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2008年8月31日 主日礼拝説教
「神の声を求めるサウル」(サムエル記第一28章)
■はじめに
王サウルと、神様によって次の王に定められたダビデ。サウルに命をねらわれてダビデは逃亡生活をしています。
ダビデは、イスラエルの敵であるペリシテのアキシュのもとに逃れました。それは、ダビデの信仰の暗黒時代とも言える1年4か月でした。アキシュからペリシテのツィケラグの町を与えられたダビデは、ペリシテ軍の1部隊となりました。ペリシテとイスラエルが戦うことになった時、(それが今日の28章1−2節に出ていることですが、その話は29章1節に続いていき)、ダビデはイスラエルと戦わずにすみました。
ダビデは、ツィケラグの町に帰りました。それが前回お話しした30章です。帰ってみると、ツィケラグがアマレクに襲われ、町は焼き払われ、家族が捕虜となって連れ去られていました。そのとき、ダビデは、もう一度信仰に立って歩み出しました。ダビデはアマレクとの戦いに勝ち、アマレクから捕虜を取り戻すことができました。
一方、サウル王はどうだったのでしょうか。ペリシテとの戦いを前にして、サウルはどうしていたのでしょうか。それが、今日の28章の出来事です。
■サムエルの死と霊媒・口寄せの追放
3サムエルが死んだとき、全イスラエルは彼のためにいたみ悲しみ、彼をその町ラマに葬った。サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。
イスラエルの指導者、預言者サムエルが死にました。それは、25章1節でも触れられていました。サムエルの死は、サウルにとっても、ダビデにとっても、自分に油をそそいで王としてくれた人がいなくなったことを意味していました。神様によって立てられた王として、これからはサムエルを通してではなく、自ら神様の御声に聞き従っていかなければなりません。
ダビデは、サウルから逃亡中、イスラエルの地で、あるいはペリシテの地で、さまざまな試練を通してそのことを確立していきました。しかし、サウルはどうであったのでしょうか。
サムエルを葬った時、サウルは「国内から霊媒や口寄せを追い出し」ました。霊媒とは死者に伺いをたてる者、口寄せとは死者の代理となって死者のことばを話す者のことです。聖書は、それは神様のみこころを示すものではないとして禁止していました。
レビ記19:31「あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
サウルはそれらの者を、聖書の命じるとおり追い出したのでした。
■神のみこころを求めるサウル
ペリシテとイスラエルの戦いが始まろうとしていました。サウルは焦っていました。サウルはペリシテ軍を見て恐れ、戦う気力を失っていました。そこでサウルは、ペリシテとの戦いを前にして、神様のみこころを求め、神様からの助けを得ようとしました。しかし、サウルの求めに神様は答えられませんでした。夢によっても(それは最も用いられた手段だった)、ウリムによっても(これは祭司の助けを借りて神のみこころを知る方法。しかし、サウルはかつて、ダビデをかくまったという罪で祭司たちを皆殺しにしたことがあった、22:17-19)、預言者によっても(サムエルの死後、まだ預言者は現れていなかった)、神様は答えてくださいませんでした(5,6節)。
答えがない。それが神様の答えでした。しかしサウルは、何かの助言と励ましがほしかったのです。そこでサウルは思いあまって、非常手段、それは誤った方法でしたが、神様が禁止している霊媒に頼ろうとしました。神様が答えてくださらないのなら、「霊媒の女」によって、サムエルの霊を呼び出し、サムエルに聞こうとしました。
「霊媒の女」は、サウルが陣を敷いていたところから近い、「エン・ドル」にいました。追放したはずの霊媒が、そこで人々の願いを聞いていました(7節)。
■霊媒のところに行くサウル
サウルは変装して、ふたりの部下をつれ、人目を忍んで霊媒のところに出かけました。霊媒の女は、王が出した禁止命令を盾にサウルの願いを断りました。女は、目の前にいる依頼者が権威ある者であることを感じ、罠にはめられるのではないかと恐れたのです。しかしサウルは、「主は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない」と保証しました(8-10節)。
サムエルとサウルは、断絶状態のままになっていました。しかし、サウルはサムエルからのことばを求めました。女から、だれを呼び出してほしいかと問われ、サウルは、「サムエルを呼び出してもらいたい」と願いました。女はその願いのとおり、サムエルを呼び出しました(11,12節)。
