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2007年9月23日 主日礼拝説教
「主が救ってくださった」(サムエル記第一11章)
■はじめに
サムエルが年をとり引退する年になったとき、人々はサムエルに、「イスラエルにもほかの国々と同様、王を立ててくれるよう」願いました。その王様の選びを先回、9章で見ました。9章は、サウルの父が飼っていたロバがいなくなり、それを捜しに旅に出るところから始まりました。サウルがサムエルに出会い、サムエルから王として油そそがれました。
■10章について
今日は11章を読みました。10章を簡単に触れておきます。サムエルは、サウルを家に帰すとき、2つのことを伝えました。1つは、主の霊がサウルに下り、新しい人に変えられることでした(10:6)。それは、サウルがギブア(ギブアはサウルの家がある町)で預言者の一団に会った時に、サウルに主の霊が激しく下るというしるしとともに実現しました。
もう1つはギルガルに行くことでした。そこは聖地であり、主の祭壇があった所でした。ヨシュアの時代、イスラエル人たちが約束の地に侵入した時、障害となったヨルダン川の水を主がせき止めてくださり、そこを渡って向こう岸に行くことができた。それを記念して、川底にあった12の石を立てて記念とした所でした(ヨシュア記4章)。そのギルガルに行って、サムエルがいけにえをささげるためにそこに行くまで、そこで7日間待っていなさい、ということでした。
このあと、サウルは、ミツパで王として民たちに紹介されます。サウルは、ベニヤミンというイスラエルで最も小さい部族の、それほど名門ではない家族の出身でした。しかし、サウルが美しい、立派な若者であったので、人々は喜び、「王様、ばんざい」と言ってサウルを迎えました。
その後、サウルはギブアにある自分の家に帰って行きました。サウルが王となったことを喜び、サウルについて行った人たちと、何でベニヤミンから王が出るのか、この者がほんとうに王としてわれわれを救えるのかと言って、支持しなかった人たちがいました。
10章「26サウルもまた、ギブアの自分の家へ帰った。神に心を動かされた勇者は、彼について行った。27しかし、よこしまな者たちは、「この者がどうしてわれわれを救えよう。」と言って軽蔑し、彼に贈り物を持って来なかった。しかしサウルは黙っていた。」
■アモンに攻められるヤベシュ・ギルアデ
こうしてサウルは、突然、王としての歩みをすることになりました。しかし、サウルの日常は変わりませんでした。彼は、ギブアの家に帰り、農作業に精出すのでした。
1その後、アモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」
「その後」とは、10章の最後から1か月くらい後と言われます。アモン人が「ヤベシュ・ギルアデ」に攻めてきました。
アモンは、ヨルダン川の東に住んでいた種族でした。モーセの時代、イスラエル人は、アモン人の領土に接していたギルアデの地域を占領しました。そこをモーセは3部族(ルベン、ガド、マナセの半部族)の住む所としました。それ以来、アモンとイスラエルは国境を接することになり、しばしばアモンがイスラエルに侵入し、いざこざを起こしていました。
攻めて来たアモン人の王は「ナハシュ」です。ヤベシュ・ギルアデの人たちは、アモンに降伏しようとしましたが、アモンから「目をえぐり取る」ことを要求されます。
「ヤベシュ・ギルアデ」の人たちは、それを聞いて、驚き、「7日間、待ってください。イスラエルの国中に使者を送って助けを呼びたいので」と、アモンに願います。アモンは、よくそれを許したと思いますが、「どうせ助けなど来ない。イスラエルは腰抜けだ。来てもたいしたことがない」とばかにしていたのです。
■助けを求めるヤベシュ・ギルアデ
ヤベシュ・ギルアデの使者たちはヨルダン川を渡り、サウルの住むキブアにやってきました。しかし、「ギブア」の人たちは、声を上げて泣くだけで立ち上がろうとはしませんでした。
そこへサウルが「畑から帰って」来ました。サウルはまだ畑仕事をしていたのです。人々は、サウルがペリシテとの戦いに本当に勝つことができるのか、それがいつなのか眺めていたのです。そこに、降ってわいたようなチャンスがやってきました。ペリシテに比べたら、ずっと格下のアモンとの戦いでした。
「自分は王である。自分がしなくてだれがする。畑仕事をしている場合ではない」と、サウルの決意は怒りとなりました。その思いを主が見てくださり、サウルに神の霊を送られました。神の霊によって、サウルの怒りは、さらに燃え立たせられました。神様の怒りとサウルの怒りが一つとなりました。
神様の怒りは「全イスラエルにそしりを負わせよう」と言ったアモンのことばにありました。「イスラエルは神の民であり、イスラエルのそしりは、神へのそしりとなる。今こそ戦いは、神へのそしりをすすぐ時だ。全イスラエルよ、今こそ立ち上がれ!」
■サウル、全イスラエルを招集する
7彼は一くびきの牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言わせた。民は主を恐れて、いっせいに出て来た。
これは、かつて行われたイスラエルの全部族を招集する方法でした。民たちは、サウルの怒りと神様の怒りに恐れました。「男はみんな、手に何でも良い、武器をもって集まれ!」サウル王の怒りの招集に対して、全イスラエルは立ち上がりました。
