ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年6月15日


2008年6月15日 主日礼拝説教
「神の子イエス・キリスト」(ルカの福音書22章63節〜71節)

■はじめに
 イエス様は、捕らわれてから6回の裁判を受けられます。先週、大祭司のしゅうとであったアンナス、そして大祭司カヤパの家での裁判があったところまで見ました。
 真夜中に行われたアンナスとカヤパの家での裁判は、公式のものではありませんでした。ユダヤ教の議会であるサンヘドリンの会議場は神殿の中にあり、夜中は開いていません。それでも、急いでイエス様を取り調べる必要がありました。それは、過越の祭がその日(金曜日)の夜から始まるので、なんとか夕方までにイエス様を死刑にしてしまいたかったからでした。
 そこで、「祭司長、長老、律法学者たち」サンヘドリンの議員たちは、急きょ招集され、大祭司カヤパの家に集まってきたのです。
 アンナスの裁判の様子はヨハネの福音書に、カヤパの家での裁判の様子は、マタイ、マルコの福音書に載せられていますが、ルカの福音書ではそれを書かず、夜が明けてからの正式の裁判の様子を記しています。それが今日の箇所になります。
 真夜中の非公式の裁判が終わって、イエス様が引き出されました。イエス様が引き出されたころ、ペテロが3度目の「イエス様を知りません」という否認のことばを告げたのでした。そのときイエス様は、ペテロをご覧になられました。主のまなざしがペテロに注がれたのです。それはイエス様の愛と赦しのまなざしでした。そのことを先週お話ししました。

■監視人による侮辱
 イエス様は、夜が明けるまで監視人の手にゆだねられました。

63さて、イエスの監視人どもは、イエスをからかい、むちでたたいた。64そして目隠しをして、「言い当ててみろ。今たたいたのはだれか」と聞いたりした。65また、そのほかさまざまな悪口をイエスに浴びせた。

 イエス様に対する暴力や悪口雑言の様子は、マタイ、マルコの福音書にもあります。それは、夜中のカヤパの家での裁判で、イエス様が死刑に当たると決めたその後です。まず議員たちが、寄ってたかってイエス様を侮辱しました。

マタイの福音書26:67−68「 そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」」

 そのことについては、イエス様は弟子たちにこのように言っていました。

ルカの福音書18:32−33「人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」」

 監視人たちも、議員たちと同じようにイエス様をからかい、目隠しをしてたたいたり、悪口を浴びせます。しかしイエス様は、監視人たちから打たれてもされるままになっておられました。罪のないお方が、罪人たちの仕打ちを黙って耐え忍ばれることが、旧約聖書に預言されています。

イザヤ書50:6「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。」

■あなたはキリストなのか
 夜が明けました。すでに夜中の非公式の裁判で死刑が決定されていましたので、それを正式な決定にするという会議が始まりました。

66夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、集まった。彼らはイエスを議会に連れ出し、

 「長老会」と言われているのは、「サンヘドリン」と呼ばれているユダヤの70人議会です。議員たちはイエス様に問いかけます。

67こう言った。「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」しかしイエスは言われた。「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、68わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。

 議員たちは「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい」と尋問しますが、イエス様の答えは、「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう」というものでした。
 今までのイエス様の働き、奇蹟の数々、教えを聞いていれば、イエス様がどういうお方か理解できたはずでした。1年ほど前、イエス様がユダヤ人の指導者たちに取り囲まれたときのことがヨハネの福音書に書かれています。

ヨハネの福音書10:24−26「それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。」イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。」

 「キリスト(旧約聖書ではメシヤ)」とは「油そそがれた者」という意味です。王も、祭司も、預言者も油そそがれた者であり、神様はその3つの職を備えた救い主を世に送ると約束しておられました。ユダヤ人はローマに支配されるようになると、自分たちを解放してくれる「キリスト(救い主)」が現れることを待ち望むようになりました。
 とりわけ人々は、強い王としてのキリストを期待しました。それで、イエス様は、ご自分がキリストであることをだれにも話さないようにと命じておられました。人々が望んでいたような、ユダヤ人のための英雄的なキリストと、神様が全世界の人を罪から救うために遣わされた贖いのためのキリストでは、全く意味も違い、目的も違っていたからでした。
 シモン・ペテロが「あなたはキリストです」と告白したときも、イエス様は「自分のことをだれにも言わないように」とお命じになりました。そしてイエス様は、ご自分からキリストだと言ったことはありませんでした。
 しかしイエス様は、捕らわれ裁判にかけられてから、大祭司や議会から問われるままにご自分がキリストであることを明らかにし、ご自分が「全世界の罪を贖うキリスト」として十字架にかかろうとしておられることを示されたのでした。
 それでイエス様は、議員たちに次のように言います。

69しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」」

 これは詩篇110篇を引用して言われたことばです。

詩篇110:1「主(神)は、私の主(キリスト)に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」」

 神の右の座につく者、それは神の次に権威を与えられた者です。それは神の子であることを表していました。イエス様は、ご自分が神の権威と栄光を持つ者であることを証しされました。

■あなたは神の子か
 イエス様がこのように言われると、議会一同がさらに尋ねました。「神の右の座に着く者」ということは、つまりあなたは神の子なのですか、と。

70彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と言われた。

 自分を神の子であると言う者は、自分を神と等しくする者であり、それは神を冒?したとして、死罪に当たると定められていました。「わたしはそれです」と言うイエス様のことばは、議会の全員が聞いていました。

71すると彼らは「これでもまだ証人が必要でしょうか。私たち自身が彼の口から直接それを聞いたのだから」と言った。

 議会は、イエス様を死罪に当たると判決を下しました。しかし、ユダヤ議会では死刑を行う権限はありませんでした。死刑の執行は、ローマの総督に権限がありました。しかもユダヤ教内部のもめごとなので、ローマ総督も、だれかが神であると言ったという理由では死刑にはしません。それで、彼らは、「イエスは自分を王と自称し、ローマに反逆を企てている」という理由で訴えるのです。それが次の4回目のピラトの裁判になります。

■十字架への道を進む
 このようにして、イエス様の十字架への道が進んでいくのですが、イエス様は、ご自分を訴える者たちがご自分に不利なことを言い立てている間も、ほとんど何もお話しなさいませんでした。神様の永遠の昔からのご計画どおり、罪人を救うために、神様のひとり子が自ら十字架にかかるというその道を進んでいくのです。

イザヤ53:7「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」

 イエス様は悪口を浴びせられ、つばきをかけられ、こぶしで打たれても、そして、十字架にかけられ、痛めつけられ、苦しんでも、その間中、イエス様は、黙ってすべての人の罪を一身に負っておられました。このイエスさまの十字架によって、その尊いいのちと引きかえに私たちの罪は永遠に赦されました。このイエス様が確かに私たちの救い主であると信じることができる人は幸いです。

ペテロの手紙第1、2:22−24「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

 罪のない神のひとり子イエス・キリストが私たちの罪をその身に負って十字架にかかってくださいました。神様のご計画は実現し、全世界の人の罪を御子の死によって赦す、という贖いのみわざが完了したのです。キリストの打ち傷のゆえに、私たちはいやされ、キリストの義のゆえに、私たちも義とされました。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年6月15日