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2008年7月13日 主日礼拝説教
「十字架を負い、この道を歩く」(ルカの福音書23章26節〜31節)
■はじめに
ローマ総督ピラトはユダヤ人の要求に負けて、イエス様を十字架刑に決定しました。今日は、イエス様が十字架を背負わされ、ゴルゴタの丘(刑場)まで歩いて行く途中の出来事を見ます。その道はヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と言われ、今もエルサレムに残っています。
ゴルゴタの丘に着くまでに2つの出来事がありました。「クレネ人シモン」の身に起こった出来事と、もうひとつはこのルカの福音書だけに出てくる、イエス様の後について泣きながら歩いた女たちのことです。
■クレネ人シモン
26彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。
イエス様の身柄はローマ兵にあずけられ、刑場に連れて行かれることになりました。ローマ兵は、見せしめのため、イエス様に十字架を背負わせてゴルゴタの丘まで歩かせました。
イエス様は、昨夜から、弟子たちとの最後の晩餐を終え、ゲツセマネの園に行き、そこで捕らえられ、さらに6回の裁判を受けられました。ルカの福音書では、ピラトの裁判が終わってから、すぐにゴルゴタへの道を歩かせられている場面になりますが、それまでに、さらにいろいろなことがあったのでした。それをマタイの福音書で見てみましょう。
マタイの福音書27:26−31「そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。」
このように、イエス様は昨夜からほとんど寝ていない、何も食べていない状態でした。私たちと同じ肉の体で、いばらの冠をかぶせられ、むちで打たれた傷が痛み、十字架の重さがのしかかりました。
ローマの兵士たちはイエス様を引いて行く途中で、たまたま田舎から出てきて、過越の祭りにやってきた男をつかまえ、無理やりイエス様の十字架を背負わせました。その人の名前はシモン、クレネ出身の人です。クレネとは、アフリカ北海岸、地中海に面した町です。
マルコの福音書では、シモンについてもっと詳しく紹介されています。
マルコの福音書15:21「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」
「アレキサンデルとルポス」とは、このように名前が記されていることから、当時、ローマのキリスト教会で知られていた人物と思われます。さらにルポスは、ローマ人への手紙に「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく」(ローマ16:13)と紹介されている人ではないかと言われています。
無理やり十字架を背負わされたシモンは、その後イエス様の十字架と復活を知り、イエス様を救い主として信じ、その信仰が2人の子供たちに引き継がれたものと考えることができます。シモンは、たまたま通りかかってイエス様の十字架を背負わされるという出来事にそうぐうしました。
イエス様が弟子たちにご自分の十字架と復活について教えられた時、このようにおっしゃったことばがあります。
ルカの福音書9:23「イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
私たちの人生でも、平穏無事に越したことはありませんが、時にはシモンのように、思いもよらない十字架を背負わされることもあります。しかし、それがイエス様を信じるきっかけになり、イエス様に従っていこうとする思いに導かれるなら、それは神様が私たちに与えてくださった人生の転機ということになります。
■嘆き悲しむ女たち
27大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。
イエス様の後には、民衆たちが、十字架刑を見ようと処刑場までついてきます。その中に、「イエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れ」もいました。彼女たちは、お葬式の時に雇われる泣き女であったと言われています。そうであれば、まだ死んでいないイエス様に、更なる侮辱を加えた行為となります。
しかし、それであったとしても、彼女たちは、あまりに痛ましいイエス様の姿を見て心から泣き出してしまったのかもしれません。イエス様は、その泣いている女たちの思いを知り、このように話しかけました。
28しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。
イエス様は、ご自分に対して同情の涙は流さなくてもよい。むしろ「自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい」と言われました。
29なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。』と言う日が来るのですから。30そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ』と言い始めます。31彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」
イエス様は、疲れと痛みと孤独の中で、ご自分のために泣いてくれる女たちに、これから起こることを告げられたのです。
それは、エルサレム崩壊の預言でした。戦争で、息子たちが殺されることになる。子供を産んだことのない女は幸いだと言う日がやってくる。母親たちは悲しみのあまり、山が倒れ丘が崩れて、いっそ死んでしまうことを願うようになる。そのような日が来ることを泣きなさい、と言うのです。
「生木」であるイエス様さえ、いま神からのさばきを受けようとしているのです。それは、すべての人の罪を代わりに負って神様から受けるさばきでした。そのイエス様を受け入れようとしないユダヤ人たちは、いのちを失った「枯れ木」です。その枯れ木にはいったい何が起こるのか。
イエス様の十字架からおよそ40年後の紀元70年に、イスラエル独立のために立ち上がったエルサレムは、ローマ軍によって徹底的な打撃を受け、破壊されてしまったのでした。
■自分の罪のために泣きなさい
イエス様は、イエス様に同情して泣く女たちに、むしろ「自分のために泣きなさい」と言われました。自分の中にある罪のさばきを受けて滅びてしまう自分自身のために泣きなさいと言われたのです。
しかし女たちは、イエス様が何も悪いことをしていないのに、なぜこのように進んで十字架にかけられようとしているのか理解できませんでした。
イエス様の十字架は、人々を罪から救うため、すべての人の罪を赦し、新しいいのちを与えてくださるためでした。罪のないお方が、私たちの罪を背負って死んでくださったのです。
女たちは、このあと、イエス様がかけられた十字架の下に行き、イエス様の声を聞いたことでしょう。
ルカの福音書23:34「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
これは、神などいらないと拒否している人たちへの、イエス様のとりなしの祈り、愛と赦しの祈りでした。
イエス様といっしょに十字架にかかった強盗のひとりが悔い改めて、イエス様を信じ、天国へ入る約束をいただきました。
■天国への道
ユダヤ教指導者たちのねたみによって引き渡されたイエス様は、民衆や兵士たち、あらゆる男や女、罪人(つみびと)の群れに押し流されながら、十字架への道を歩んで行かれました。この時、イエス様の十字架がどのような神様のご計画であるのかを知る者はひとりもいませんでした。イエス様の弟子たちさえ嘆き悲しみ、恐怖に震えながら、行列に加わっていたのです。
救いの道、天国への道がイエス様の十字架によって開かれようとしていました。イエス様の十字架を背負わされたシモンに、イエス様のために涙する女たちに、これから歩む道をイエス様は開いてくださいました。
その道は、私たちの前にも開かれています。その道は天の御国に向かってひとすじに続く永遠のいのちの道です。イエス様は、このように言われました。
ヨハネの福音書10:9「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」
マタイの福音書7:13−14「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
イエス様の門を通って救いの中に入れていただき、いのちに至るこの道を歩ませていただけることを感謝いたします。ゆりのきキリスト教会に来られるすべての方がイエス様のもとに重荷をおろし、休むことができますように。イエス様の十字架によって救われることができますように。そして、いのちの道を安らかに歩いていくことができますよう、お祈りいたします。
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