ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年7月22日


2007年7月22日 主日礼拝説教
「神の国の広がり」(ルカによる福音書13章18節〜21節)

■はじめに
 先週、イエス様が、病の霊につかれ、18年もの間、腰の曲がった女の人をいやされたところを見ました。いやされた女の人は神様をあがめ、そこにいた人たちは、13章17節「イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ」のでした。彼らは、イエス様のみわざによって、神様の支配が目の前に起こっていることを見せられたのでした。
 イエス様は、人をサタンの支配から解放することで、神の国の到来を伝えました。しかし、イエス様による神の国の到来は、まだまだ小さい始まりにすぎなかったのでした。
 その神の国がどうなっていくのかを、イエス様はからし種とパン種の2つのたとえ話から話されました。

■からし種のたとえ

18そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。19それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」

 小さいからし種が庭に蒔かれ、生長して大きな木になると、「空の鳥が枝に巣を作る」ようになりました。そのように神の国はなるというのです。
 「聖書の植物」という本によると、このからし種は、今でも地中海沿岸地方で栽培されている「黒からし」のことだと言われています。1年生の植物で、あるものは1年で3メートルほどに生長します。茎が人の腕のようになり、秋になると鳥が種を食べにやってきます。種をすりつぶして、からしとしたり、油をとったりするそうです。
 神学校に行っていたとき、ある授業で、みんなに種を1粒ずつ配ってくれたことがありました。1-1.5ミリの大きさで、ごまよりももっと小さかったことを覚えています。
 イスラエルでは、からし種は小さいものにたとえる時に使われています。日本ではけし粒がそうですね。
 このたとえ話を聞いていた人たちは、旧約聖書の似たような話を思い浮かべることができました。それはダニエル書4:11-12とエゼキエル書17:22-24などです。ダニエル書では、バビロンのネブカデネザル王が夢の中で大きな木を見ます。それは神様が祝されて、ネブカデネザルの王国が枝を伸ばすように増え広がり、地の果てにまで支配が及ぶことを伝えたのでした。エゼキエル書では、若枝(救い主)が接ぎ木されると、その枝が生長し大きくなり、そこに翼のあるものがその枝に来るようになるというのです。救い主の支配が全世界に広がるという預言です。
 イエス様の到来で神の国は開始されました。そして、その神の国が想像もできないほど大きく成長を遂げ、世界に広がるのです。確実に神の国が大きくなることと、その生命力を感じます。

■パン種のたとえ

20またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。21パン種のようなものです。女がパン種をとって、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」

 パンはどのように作るのでしょうか。粉をねって、そこにパン種を入れてしばらく寝かせておくとふくらみ、ふっくらしてきます。それを焼いてパンができます。
 私は学生時代、夏休みに、パン工場でアルバイトをしたことがあります。配属された所は食パン部でした。流れてきた食パンの型に、油がついたほうきのようなもので塗る仕事でした。そのパン型に入れられたパンが釜の中に回っているうちに、だんだんふっくらしていく。これは機械がやってくれます。最後に大きく焼き上がった食パンが出てきます。それを型から出して、パンを棚に載せて運んでいく仕事でした。これを午前、午後の交代でやるのです。崩れたパンは食べてもいいことになっていました。焼きたてのおいしい食パンをずいぶん食べたことを思い出します。
 パン種は全体をふくらます力があります。それが神の国が持っている性質です。神の国にはいのちがひそんでおり、その力が内側に変化を与え、外側をふくらませるのです。
 3サトンの粉は39リットルの粉になります。牛乳パック、39本分です。たいへんな量の粉です。家庭では、こんなにたくさん焼くことはないでしょう。ある人の計算では、150人分のパンになるというのです。人に分けなければなくならない量です。神の国のすばらしさを、人々に分け与えていくことを教えられます。
 「ふくれる」はパン種からできた動詞です。大きな粉のかたまりがパン種のようになってふくれるというのです。パン種化して行くと言えるでしょうか。大きくなるだけではなく、すべての領域に神様の支配が及んでいくことを教えられます。

■神の国の広がり
 神の国とは、神が支配される国、永遠の天の御国です。そして、それが地上に現れたものが教会です。教会は、イエス様の十字架の死を土台として始まりました。
 十字架を前にして、使徒たちは逃げ去りました。しかし彼らは、イエス様の死と復活を目の当たりにして変えられたのでした。そのようなわずかに残った11使徒たちから始まったのがキリスト教会でした。
 イエス様は、そのように始まった教会に迫害の手が伸びることを知っていました。しかし教会は、どのような迫害、反対があろうとも、からし種のように小さくてもそこにはいのちがあるから大きな木になり、そこに鳥が宿るように、多くの人が教会に来て広がっていくのです。
 確かに、教会は広がっていきました。最初、ペテロの説教によりエルサレム教会ができました。そして、ユダヤ、サマリヤ、アジア、ギリシヤ、ローマ、そして、全世界に広がっていったのでした。今では世界の三分の一がクリスチャンであると言われていますが、たくさんの人がイエス・キリストを自分の救い主として信じ、歩んでいるのです。
 どこも、小さな教会から始まったのでした。その小さな教会から今もなお広がり続けています。そのように、神様のことばは宣べ伝えられていくのです。

■私たちの教会
 私たちは、八千代中央の駅前に「ゆりのきキリスト教会」を始めさせていただき、1年がすぎました。
 先週、千葉県にある教会を中心とした東関東中会会議が行われました。千葉県でそのように新しく始まった教会として、ゆりのきキリスト教会、京成線の臼井にある佐倉王子台チャペル、外房線の土気にある土気集会の3つがあり、みんなで応援する態勢が整えられているのです。伝道支援礼拝が9月23日に行われるのも、そのような開拓中の教会のために祈り、献金をしようという集会なのです。
 からし種1粒が大きな木になるように、私たちの教会も祝福してくださっています。それが神様の約束です。そしてパン種のように、です。教会がただ大きく広がるだけではない。内側の成長も約束してくださっているのです。
 ホームページに昨年度の活動報告を載せました。そこにある5つのビジョンを「ゆりのきキリスト教会の祈り」として、今日の週報に印刷しました。このビジョンが実現できるようお祈りしましょう。
 私は、椅子を30脚買って教会をスタートしました。まだ半分は使っていません。これから50脚、100脚を買うことができるようにと祈っています。

■信仰も大きくされる
 信仰もそうです。一人一人に神様が与えてくださった信仰も神の国の始まりでした。神様が約束してくださっています。信仰は、最初は小さいものであっても神様を礼拝し、神様に従っていく時に、その人の生涯はだんだんとすばらしい人生、大きな祝福の人生へと変えられていくのです。
 私たちに与えられた信仰は、最初は小さくて吹けば飛ぶようなものです。しかし、だんだんと成長していきます。最初はみな小さいのです。そして、必ず成長していくのです。それが神様の約束です。
 最後に今日の招きのことばを読みます。ヨハネの手紙第1,5章です。

4なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。5世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」

 ヨハネは、このように、「神によって生まれた者」世に勝っていると言いました。私たちはこれからも希望をもって進みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年7月22日