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2007年12月2日 主日礼拝説教
「きょう、救いがこの家に来ました」(ルカの福音書19章1節〜10節)
■エリコのザアカイ
1それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。2ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
イエス様がエリコに入って来られました。イエス様のお話を聞こうと、大勢の群集がイエス様の回りを取り囲んでいました。
この町に、「ザアカイ」という人がいました。彼は、「彼は取税人のかしらで、金持ちであった」と紹介されています。ローマの税金の徴収法は、今まで何度かお話ししました。ローマは、町の有力者に税金の徴収を請け負わせていました。納める税金額が決まっていて、それ以上の額を取税人が徴収してもローマは関知しない。ですから、取税人はその差額を自分のものにすることができたのです。
エリコという町はヨルダン川の西側にあり、交通の要衝にありました。ヨルダン川の東から入ってくる物資や人々は、このエリコを通りました。ここに関所を設け、通行税を徴収していました。
ザアカイはその取税人たちのかしらでした。取税人を使って税をきびしく取り立て、だれよりも多くの差額を受け取っていたのです。
ザアカイにとってはお金がすべてでした。地位があがり、権力を持つこと。それこそ自分の人生の目的であると一心に走ってきました。彼は、ある讃美歌の歌詞にあるように、「町一番の嫌われ者」になってしまいました。彼はそれでもいいと思っていたでしょう。自分が選んだ人生だったからでした。
■イエス様のことを知る
ところが、ザアカイはイエス様のことを聞きました。イエス様は、彼と同じ取税人であったマタイを呼ばれたのです。そして、マタイは取税人をやめ、イエス様の弟子の一人になりました。
取税人だからと言って差別しない、嫌わない人がいることを知ったのです。そればかりか、親しく友となってくださった。イエス様は、「取税人、罪人の仲間」と言われていたのでした。
それを知ったとき、ザアカイもそうなりたいと思いました。ザアカイは自分の生活を見て、自分の心を見て、本当に欲しいものが見えてきたのでした。ひたすらお金を稼ぎ、地位をあげることに情熱をそそいできたザアカイ。その生き方に疑問を抱いたのです。
ザアカイの心は平安ではありませんでした。彼は、自分の寂しさ、孤独に直面したのです。彼は自分が変わりたいと思いました。
■イエス様がエリコにやって来る
そんなときにイエス様がエリコにやって来ました。ザアカイはイエス様を見るだけでいい。その方のお話を聞くだけで何か解決が与えられると思いました。そう思い立つと、ザアカイはイエス様に会いに行きました。このチャンスを逃したくなかったのです。
3彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
着いてみると、イエス様の周りはすでに人々でいっぱいでした。「群衆のために見ることができなかった」のです。悲しいかな、彼は背が低かったので、群集の後ろからのぞこうとしても見ることも前に出ることもできなかったのです。「前に出させてください」と頼むことができなせん。ザアカイは自分が嫌われていることを知っていたからです。
イエス様を見たいのに、それがかなえられない。それでもザアカイはあきらめなかった。彼は決してあきらめなかったのです。
■ザアカイは木に登る
それでザアカイはどうしたでしょうか。
4それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
ザアカイはなんとしてもイエス様に会いたかった。その思いが「前方に走り出て、いちじく桑の木に登る」ことになりました。
ザアカイが走りました。取税人のかしらと言われた男が走りました。しかも木に登ってまでしてイエス様を見たいと思ったのです。大人になってから木に登るのは大変です。ザアカイはエリコの町の有力者でした。彼のことはだれもが知っていました。彼は恥も外聞も捨てました。彼は、取税人のかしらという大事にしていたプライドを脱ぎ捨てたのです。
■イエス様がザアカイを呼ばれる
そのザアカイの思いと行動をイエス様が見てくださったのです。イエス様はその信仰を見てくださいました。
5イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
イエス様が木の下を通りかかりました。ザアカイは「イエス様、こっちを見てください」と叫んだわけではありませんでした。それが、先週お話したバルテマイとは違いました。バルテマイは、「あわれんでください」と叫び立てたのでした。
ザアカイはイエス様を見るだけ会うだけで、それ以上は望んでいなかったでしょう。ところが、イエス様はザアカイの願い以上のことをしてくださいました。イエス様のほうから木を見上げて、ザアカイを見つけ、「ザアカイ」と呼んでくださいました。イエス様は「ザアカイ」という名前をすでに知っていたのです。
イエス様は言われました。「きょう、泊まることにしてあるから」と。イエス様の思いの中に、すでにエリコのザアカイの名前と、きょうの予定があったのでした。それは神様の救いの計画でした。イエス様は、父なる神様のみこころを知り、ザアカイの家に泊まることにしていたのでした。イエス様は、泊まってザアカイの友となろうと言ってくださいました。きょうが、ザアカイの救いの日になるのです。
6ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
言われたザアカイはびっくりしました。そこまで考えていなかったのです。ザアカイは木から降り、喜んでイエス様を家に迎えました。
■きょう、救いがこの家に来ました
ザアカイは、イエス様を家に迎えただけではありません。イエス様を自分の救い主として迎えたのです。ザアカイは変わりました。「きょう、救いがこの家に来た」のでした。
7これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
これを見ていた人たちは、イエス様のなさったことを知ってつぶやきました。「なんでザアカイが」と「みな」が思うほど、ザアカイは嫌われていました。それに対してザアカイは言います。
8ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
ザアカイは新しい人になりました。「立って」とは決意の現れです。彼は財産の半分を施しに使うことをイエス様に伝えました。そして、自分がだまし取っていたものを4倍にして返すと言いました。ザアカイにとって、イエス様に会ったことがそれほどの喜び、恵みであったのでした。
■アブラハムの子
9イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
ザアカイも神様のあわれみの中にいた者でした。約束の子、「アブラハムの子」でした。アブラハムとはユダヤ人の先祖であり、神様は、アブラハムの子孫を空の星のように増やし、救ってくださると約束してくださいました。その約束を神様は忘れることなく、ザアカイを見つけ出し、救いの囲いの中に入れてくださったのです。
私たちも「アブラハムの子」です。信仰によるアブラハムの子孫と言われています。私たちは、神様の救いの約束の中に入れられていたのでした。
■失われた人を捜すために
10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
「人の子」とは、救い主イエス・キリストのことです。イエス様は失われた人を救うために来てくださいました。失われた人とは、は神様の前に罪人である私たちです。それを捜し出し、救ってくださいました。
ザアカイもそうでした。彼は罪を犯し続け、神様から失われていました。ザアカイは人からも失われていました。だれからも相手にされなかったのです。
ザアカイはまた、自分はこれでいいと思っていました。人から嫌われていてもいい、それで少しも寂しくないと思っていました。
しかしザアカイは、自分の心を知ってくださっているイエス様に呼ばれたとき、地位と財産を持ちながら、人々から疎外され、孤独と寂しさの中にある自分の悲しみを知ったのでした。そして、新しい喜びの生き方があることを知ったのでした。
「失われた人を捜して救うために来た」イエス様の熱心さは、十字架でもっとも現されました。
ローマ人への手紙5:8「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
ザアカイへの非難はイエス様が負ってくださいました。彼はイエス様が救い主であることを信じ、罪を告白します。「きょう、救いがこの家に来た」のです。そして、ザアカイは、自分を受け入れてくれなかった人たちを自分のほうから受け入れたのです。
「失われた人を捜して救うために」イエス様は生まれてくださいました。今週も、救われた喜びをもって神様の恵みの中を歩きたいと思います。
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