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2008年8月24日 主日礼拝説教
「よみがえられたキリスト」(ルカの福音書24章1節〜12節)
■墓に行った女たち
1週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。
女たちが週の初めの日(日曜日)の早朝、用意しておいた香料をイエス様の体に塗るために墓にやってきました。女たちとは、イエス様の十字架と、イエス様の葬りの場にいた「マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤ」でした(10節)。マルコの福音書によると、サロメという女性もいました。
墓に行く途中、大きな地震が起こりました。それは、主の御使いが墓の前に置いてあった石をころがし、その上に座ったからでした。
マタイの福音書28:2−4「すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」
彼女たちは、墓の入口にある大きな石をどうしたらよいか、何の計画もなく墓にやってきました。しかし、彼女たちの心配は無用でした。問題は解決され、墓の番をしていた兵士たちは恐ろしさで死んだようになり、すでに石がころがされていたのでした。
だれが石をどけたのだろうと不思議に思いながら墓の中に入ってみると、そこにあるはずのイエス様の体が消えていました。
4そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
女たちが途方に暮れていると、まばゆいばかりの真っ白な長い衣をまとった(マルコ16:5)、ふたりの主の御使いが近寄ってきました。主の御使いたちはこう言いました。
5「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。6ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。7人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」
イエス様はガリラヤにおられた時、弟子たちにこう言われました。
ルカの福音書9:22「そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」」
マリヤたちはイエス様のみことばを思い出し、イエス様がよみがえられたことを知りました。
9そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。
しかし、女たちの報告を聞いた弟子たちには、それが本当のことであるとは信じられませんでした。
12しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。
ヨハネの福音書では、ペテロともうひとりヨハネがいっしょに走って、墓を見に行ったと書かれています。
ヨハネの福音書20:3−8「そこでペテロともうひとりの弟子(ヨハネ)は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。」
亜麻布の中から、体だけが消えてしまって、イエス様の体を包んでいた亜麻布と、イエス様の頭に巻かれていた布切れが巻かれたまま残っていました。彼らは、イエス様の体が消えてしまったことを知りました。しかし、イエス様が復活されたということは、まだ半信半疑でした。すると、イエス様ご自身が弟子たちにお姿を現してくださいました。
まず、墓の近くに残って泣いていたマグダラのマリヤに、イエス様が復活のお姿で現れてくださいました(ヨハネ20:14-17)。次に、その日の昼ごろ、エマオの村に歩いて行く途中のクレオパという弟子ともうひとりの弟子に現れ、夕方には弟子たちが集まっている部屋に現れてくださいました(ルカ24:13-43)。それが、イエス様が復活なさった日曜日に起こった出来事でした。
■よみがえられたキリスト
女たちは、空になった墓を見、主の御使いの説明を聞き、イエス様が生前におっしゃっていたことばも思い出しました。ペテロとヨハネは、イエス様の体が包まれていた亜麻布と、巻かれたままになっていた布切れを見ました。それは、イエス様の体が盗まれたのではないことを示していました。
それでも彼らは、イエス様が復活したことをすぐには信じられませんでした。イエス様の弟子たちにとっても、それほど復活は信じられないものでした。しかし、弟子たちは復活されたイエス様にお会いし、イエス様の体にさわり、イエス様のお声を聞いて、確かにイエス様がよみがえられたことを信じることができました。
イエス様の復活からおよそ20年後、パウロはコリントの教会にこう書き送りました。
コリント人への手紙第1、15:3−6「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパ(ペテロ)に現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。」
パウロがこの手紙を書いた時は、復活されたイエス様に直接お会いした人が500人ぐらい「今なお生き残って」いたのです。
弟子たちは、イエス様が十字架で亡くなられて葬られたあと、ユダヤ人の迫害を恐れて隠れていました。しかし、たった数週間で弟子たちは変わってしまいました。イエス様の復活の証人となり、イエス様の伝えた福音を人々に語り、迫害を恐れずに出て行きました。ペテロは確信に満ち、多くの人々にこう語りました。
使徒の働き2:32「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」
弟子たちの、この別人のように大胆な行動は、もし復活が実際になかったならば説明できないほどの変わりようでした。
■復活を信じる信仰
聖書は、イエス様が私たちの罪を赦すために十字架で死なれ、信仰によって私たちを義とするためによみがえられたことを告げます。
ローマ人への手紙4:24−25「私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」
そのことを私たちは信じているのです。
ローマ人への手紙10:9「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」
イエス様は死者の中からよみがえり、天に昇り、今も生きておられます(使徒の働き1:9-11)。イエス様は今も、これから後も永遠に生きておられます。ですから私たちは、希望を失うことはありません。イエス様がご自分のいのちを私たちに与えて、私たちを生かしてくださるからです。
ヨハネ11:25「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
ヨハネ10:28「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」
今日、洗礼式が行われました。洗礼は、キリストと共に古い自分が死んで、キリストと共に新しいいのちによみがえることを表しています。そのことを聖書は次のように語ります。
ローマ人への手紙6:4「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマ(洗礼)によって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」
洗礼は、イエス様のいのちによって生かされていくクリスチャン生活の始まりです。洗礼を受けた人は、よみがえられたイエス様の永遠のいのちをいただいて生かされていきます。先に洗礼を受けた方も、これから洗礼を受けるように召されている方も、共にイエス様のいのちによって新しくされながら、歩みを続けていきたいと思います。
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