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2008年2月3日 主日礼拝説教
「神のものは神に返しなさい」(ルカの福音書20章20節〜26節)
■はじめに
イエス様がエルサレムの神殿で人々にお話ししていたときに、イエス様のところにユダヤ教指導者たちがやってきて質問をしました。ここから続く2つに質問は、どう答えてもイエス様を陥れることができる巧妙なものでした。今日は納税すべきかどうかです。
■間者を送る
前回の「ぶどう園と悪い農夫のたとえ」に続いています。主人が送った愛する息子を殺してしまった農夫たちがいました。その農夫は、イエス様を捕らえ、殺そうとしている祭司長、律法学者たちでした。それを聞いた彼らは、イエス様を捕らえようとしました。しかし民衆の手前、すぐにそれができなかったのでした。
20さて、機会をねらっていた彼らは、義人を装った間者を送り、イエスのことばを取り上げて、総督の支配と権威にイエスを引き渡そう、と計った。
「機会をねらっていた」律法学者、祭司長たちは、今度は間者を送りました。しかも、21節にありますように複数の間者です。ルカの福音書は「間者」ですが、マタイ、マルコの福音書によると、パリサイ人とヘロデ党の者たちがイエスのところに行った、とあります。
パリサイ人は、律法を厳格に守ろうとする人たちです。ヘロデ党とは、かつての栄光あるヘロデ王家を復興したと考えていた人たちで、この世的な政治集団です。相対する立場にある者たちが手を組んで、イエス様のもとにやってきました。イエス様は、彼ら双方にとってイエス様は邪魔な存在だったのです。
■カイザルに税金を納めること
まず間者は、イエス様に対して好意的な様子を示し、ズバリ、核心をついた質問をします。
22ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」
カイザルとはローマの皇帝のことで、当時はティベリウス(ルカ3:1「テベリオ」)が皇帝でした。イスラエルはローマの支配下にありましたので、ローマに税金を納めなければなりませんでした。それは人頭税で、一人いくら、と全員にかけられていたものです。
そのための人口調査が行われましたが、税金をローマに払いたくないということで、反乱がたびたび起こっていました。人口調査のときに、ガリラヤのユダが立ち上がったということが、使徒の働き5:37に出てきます。熱心党というグループがその運動を指導していました。それは、ローマにとって危険思想でした。
税を納めること、それ自体は何も問題ではありません。これは、イスラエルでもサウル王・ダビデ王の時から決まっていたことでした。問題は、支配者が外国である場合に納めてもいいかどうかです。
これは、律法にはっきり書かれていなかったことでした。パリサイ人は、異邦人には税金を納めるのはふさわしくないと思っていました。ヘロデ党は、ローマによってヘロデ家を再興したいと思っていたので納めなければならないと思っていました。
イエス様が、税金は納めるべきではない、皇帝反対と答えるならば、ローマへの反逆罪で訴えることができる。彼らは、それによって捕らえ、ローマ総督に渡そうと考えていました。もし納税を認めれば、民衆の支持を一気に失ってしまいます。イエス様を逮捕しても、だれも反対しません。イエス様を死刑にすることが可能になるのです。
■デナリ銀貨
しかしイエス様は、彼らのたくらみを見抜かれ言われました。
24「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。
「デナリ銀貨」とは1デナリ銀貨のことです。新改訳聖書欄外に書いてあります。当時の1日分の労賃に相当します。雇い人が日給を支払う時に、これ1枚を渡せばいい。また納税も、年に1デナリの税金であったので、当時、最も流通していた銀貨であったと言われています。
彼らは、イエス様に1デナリ銀貨を見せました。そこには、皇帝の横顔と、皇帝の名前が刻まれていました。パリサイ人は、本当は持つことさえいやな銀貨でした。それは、刻んだ像を造ってはならないという第2戒に触れていからです。
イエス様はその像と銘を指しながらでしょう、「だれの肖像ですか」「だれの銘ですか」と問われました。簡単な質問です。彼らは「カイザルのです」と答えました。するとイエス様が答えます。
25すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
■カイザルのものはカイザルに
イエス様の答えは2つです。1つ目は「カイザルのものはカイザルに返しなさい」です。イエス様は、「皇帝に税金を払いなさい」と間接的に言ったのです。
日常生活でこの銀貨を使う者は、この銀貨を作った国の政治的支配下にあり、そして経済的支配下にあることを認めていることになります。その支配の恩恵にあずかっているのです。国家の法律や貨幣制度によって秩序や生活の快適さを得ているのなら、その国家から課せられた義務を果たしなさいというのです。
イエス様は、彼らの意図が、言葉じりを捕らえようとしていたことがわかっていたので、「カイザルのものはカイザルに返しなさい」ということばで伝えたのです。
これは国家の権威、為政者の権威を認めるものです。私たちは、この世界のすべての背後に神様の主権、神様のご計画があることを認めるからです。聖書はこのように教えています。
ローマ人への手紙13:1,7「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。……あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。」
ペテロの手紙第1、2:13-14「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。」
しかし、それは政治的分野のみです。そのような国家も、神様の領域に及んだとしたら、国家に抵抗し、神に従うのです。そのことをペテロも、福音を伝えることを禁じられたとき、はっきりと述べました。
使徒の働き4:19「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」
使徒の働き5:29「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。」
■神のものは神に返しなさい
2つ目にイエス様は、神のものを神に返しなさい、と言われました。神のもの、神の像が刻まれたもの、それは何でしょうか。それは神様が造られたものです。私たち人間は、神のかたちにつくられた、と聖書は語ります。
創世記1:26「そして神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
私たち人間には、神様によって造られたとき、神のかたちが刻みつけられているのです。私たちは神様のものです。神様が私たちに対して主権を持っておられます。
神の像が刻まれた私たち自身を神様に返しなさい。神様に、私たちの生き方をゆだねなさいと言っているのです。それは、造られた者が造ったお方への感謝の表れです。
神様が造られたものは人間だけではありません。この世界、自然すべてです。そこにも神様のしるしが刻まれています。それも神様に返すものです。そして、神様は私たちに、この造られたものを支配するように命じられています。それを大切に管理するように言われているのです。
■訴えられたイエス様の罪状
26彼らは、民衆の前でイエスのことばじりをつかむことができず、お答えに驚嘆して黙ってしまった。
パリサイ人たちは、黙って引き下がってしまいました。しかし、結局は、彼らは、「イエスは納税を禁じ、自分が王であると言っている」とローマ総督ピラトに訴えました。
ルカの福音書23:1-2「そこで、彼らは全員が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そしてイエスについて訴え始めた。彼らは言った。「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。」」
彼らは、イエスが熱心党と同じ危険思想を持っており、ローマ皇帝に代わって王になろうとしている、反乱を起こそうとしていると訴えたのです。反逆罪しかイエス様を死刑にする道がなかったからでした。しかしイエス様は、自分が王であること、それもこの世のものではない国の王であることを言っただけで、それ以外はいっさいお話しなさらなかったのです。
イエス様は十字架への道を歩まれました。それは、このイエス・キリストの十字架が私たちの罪のためであり、そのことを信じる者に、永遠のいのちを与えてくださるためでした。
イエス様は言われました。「神のものは神に返しなさい」と。神のものである私たちは、罪赦された喜びと神と共に歩む感謝の毎日を過ごしたいと思います。聖餐式で、私たちの罪が十字架で赦されたことを覚えて、共に式にあずかりたいと思います。
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