエス様

60そこで大祭司が立ち上がり、真中に進み出てイエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」

 証言が一致しないと知った大祭司カヤパは、自らイエス様に質問することによって、何か証拠となる手がかりをつかもうとしました。「みんなは、あなたに不利な証言をしようとしているが、本当のところはどうなのか。自分を弁護するために何か言うことはないのか」と。

61しかし、イエスは黙ったままで、何もお答えにならなかった。大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」

 イエス様は大祭司、カヤパの意図を知って、黙っておられました。
 再度、大祭司は質問します。何か言うことはないのか、「あなたは、ほむべき方の子、キリストなのか。」あなたは「ほむべき方」、神の子、キリストなのですか、救い主なのですかと質問したのです。

62そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」

 このとき、今まで沈黙を守っていたイエス様が初めて口を開かれました。イエス様は、「わたしは、それです」と、ご自分がキリストであり、人となった神の子であることをはっきりと言い表しました。そして、「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見る」とはっきりおっしゃいました。
 それまでは、イエス様は、ご自分がキリストであることをだれにも話さないようにと命じておられました。不思議なわざや奇蹟を行うことがイエス様の来られた第一の目的ではありませんでした。
 群衆が驚いて、「この方のなさったことはみなすばらしい。耳の聞こえない者を聞こえるようにし、口のきけない者を話せるようにしてくださった」と言ったときも、シモン・ペテロが「あなたはキリストです」と告白したときも、「自分のことをだれにも言わないように」とお命じになりました。しかしここにいたって、イエス様は、初めてご自分がキリストであることを明らかにされたのです。それは、イエス様がメシヤとして十字架にかかろうとしておられたからです。

63すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「これでもまだ、証人が必要でしょうか。64あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」すると、彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた。

 大祭司カヤパは、着ている衣を引き裂きました。それは、人が神を汚す罪を犯したなら、それを聞いた者は衣を裂くというユダヤの教えがあるからでした。神を汚すことばとは、イエス様がご自分を神の子であると言ったことを指していました。
 イエス様のことばは、議会の全員が聞いていました。これ以上の証人は不要です。「死刑だ」と議会は判決をくだします。しかし、正式には、死刑はローマの総督によって判決が下されなければなりませんでした。

■侮辱されるイエス様

65そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当てて見ろ。」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。

 この決定によって、彼らはイエス様に近づき、イエス様を侮辱し始めました。イエス様につばを吐きかけます。さらに目隠しし、殴りつけ、「言い当ててみろ、おまえを打ったのはだれだ」。イエス様は、役人たちが平手で打っても、されるままになっておられました。
 イエス様は、裁判で沈黙を守られました。そして、人々の侮辱を黙って忍ばれました。これによって、イエス様がメシヤであることが明らかになっていったのです。罪のないお方が、罪人たちの仕打ちを黙って耐え忍ばれることが旧約聖書に預言されています。イザヤ書53章です。交読文で読みました。

3彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。4まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。5しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」…7彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

■黙っておられたイエス様
 イエス様は黙っておられました。不法な裁判の時も、つばをかけられ、こぶしで打たれているときも。そして十字架にかけられ、苦しまれているときも。
 イエス様は、黙ってすべての人の罪を一身に負っておられたのです。このイエス様の沈黙のなかで、私たちの罪は永遠に赦されました。

22キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。23ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。24そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(ペテロの手紙第1、2章)

 イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれたことを、イエス様がご自分の体と血とをもって、私たちを神のなだめの供え物となってくださったことを覚えて、この1週間を歩みたいと思います。そして、来週、喜びをもってイースターを迎えたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年4月1日