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2008年6月29日 主日礼拝説教
「神がこうしてくださった」(サムエル記第一27章、29章)
■はじめに
前回は25章を読みました。次の26章には(24章にも同じようなことがありましたが)、ダビデが荒野にいた時、サウルがダビデを捕らえようとしてやってきた時のことが書かれています。ダビデは、サウルが寝込んでいるところに忍び込みました。ダビデは、サウルを殺そうと思えば殺すことができたのです。しかし、またもダビデは、自ら手を下すことなく神様にゆだねました。
■ペリシテの地に逃れる
今日は27章と29章を読みます。
ダビデは、神様から油注がれた王サウルを殺すことができません。サウルを殺すチャンスが何度か巡ってくるのですが、ダビデはサウルをそのたびに見逃します。しかしサウルの追っ手は執拗でした。
1ダビデは心の中で言った。「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエルの領土内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。」
そこでダビデは、サウルの手から逃れる道を選択しました。ダビデが考えたことは、敵地ペリシテに逃げ込むことでした。ダビデは、ペリシテのガテの王「アキシュ」のところに向かいました。
ダビデは前にも、アキシュのところに逃げ込んだことがありました(21章)。アキシュとダビデとは敵でありながら、不思議な関係にあったようです。21章の時は、アキシュに拒否されました。それは、ダビデをかくまうことによって、サウル王に対して思わぬ軋轢を生むことになるからであり、また、まだ小さい勢力だったダビデに、さほどの利用価値を見いだせなかったからでした。
しかし今や、ダビデは27章2節にあるように、600人の兵士を引き連れる一大勢力になっていました。3節にあるように、ダビデには2人の妻がいましたし、家来たちの家族もいっしょでしたので、かなりの大集団になっていました。アキシュは、ダビデたちがペリシテの地に住むことを受け入れました。アキシュは、ダビデを自分の傘下に置いて、ペリシテの1武将としての活躍を期待したのです。その結果、4節にあるように、サウルはもうダビデを追うことがなくなりました。
■ツィケラグを与えられる
5ダビデはアキシュに言った。「もし、私の願いをかなえてくださるなら、地方の町の一つの場所を私に与えて、そこに私を住まわせてください。どうして、このしもべが王の都に、あなたといっしょに住めましょう。」6それでアキシュは、その日、ツィケラグをダビデに与えた。それゆえ、ツィケラグは今日まで、ユダの王に属している。
ダビデたちの集団は多かったので、ガテではなく別のところに住むことをアキシュに願いました。結果、アキシュは、ダビデに「ツィケラグ」という町を与えました。そこはペリシテとイスラエルの境界にあった町でした。ダビデはペリシテ領の前線基地に遣わされたのでした。放浪のダビデがやっと手に入れることができた安住の町、それが「ツィケラグ」でした。そこを根拠地として、ダビデは1年4か月過ごすことになります。
その町は、「今日まで、ユダの王に属している」とあります。「今日」とは、このサムエル記が書かれたころのことで、「ツィケラグ」はダビデ王家の直轄地となっているというのです。
ダビデは、ツィケラグからイスラエルに攻め入ることを期待されました。
8ダビデは部下とともに上って行って、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲った。彼らは昔から、シュルのほうエジプトの国に及ぶ地域に住んでいた。9ダビデは、これらの地方を打つと、男も女も生かしておかず、羊、牛、ろば、らくだ、それに着物などを奪って、いつもアキシュのところに帰って来ていた。
しかし、ダビデが実際に攻めたのは、イスラエルの敵であった「ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人」の地域でした。そのことをアキシュに知られるのを恐れたダビデは、その町の全住民を殺し、略奪品だけをアキシュのもとに持って帰ったのです。
アキシュから「きょうは、どこを襲ったのか」と聞かれると、ダビデは、ユダの地や、ペリシテの敵であった地を攻めたと答えました。この綱渡りのようなやり方によって、ダビデはアキシュの信用を勝ち取っていったのでした。
■イスラエルとの戦い
しかしダビデは、ついにイスラエルとの戦いに出ていかなければならなくなります。
28:1−2「そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦おうとして、軍隊を召集した。アキシュはダビデに言った。「あなたと、あなたの部下は、私といっしょに出陣することになっているのを、よく承知していてもらいたい。」ダビデはアキシュに言った。「よろしゅうございます。このしもべが、どうするか、おわかりになるでしょう。」アキシュはダビデに言った。「よろしい。あなたをいつまでも、私の護衛に任命しておこう。」」