兵士たちが続々とギブアにやってきました。彼らは、サウルを恐れてではなく、「主を恐れて」やってきたのです。彼らは信仰によって、「ひとりの人のように」(直訳、欄外注)1つとなりました。
彼らは「ベゼク」に向かいます。ベゼクはヨルダン川をはさんで、ヤベシュ・ギルアデの対岸の町です。その数「イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人」、合計33万人でした。
使者たちは、「ヤベシュ・ギルアデ」に、援軍がやってくるという知らせをもって戻っていきました。「あすの真昼ごろ」助けが来る。それは、ちょうど約束の7日目であったでしょう。
アモンには、「あす、あなたがたに降伏します」と告げます。アモンを油断させるためです。
翌日になりました。サウルは、イスラエルの兵を3つに分けます。イスラエルがよく使う戦法でした。かつて士師ギデオンが、兵士にたいまつ、つぼ、ラッパを持たせて3つに分けました。人数を多く見せる戦術でした。また、おとりが敵を陣地から誘い出させ、その側面を突き、さらに空になった敵陣地を伏兵が襲うという攻撃も、イスラエルがよく使う戦術でした。
サウルは、アモンが油断している夜明けをねらって攻め込みました。正午までに戦いは終わりました。サウルの軍事的指導者としての才能が人々に明らかになりました。
■主がイスラエルを救ってくださった
圧倒的な勝利を得て、サウルの側近たちからサムエルに声があがりました。サウルが王になったとき、サウルの力を疑った人たちがいました。「その者たちはけしからん、死刑にしよう」というのです。それに対してサウルは答えます。
13しかしサウルは言った。「きょうは人を殺してはならない。きょう、主がイスラエルを救ってくださったのだから。」
「主がイスラエルを救ってくださった。」サウルは、きょうはすばらしい日だ。だれも殺してはならない。この勝利は自分の力ではない、主によるものであると宣言したのでした。このことばによって、民たちは、戦いが信仰によって、神の助けによって勝利したことに目が開かれました。「すべての者」がサウルを王として認めました。
サムエルが言いました。「ギルガルに行こう。そこで王権創設の宣言をしよう、国を立てよう」と。「ギルガル」はイスラエル全部族にとっての聖地、大切な記念の地でしたね。
イスラエルにとって、理想の王が実現しました。戦いを勝利に導く王、しかも信仰によって、神の導きを受け入れる王が立てられました。神のみこころによって進んで行く国。イスラエルは、それにふさわしい王を戴いたのでした。
サムエルは、続く12章で、サウルの後見人としての立場から引退していきます。それ以後、神のみこころに反するような、サウルの行動が始まります。それは次回以降で明らかになっていきます。
■まとめ
今日のテーマ、「主が救ってくださった」ことを覚えましょう。招きのことばはイザヤ書12:2でした。
「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。」
ヤハとは主「ヤハウエ」を短くした言い方です。
神様が救いの源であること(神は私の救い)を賛美し、そして救いをもたらすお方であった(私のために救いとなられた)ことを歌っています。イザヤは、このことばをユダの人たちに語りました。人々は、イザヤのことばを聞いて、イスラエルが危機のとき、前にも後ろにも進めなくなったとき、神様によって救われたことを思い出したのです。
イスラエルが、そのような最大の危機が訪れたのは、出エジプトの時でした。60万人以上の人たちが、奴隷として働かされていたエジプトから、神様の約束の地を目指して出発しました。彼らはまもなくして紅海にたどりつきます。紅海を前にして、宿営していた時です。エジプトの全軍勢が、王パロのもと追跡してきました。イスラエルは絶体絶命。前は海、後ろはエジプトの軍隊です。そのときモーセが人々に言ったことばがこれでした。
出エジプト記14章「13恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
海は2つに割れ、そこをイスラエルの民は渡ることができました。後を追ったエジプトの軍勢は、戻った海にのまれて滅ぼされてしまいました。
これが彼らの信仰の原点でした。後の詩篇の作者、預言者たちが、イスラエルが敵に攻められた時、苦難にあった時、出エジプトの時に神様がしてくださったみわざを思い出し、神に立ち返るようにと伝えたのです。
マーセの感謝の歌です。イザヤ書12:2と比べてみてください。
出エジプト記15:2「主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。」
私たちの歩みのなかでも、苦しい時、つらい時、悲しい時、主に助けを求めたい時があったことでしょう。そのような時、いつも主が助けを送ってくださいました。これからも助けてくださるのです。そのことを覚え感謝したいと思います。
詩篇はその感謝であふれています。そのうちのいくつか紹介して終わります。
詩篇34:6「この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。」
詩篇55:16「私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。」
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