ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年4月27日


2008年4月27日 主日礼拝説教
「神は生きておられる」(サムエル記第一25章)

■はじめに
 ダビデはサウルの追手を逃れ、600人の家来を引き連れ、ユダの山地や荒野を転々としていました。そのとき、食物はどう得ていたか。今日の個所から、その事情を知ることができます。ダビデは、裕福な農夫の土地や収穫物を守り、その見返りを生活の糧にしていたのでした。
 今日の登場人物は、ナバルとアビガイルの夫婦です。愚かなナバル、その意味は「愚か者」という意味です。両親がつけた名前ではなく、あだなであったでしょう。彼は「頑迷で行状が悪かった」と言われています。一方、妻のアビガイルは「聡明で美人であった」と紹介されています。

■ナバルに使いを遣わす
 まず1節でサムエルが死んだことが告げられます。ダビデをサウルの次の王として選び、ダビデにそのしるしである油を注いだ、その人がなくなってしまったのでした。
 「羊三千頭、やぎ一千頭」を持っている裕福な農夫ナバルは、「羊の毛の刈り取りの祝い」をすることになりました。宴会を開くのです。それをダビデが聞き、「十人の若者を遣わし」ました。
 それは、ダビデがナバルのしもべたちと、ナバルの財産である羊を外敵から守っていた報酬を求めた使いでした。ダビデにとっては、それは当然の要求でした。今日の「羊の毛の刈り取りの祝い」に何かわけてもらいたい。ダビデは、ナバルに対して「あなたの子ダビデ」にと、あたかもナバルの家来であるかのようなことばを使ってお願いしたのでした。

■ナバルの答え
 ダビデから遣わされた「若者たち」は、ダビデのことばをナバルに告げました。しかし、ナバルの返答は、ダビデに敵対的でした。

10ナバルはダビデの家来たちに答えて言った。「ダビデとは、いったい何者だ。エッサイの子とは、いったい何者だ。このごろは、主人のところを脱走する奴隷が多くなっている。11私のパンと私の水、それに羊の毛の刈り取りの祝いのためにほふったこの肉を取って、どこから来たかもわからない者どもに、くれてやらなければならないのか。」

 ナバルはダビデの窮状を知っていながら、ダビデたちがナバルの羊たちを守っていたことを知っていながら、ダビデの願いを拒否したのでした。確かにダビデは、サウル王から逃れていたのであり、ダビデのまわりに集まっていた者たちは「困窮した者、負債のある者、不満のある者」たちでした。「主人のところを脱走する奴隷」もいたでしょう。ダビデが遣わした10人も、荒野を住まいとしている者たちです。その見かけはあまり良くなかったことでしょう。野武士集団のようなものでしたから。
 ナバルは断固、ダビデの願いを断りました。「私のパンと私の水」それに私の肉をどうして、ならずものどもにあげなければならないのか、という尊大な態度でした。
 ナバルの成功は、ダビデたちの守りがあったこと、しもべたちの働き、そして、聡明な妻の支えがあったからでした。ナバルはそれを忘れてしまったのです。
 しかし、しもべたちは、だれもそのことを主人のナバルに言うことができませんでした。だれからも助言を受けつけない、自分に家来が従っていると思いこんでいる、不幸な主人がここにいます。

■ダビデが報復に出かける
 ダビデが遣わした「若者たちは、戻って」ダビデに復命しました。ダビデは、すぐに躊躇することなく、報復することを命令しました。
 今まで、追ってくるサウルのいのちを助け、悪に対しては善をもって報いてきたダビデでした。すべてを神の導きにゆだねてきたダビデ。ゴリヤテとの戦いのときも、その勝利を主にゆだねました。サウルを殺すチャンスが巡ってきた、前回24章のときも、自ら手を下さないで主にゆだねたのでした。そのように、信仰によって歩んできたダビデでした。今回もそうするべきでした。
 ダビデの心のブレーキが外れてしまったのです。自制することを自らに課してきたダビデは、そのタガが外れてしまったかのようでした。それは、サムエルが死んでしまったことも無関係ではなかったでしょう。ダビデは精神的な後ろ盾を失っていたのです。

13ダビデが部下に「めいめい自分の剣を身につけよ」と命じたので、みな剣を身につけた。ダビデも剣を身につけた。四百人ほどの者がダビデについて上って行き、二百人は荷物のところにとどまった。

 武装した「四百人」がナバル討伐に出かけました。

■アビガイルの行動
 ダビデが報復にやってくる。そう思ってあわてたのは、ナバルでなく、ナバルのしもべたちでした。その「若者のひとり」が、ナバルの「妻アビガイル」のところに走りました。「奥方様、お家の一大事でございます。」
 主人のナバルはだめだけど、アビガイルならわかってもらえる。このピンチを救ってくれる知恵を持っている、と信じてのご注進でした。「アビガイル様、なんとかしてください。あなた様なら、どうすればよいかわかっておられます。」
 アビガイルは、事態を瞬時に理解しました。時を移さず、まずとりあえずに食物を、準備していた宴会の食卓の中から取りました。それをロバに載せ、若者に案内させて、ナバルには内緒でダビデのもとに急ぎました。
 道の途中、アビガイルの一行は、ダビデたちがナバルからの侮辱をはらそうとしてやってくるのに出会いました。

