ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年1月6日


2008年1月6日 主日礼拝説教
「初めの愛に立ち返る」(ヨハネの黙示録2章1節〜7節)

■はじめに
 ヨハネの黙示録は、預言や黙示、幻などを通して、しかもそれが象徴的に書かれているので、何のことかよくわからない個所がたくさん出てきます。
 しかし、そのなかでも、2章、3章はわかりやすいところで、「エペソ」など7つの教会にあてた手紙がまとめられています。今のトルコ、小アジヤにある教会です。地上の教会がこれから直面する問題にどう対処したらよいかを、それらの手紙は教えています。そのような7つの手紙の第1の、エペソ教会にあてた手紙を見てみたいと思います。

■エペソの教会とは

1エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。

 エペソは、アジヤ州と言われていた地方の最大の都市であり首都でした。エペソにある「教会の御使いに書き送れ」となっています。文字どおりの「教会の御使い」ではなく、「教会の一人一人」、あるいは、「教会」そのものを指していると考えられます。
 エペソ教会は、パウロの伝道によって生まれた教会です。エペソ教会は、パウロのあと、パウロの弟子のテモテが牧師となり、黙示録を書いたヨハネもエペソ教会の牧師として働き、エルサレム教会、アンテオケ教会に次ぐ教会となりました。
 エペソ教会がこの手紙を受け取った時は、パウロが最初に訪問してからすでに40年はたっていました。教会は、新しい世代になっていたのです。そのような教会に語りかけます。
 「右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩くお方」とは、教会を治め、教会を常に見守っておられる神様のことです。

■神様は私たちのことを知ってくださる

2わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。

 「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。」まず主は、エペソ教会のしてきたことを認めてくださいました。神様が知っておられる。私たちは神様に知られている。これは、私たちにとって大きな励ましです。「私たちの行いと私たちの労苦と忍耐」を知っていてくださる神様は、すべてをご存じであられるのです。
 そして、主は、エペソ教会の霊的な判断力もほめてくださいました。悪い者たちの偽りを見抜いたからです。パウロは、エペソ教会を去る時に教会の長老たちにこう語りました。

使徒の働き20:29-31「私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、目をさましていなさい。」

 エペソの教会は、目をさまして、このパウロのことばを守り通しました。ですから、そのための「労苦」や「忍耐」もあったのでしょう。それは、6節でも言われています。

6しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。

 「ニコライ派」がどのような教えであったのか今は分かっていません。キリスト教とは相容れない教えであったと思われます。エペソ教会は、彼らを受け入れませんでした。厳格な態度をとった、「憎んだ」とあります。その潔癖さを神様がほめておられるのです。

3あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

 エペソの教会が「忍耐」したのは、キリストの「名のため」でした。私たちがキリストのゆえに耐え忍ぶことは、喜びでもあります。

ローマ人への手紙5:3-5「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

 エペソ教会は、主を待ち望んで疲れることがありませんでした。

イザヤ書40:29-31「疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

 神様は私たちのことを知ってくださり、私たちも希望をもって歩むことができるのです。それは、疲れることのない歩み、神様が力を与えてくださる歩みです。しかし、このように賞賛された教会も、ひとつ非難されることがありました。

■初めの愛に立ち返ること

4しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

 エペソ教会は、知的、霊的、信仰的に成長しました。しかし、「初めの愛から離れてしまった」というのです。初めの愛とはどんな愛でしょう。
 使徒パウロが獄中からエペソの教会に書き送った手紙の中で、しばしば愛について語っているところがあります。その個所をいくつか読んでみましょう。

エペソ人への手紙3:17-19「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」

エペソ人への手紙5:1-2「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」

 神様がどんなに深く、エペソの教会を愛しておられるかが私たちにも伝わってきます。
 その「初めの愛から離れてしまった」のです。しかし神様は、一度愛した者を絶対に捨てることがありません。神様は、永遠に私たちを捨てることのないお方です。

創世記28:15「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」 

 それにもかかわらず、私たちのほうで神様の愛から離れてしまったと感じたらどうすればいいのでしょうか。それが、次の5節にあります。

5それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

 初めの愛に立ち返るために、「どこから落ちたかを思い出し」、「悔い改めて、初めの行ないをしなさい」というのです。「初めの行ない」とは、私たちが、悔い改めて、神様に従う決心をしたことです。今までの生活から、神様の愛に生きるように願い、方向を変えていく。そう決心したことです。
 私たちは「初めの愛から離れてしまう」ことがある。それは、神様もご存じのことです。私たちは、つまずき、倒れることがあります。誘惑に負けることもあります。
 神様は、負けてしまったことをとやかく言うお方ではありません。負けても倒れても、「私はお前を愛しているよ」と言ってくださるお方です。私たちがすることは、「初めの行ない」を思い出し、そこに立ち返ることです。
 もうだめだと思われるようなときも、もう一度神様を仰ぎ見るのです。そうするとき、神様は奇蹟のように道を開いてくださり、私たちをまた立ち上がらせてくださるのです。
 神様は愛の神様です。私たちの罪を神子イエス様の十字架の死によって赦してくださったお方です。

ヨハネの手紙第1、4:9-10「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」

 私たちは、いつもここに戻ってくるようにと招かれています。私たちが救われた喜びに戻りさえするなら、私たちはいつまでも祝福されて、神様と共に歩み続けることができるのです。

■神様の約束

7耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」

 「勝利を得る者」に対する約束が語られます。私たちは「勝利を得る者」と言われます。

ヨハネの手紙第1、5:4-5「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」

 神様は、イエス様を神の御子と信じ、罪赦された者に「いのちの木の実を食べさせよう」と言われます。
 イエス様を神の御子と信じる者たちには、この世では勝利ある者と呼ばれ、来るべき神様の国で「いのちの木の実」にあずかるというすばらしい特権が与えられるのです。
 神様は私たちのことを知ってくださり、私たちは希望をもって歩むことができます。
 神様は、初めの愛に立ち返るようにいつも願っておられます。
 神様は、私たちに勝利を得る者、いのちの木の実にあずかる者としてくださいます。
 これが神様の約束です。この神様の約束を信じて、今週も歩みたいと思います。最後にユダの手紙から読みます。

ユダの手紙20-21「しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年1月6日