ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年10月14日


2007年10月14日 主日礼拝説教
「神にゆだねる信仰」(サムエル記第一13章)

■はじめに
 イスラエルの最初の王になったのはサウルでした。サウルは、サムエルによって王として人々に紹介されたが、まだ王として皆に受け入れられたわけではありませんでした。
 そこに、隣国アモンがヤベシュ・ギルアデを襲って来ました。サウルはイスラエル中に檄を飛ばしました。「イスラエルの男は、みなヤベシュ・ギルアデを守るために集まれ!」
 こうして始まったイスラエルとアモンの戦い。サウルは、この戦いで大勝利を収めました。サウルは人々から大きな信頼を得ました。「サウルこそ我らの王だ!」サウルは、王としてギルガルで正式の即位式を行いました。そこまでが前回の11章でした。

■サムエルの引退
 その後サムエルは、民の先頭に立つ政治的指導者から引退します。サムエルは人々に最後のことばを語りました。それが12章に語られています。サムエルは最後にこう結びます。

12章「24ただ、主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。25あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。」

 サムエルはこれ以後、神様の前に立つ預言者、祭司の働きを務めることになります。

■サウルの軍隊
 13章に入ります。いよいよサウルのイスラエル王としての歩みが始まりました。サウルの生涯は、ペリシテ人との戦いの明け暮れでした。その最初の戦いが13章で語られます。

1サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった。

 王に即位した時の定式文です。「だれだれは○歳で王となり、○○年間王であった」と。それはエルサレムが崩壊するまで続きます。
 さてサウルが最初にしたのは常備軍を持つことでした。ペリシテとの戦いが待っていました。ペリシテはイスラエルのあちこちに侵入し、要所要所に駐屯部隊を置いていました。サウルは、まず3千人の精鋭を選抜しました。アモンとの戦いに当たった兵士たちであったでしょう。
 2千人は、サウルが、ギブアの北側からベテルに至る地域に、千人はサウルの息子ヨナタンが、サウルの本拠地ギブアに配属されました。選抜からもれた残りの者たちは家に帰されました。
 まずヨナタンが「ゲバにいたペリシテ人の守備隊」を攻め、「守備隊長」を殺しました。ゲバにいたペリシテの守備隊は油断していたでしょう。たかだか3千の軍隊であり、イスラエルは満足な武器を持っていなかったからです。
 19節以降に説明されているように、イスラエルは満足な武器を持っていませんでした。イスラエルは鉄を持っていなかったのです。持っていたのは、サウル王と王子のヨナタンだけでした。考古学的に言えば、イスラエルは青銅器時代のままであった。

■ペリシテとの戦いが始まる
 ヨナタンが「ゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した」ことによって、ペリシテとの戦いが始まりました。サウルは角笛を吹き鳴らしました。サウルは国中に、「戦いが始まる、町や村に帰っていた者たちも集まれ!」と告げました。こうしてイスラエル人は、サウルの呼びかけによって、サウルが陣を敷いていた「ギルガル」に集まってきました。ギルガルはサウルが王として即位した地でしたね。
 一方ペリシテです。ペリシテの戦力はイスラエルに比べて桁違いです。装備も人数も圧倒していました。ペリシテは、「ミクマス」に陣を敷きました。ミクマスはペリシテの手に落ちました。
 イスラエル軍は逃亡を始めました。ほら穴に、岩陰に逃げ込みました。ヨルダン川を渡って、「ガドとギルアデの地」へ逃げて行った者たちもいました。サウルに従っていた者たちも、震えながらギルガルにとどまっていました。イスラエル軍は全滅寸前でした。ギルガルの者たちも、今にも逃げ出そう、逃げ出したいと思っていました。

■サウルがいけにえをささげる
 サウルはこの時、あることを待っていました。それが来れば、情況が変わり、勝ちに転じるかもしれない。

8サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。

 「ギルガル」にサムエルが来ることになっていました。サムエルさえ来てくれたら、サムエルが来ていけにえをささげ、戦いのために祈ってくれたら、この苦難を救ってくれる。
 しかし、約束の7日目になってもサムエルはなかなか来なかったのです。待っていた民たちは、がまんできなくなりました。1人去り、2人去り、全軍が去って行きそうになりました。そこで、サウルはサムエルが到着する前に、「全焼のいけにえと和解のいけにえ」を自らの手でささげました。それは、神の祭司しかできない行為でした。ところがです。
 いけにえをささげ終わるや否や、サムエルがギルガルに到着しました。サムエルは約束した7日目にギルガルにやって来たのでした。それは「ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき」でした。「ちょうど、そのとき」、これは神の時でした。
 これはサウルに対する神の試みでした。サウルは、何事もなかったようにサムエルを迎え、あいさつをします。