20彼女がろばに乗って山陰を下って来ると、ちょうど、ダビデとその部下が彼女のほうに降りて来るのに出会った。21ダビデは、こう言ったばかりであった。「私が荒野で、あの男が持っていた物をみな守ってやったので、その持ち物は何一つなくならなかったが、それは全くむだだった。あの男は善に代えて悪を返した。

 ちょうどそのとき「こう言ったばかりであった」。絶妙のタイミングで、神様の導きがあったことを教えられます。

■アビガイルのダビデへのことば
 アビガイルは急いでロバから降り、ダビデの前に進み、地面にひれ伏しました。「ダビデ様、ご主人様、しばらくお待ちください。わたしはナバルの家内、はしためのアビガイルでございます。お願いがあって、ここにまいりました。」
 アビガイルはダビデをご主人様、自分をはしためと言って、夫のダビデへの無礼をなんとか赦してもらおうと、ダビデにすがりました。

26今、ご主人さま。あなたが血を流しに行かれるのをとどめ、ご自分の手を下して復讐なさることをとどめられた主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。どうか、あなたの敵、ご主人さまに対して害を加えようとする者どもが、ナバルのようになりますように。27どうぞ、この女奴隷が、ご主人さまに持ってまいりましたこの贈り物を、ご主人さまにつき従う若者たちにお与えください。28どうか、このはしためのそむきの罪をお赦しください。主は必ずご主人さまのために、長く続く家をお建てになるでしょう。ご主人さまは主の戦いを戦っておられるのですから、一生の間、わざわいはあなたに起こりません。

 アビガイルは、ダビデは今は困窮しているけれども、それは一次的であり、やがて神様の約束のとおり王家を打ち立て、それはいつまでも続くということ。ダビデの敵は、神様が正しいさばきを下してくださるということ。そして、ダビデ自ら手を下し、神様のみこころを損ない、罪を犯すことがありませんように、と告げるのでした。
 ダビデは、ナバルの挑発に応じて、危うく罪を犯すところでした。ダビデは、アビガイルのことばによって、神様によって生きる者はどうすべきかを思い出しました。ダビデは言います。

32ダビデはアビガイルに言った。「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。

 ダビデは、アビガイルのことばに神様のことばを見たのでした。神の御手を見ました。ダビデの信仰は正されました。多くの者が死から救われ、ダビデが「血を流す罪」から救われたことを感謝した。ダビデは、喜んでアビガイルの贈り物を受け取りました。

■ナバルの死とアビガイルの結婚
 アビガイルが家に帰ると、ナバルは宴会の真っ最中でした。翌朝、アビガイルは、ナバルの酔いがさめたとき、ダビデとのことを一切話しました。ナバルは、その話を聞くと「気を失って石のように」なりました。発作に襲われたのでしょう。10日ほどで死んでしまいます。
 ダビデは手を下さなかったけれど、神様が自らさばきを下されたのでした。ダビデは、神様がナバルを打たれたことを聞きました。神様にゆだねたことの正しかったことを知りました。
 その後、ダビデとアビガイルは結婚し、アビガイルは、ダビデの次男キルアブの母となるのです。

■神様にゆだねる生き方
 ダビデは、はからずもアビガイルのことばによって、神様の約束を再確認しました。

30主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、

 サムエルはすでに死んでしまった。まだまだ続きそうなダビデの放浪生活。
 はたしてダビデは王になれるのか。その保証を与えてくれるサムエルは、もういません。ダビデは不安であったでしょう。
 そのとき、アビガイルのことばの中に、ダビデは神様のことばを聞くことができたのでした。
 それは、自分の問題を自分で解決し、自分で運命を切り開こうとする生き方ではありません。ダビデの思いは、もうそれることはありませんでした。次の26章でも、ダビデはサウル王を殺すチャンスが巡ってくるのですが、ダビデはもう迷うことなく、サウルを助けるのでした。
 神のみこころはどこにあるのか。神の御手の導きをどこに求めればいいのでしょうか。
 私たちは、私たちの生活の中に、神様が与えてくださろうとしているものを見ているでしょうか。神様が私たちを導いてくださろうとしていることを信じることができるでしょうか。私たちに語りかけている神様の声、聖霊なる神様の声を聞きましょう。

詩篇143:10「あなたのみこころを行うことを教えてください。あなたこそ私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださるように。」

 ダビデはアビガイルによって救われました。ダビデは、神様に従い通し、王となり、ダビデの王国は永遠に続き、ダビデの子孫から救い主が生まれるという約束をいただくのです。
 私たちの罪の代わりに十字架につけられ、私たちの救い主となってくださったお方は、「ダビデの子イエス」と呼ばれることになるのです。
 アビガイルのことばに、生きておられる神様の導き、神様の御手を見ることができたダビデ。私たちの生涯にも、同じ神様の導き、神様の御手を見ることができる。そのような信仰を持って、歩み続けたいと思います。


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