12この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」
死んだ預言者サムエルの霊が現れたのです。霊媒の女にとって想像を超えた展開でした。神様が例外的に異教の習慣を用い、この時だけ特別に、サムエルの霊を通してサウルに語ろうとなさったのです。それで霊媒の女は、依頼人がサウル王であることを悟りました。
サウルの問いに、女は「こうごうしい方が地から上って来られる。年老いた方が上って来られる。外套を着ておられる」と答えました。それは、生前のサムエルの姿そのままでした。サウル王は、サムエルが現れたことを知り、地にひれ伏しました(13,14節)。
■サムエルのことば
サムエルがサウルに語り始めました。サウルはサムエルに、ペリシテとの戦いを前にして、神様のみこころをうかがっても答えられない状況を訴えました。サウルは、何とかしてペリシテに勝利する保証がほしかったのです。
しかし、サムエルの答えは厳しいものでした。その答えは、かつてサムエルがサウルに告げたことばと変わりませんでした(Tサムエル15:26,28)。サムエルは、厳粛な神様のことばを告げました。
3つ目の「ペリシテに敗れ、サウルも息子たちも死ぬ」以外は、すでにサウルに言われていたことでした。サムエルは改めて、かつてサウルがアマレクとの戦いで犯した罪(Tサムエル15:18,19)を告げました(18 節)。
サムエル記第1、15:22−23「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」
このサムエルのことばは取り消されることはなかったのでした。サウルは、自分がペリシテとの戦いに敗れ、息子たちも共に死ぬという恐ろしいことばを聞き、地に倒れて棒のようになりました。しかし、サウルは女や家来たちに助けられて食事をし、戦いに赴くために夜の闇の中に消えていきました(20-25節)。
31章でイスラエルとペリシテとの戦いが始まり、サウルは、サムエルのことばのとおりの運命をたどることになります。
■まとめ
サウルは王になってからというもの、神様に聞き従うようであったり、そうでなかったり、悔い改めたかと思うと、また神様から離れてしまう。この繰り返しのような生涯でした。神様を試しでもするかのように王の地位にしがみつき、勝手な行動をしてしまうのです。
一国の王の立場にあった人と単純に比較することはできませんが、サウルの生涯は他人事とは思えません。私たちも信仰生活の中で古い性質がしばしば頭をもたげるからです。時には誘惑に負けてしまうこともあります。自分の足りなさにがっかりすることもあります。けれども、私たちが不十分でありながらも、信仰者として歩み続けているのは、ただ、私たちの主であるイエス様が私たちを見放さず「世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」とおっしゃってくださったからです。私たちの罪を赦すために十字架にかかってくださり、死んでよみがえり、天にのぼられて、私たちの罪を神様の前でとりなしていてくださるお方、このお方こそ私たちの救い主、イエス様であり、この方以外に私たちの救われる道はありません。
サウルは死んだサムエルに助けを求めましたが、私たちのためには、今も生きておられる主イエス様がいてくださることを覚えたいと思います。イエス様が十字架で死なれ墓に葬られてから三日目の朝、女たちが墓を見に行くと、そこにはイエス様のお体はなく、神の使いが来てこのように告げました。
ルカの福音書24:5「恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」
イエス様がよみがえられることは、旧約聖書の時代から預言されていたことでした。
ヨブ記19:25,27「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。……この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで絶え入るばかりだ。」
よみがえられたお方、今も生きておられるお方が私たちのためにとりなしていてくださるので、神様は私たちの罪を赦し、恵みを与え続けてくださるのです。
詩篇66:19−20「確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。」
ひとり子のイエス様を愛し、イエス様のゆえに私たちを喜んで受け入れてくださる、このお方が私たちの父なる神様であられます。このお方に心を向け、イエス様に信頼してまた新しい1週間を歩みたいと思います。
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