■サウルの王国は立たない

11サムエルは言った。「あなたは、なんということをしたのか。」

 サウルは神の権威、神のことばに真実をもって従うことをしませんでした。サウルにとって、神の名によって戦うと言っても、神が助けてくださると言っても、それは民を鼓舞するだけのもの、民を一致させるための方便であったのかもしれません。アモンとの戦いのときは、サウルは神様の助けによって勝利したと信じたように見えました。
 サウルの言い訳です。「それはやむを得なかったことです。民が私から離れ去って行こうとしている。」「あなたも定められた日にお見えにならない。」そして、「今にもペリシテ人がギルガルの私のところに攻め寄せようとしている」と。
 サウルは、全焼のいけにえなしに主に嘆願することができました。神様に祈ることができたのです。サムエルの母となったハンナもそうしました。
 サウルは、本当に大切なことを忘れてしまったのでした。形ではなく、真実の思いをもって神様の前に出ることでした。

13サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。14今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。」

 サウルは神様に従いませんでした。サウルは、自分の力で乗り切ろうと思いました。しかし、その代償は厳しかったのです。そんなに厳しいのですか、と言われるほどでした。「あなたの王国は立たない。」サウル王朝はない、1代限りである、とサムエルに言われました。
 イスラエルでは神が王であり、王も神のみこころに従うのです。それが他の国の王とは違うものでした。
 サウルにとってまだ機会が残されていました。サウルは悔い改めて、神に助けていただくチャンスがありました。しかし、サウルはそれを逃してしまうのです。

■ペリシテとの戦いはどうなったか
 サウルが「ゲバ」に陣地を構えたとき、サウルに従う者は600人にまで減っていました。谷をはさんで、イスラエルとペリシテは向かい合いました。
 ミクマスにいたペリシテは軍を3つに分けました。北のオフラに、西側の「ベテ・ホロン」に、東側は死海に近い「荒野のほうツェボイムの谷」に展開しました。いよいよ戦いが始まります。

23ペリシテ人の先陣はミクマスの渡しに出た。

 ペリシテは、イスラエルを討とうと谷を渡ろうとしています。イスラエルはどうなるのでしょうか。ここまでが13章です。
 どうなったか。それは14章になります。王子ヨナタンは、主が助けてくださるという信仰を持っていました。ヨナタンは、ペリシテの陣地に近づいていきました。隙があると見て、ヨナタンと若い従者の2人で、切り立った崖を上り、決死の突入をしました。そこで20人を打ち取ったのです。
 ペリシテは何が起こったのかわからず、恐れが生じ、一斉に逃げ出すのです。それは、神様の助けによるものでした。

14:23「こうしてその日、主はイスラエルを救い、戦いはベテ・アベンに移った。」

 神はイスラエルを見捨てていませんでした。王子ヨナタンの信仰と勇気によって、イスラエルは救われたのです。

■まとめ
 サウルは情況に流され、神様に従わず、自分の知恵で良いと思ったことをして失敗しました。サムエルに問われたとき、悔い改めることもなく弁明に終始しました。
 自分は悪くない。民が離れていった。自分は悪くない。サムエルが早く来なかった。自分は悪くない。ペリシテがもう攻めて来る。
 サウルの次の王となったダビデも同じような情況に立たされたことがありました。自分の家来の美しい妻(ウリヤの妻バテ・シェバ)を見て好きになり、バテ・シェバを王宮に呼び入れ、自分のものにしてしまったのでした。家来のウリヤを殺すという罪も犯しました。王がしたことであり、ダビデの罪はそのまま見過ごされそうになりました。ところが預言者ナタンがその罪を指摘したのでした。そのときダビデはどうしたでしょうか。ダビデは、すぐに「私は主に対して罪を犯しました」と言って神様に悔い改めたのでした。
 弁明に終始したサウル。罪を認め、悔い改めたダビデ。ダビデの王朝は400年続いたのでした。
 またサウルは、神様が力あるお方であることを忘れ、神様への信頼を失いました。サウルは、600人が300人になっても、たった1人になっても、ペリシテをひっくり返す力を神様は持っておられることを忘れてしまったのです。
 1人で450人のバアルの預言者に立ち向かったエリヤがそうでした。300人を率いて戦ったギデオンもそうでした。ギデオンは何千、何万もいる敵に勝つことができたのでした。
 途方に暮れた時、絶体絶命の時。それは神に向き合う時でもあります。神の時です。その時、神様のみこころは何かを求め、神にのみ従う信仰を持ちたいと思います。神様は必ず助けを与えてくださいます。
 神様にゆだねる信仰を、きょう、サウルの失敗から思いめぐらしたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年10月14日