サウル王ばかりか、親友のヨナタン王子とも戦場で戦うことになるかもしれません。ダビデは、神様に導きを求めつつ、軍の集結地に向かったことでしょう。29章に続きます。
1さて、ペリシテ人は全軍をアフェクに集結し、イスラエル人はイズレエルにある泉のほとりに陣を敷いた。2ペリシテ人の領主たちは、百人隊、あるいは千人隊を率いて進み、ダビデとその部下は、アキシュといっしょに、そのあとに続いた。
作戦会議が「アフェク」で開かれました。そこに、アキシュに連れられたダビデも参加しました。しかし、他のペリシテの領主たちは、ダビデを警戒しました。彼らは、ダビデがかつてサウル王以上に武勇を歌われた人物であったことを知っていました。
5この男は、みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』と言って歌っていたダビデではありませんか。」
領主たちは、ダビデが戦いの最中に裏切るかもしれないと考えたのです。アキシュは、ダビデがすでに1年以上、アキシュに仕え、戦果を挙げていることを伝えても、彼らに信用してもらえませんでした。そこで、アキシュはダビデに言います。
6そこでアキシュはダビデを呼んで言った。「主は生きておられる。あなたは正しい人だ。私は、あなたに陣営で、私と行動を共にしてもらいたかった。あなたが私のところに来てから今日まで、私はあなたに何の悪いところも見つけなかったのだから。しかし、あの領主たちは、あなたを良いと思っていない。7だから今のところ、穏やかに帰ってくれ。ペリシテ人の領主たちの、気に入らないことはしないでくれ。」
アキシュはダビデに、ペリシテの領主たちがダビデを仲間に入れることを承知してくれない。どうか、このまま、おだやかに帰ってくれないか、と頼みました。ダビデは、内心、神様の導きに感謝したことでしょう。ダビデは、アキシュのことばにしぶしぶ従ったように装って、ツィケラグに帰っていきました。ダビデにとって、状況は好転したのです。
もし、ダビデがペリシテに受け入れられていたとしたら、ダビデはイスラエルと戦わなければならなかったのです。それを神様は事前に回避させてくださいました。このペリシテの領主たちの疑いの心を神様は用いてくださいました。それは神様のあわれみと助けでした。
しかし3日後、ツィケラグに帰ってみると、大変なことが起こっていたことをダビデは知るのでした。30章に書かれている事件です。ダビデの留守をねらって、町が襲われていたのです。
■2つの試練
ダビデには2つの試練がありました。1つはサウルによる執拗な追跡でした。これに対してダビデは、「ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない」という決断をしました。はたして、この決断はどうだったのか。ペリシテに逃げ込んだおかげで、ダビデはうそを重ね、多くの人のいのちを奪わなければならなくなりました。裏切りと侵略は、この時代(前1000年ころ)の常とはいえ、神様に従って生きようとする信仰者として、本当にこれでいいのか、と疑問に思ってしまうような状況にダビデは置かれてしまったからです。
もう一つの試練は、ダビデが同胞のイスラエルと戦う寸前までいったことです。この時は、神様はダビデの歩みに助けの御手を差し伸べてくださいました。イスラエルと戦わずにすむ状況を作り出してくださったのです。神様はダビデを守ってくださいました。ダビデをイスラエルの王にすること、そしてそのダビデの子孫から、イエス・キリストが生まれ、全人類を罪から救い出してくださるという神様のご計画は、さまたげられることなく進められていったのでした。
箴言16:9「 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」
■残された問題
最後に、問題がひとつ残りました。ダビデがペリシテ人の地に逃れたことは、神様が与えてくださった知恵だったのか、という疑問です。ダビデがペリシテで行ったこと、ペリシテでの偽りと殺りくの生活は神様に受け入れられたのでしょうか。その問題は、次の30章の事件で明らかになります。27章、29章では、この時期のダビデの信仰をうかがわせるような記述は見当たりません。ダビデに対する神様からの語りかけもありません。ダビデの苦しい胸の内は察するほかありませんが、ダビデの残した数々の詩篇の中に、私たちはダビデに対する変わることのない神様のご計画と、ダビデに与えられた神様への信頼の心を見ることができるのです。
詩篇52:8−9「しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。」
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