ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年9月21日


2008年9月21日 主日礼拝説教
「喜びを抱いて」(ルカの福音書24章36節〜53節)

■はじめに
 先週は、クレオパともうひとりの弟子がエマオに行く途中、よみがえられたイエス様が現れてくださった場面を見ました。クレオパたちは、イエス様にお会いし、聖書によってイエス様の十字架と復活の意味を教えていただきました。それは心が燃えるような体験でした。ふたりはすぐエルサレムにとって返し、イエス様にお会いした次第を11人の使徒と仲間たちに話しました。

■主の日の礼拝に現れてくださるイエス様

36これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。

 弟子たちが話をしていると、イエス様ご自身がその真ん中に立たれました。この日イエス様は、まずマグダラのマリヤ、ほかの女たち、ペテロ、そしてクレオパたちにお姿を現されました。ここで初めて、イエス様は個人個人ではなく、弟子たちが集まっているところへお姿を現してくださいました。それは日曜日でした。
 ルカの福音書は、イエス様が11使徒が全員いる所に現れたように記していますが、ヨハネの福音書20章によれば、そこにはトマスがいませんでした。それで次の週の日曜日、もう一度イエス様は現れてくださいました。
 このようにして、イエス様が復活後お姿を現してくださった日曜日を覚えて、礼拝がささげられるようになりました。それまでは、彼らはユダヤ人でしたから安息日の土曜日に神様を礼拝していました。それが土曜日の安息日に代わって、日曜日が復活の主イエス様を礼拝する日、主の日となったのです。
 イエス様は、弟子たちにお姿を現されて、これから始まる教会のために準備をしてくださいました。弟子たちがイエス様の復活の証人となって、イエス様が救い主であることを伝えること、伝えられた人々は直接イエス様を見ることができなくても、見ないで信じることができるようになると教えてくださいました。

ヨハネの福音書20:28、29「トマスは答えてイエスに言った。『私の主。私の神。』イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』」

 2000年たった今も教会で守られ続けている日曜日の礼拝は、信徒の集まりの中に主イエス様がお立ちくださり、お姿は見えませんが、確かにお立ちくださるので、私たちは復活の主にお会いした喜びで、心がはちきれそうになるのです。

■復活の体
 弟子たちは、初めて復活のイエス様にお会いした時、驚き恐れて、霊だと思ってしまいました。それは、イエス様が戸を閉めてあるところに、突然現れたからでした。エマオの時も、イエス様は突然見えなくなりました。

37彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。

 それでイエス様は、霊ではないということを示されるために、体にさわって確かめるように、「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい」と言われたのです。そして、霊ではなく、肉や骨のある体を持っておられることを示すために、弟子たちの見ている前で焼いた魚を食べられたのでした。

■救いが全世界に伝えられていく
 次にイエス様は弟子たちに、「モーセの律法と預言者と詩篇」(旧約聖書)の中で、イエス様について預言してあることは全部成就し、実現したことを話されました。

45そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、46こう言われた。「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、47その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」

 これからは、あらゆる国の人々に、キリストの十字架と復活、そして、「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改め」が宣べ伝えられるとイエス様はおっしゃいました。
 「罪の赦しを得させる悔い改め」、これは人々を罪から救うために、神様が永遠の昔からご計画されていたことでした。旧約聖書には、イスラエルだけではなく、異邦人(イスラエル以外の国々)にも広く福音が伝えられていくことが預言されていました。

イザヤ書60:1−3「起きよ。光を放て。あなた(イエス・キリスト)の光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」

■約束の聖霊

48あなたがたは、これらのことの証人です。

 「これらのことの証人」、その最も大事なことは、弟子たちが復活されたイエス様を見たこと、お声を聞いたこと、おからだに触れたこと、聖書を教えていただいたこと、いっしょにお食事をしたことをそのまま人々に証言することでした。
 イエス様は弟子たちがそれらのことの証人となるために、最後にもうひとつ大切なことを教えてくださいました。それが約束の「聖霊」です。

49さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」

 これは、イエス様が最後の晩餐の席で弟子たちに約束されたことでした。

ヨハネの福音書14:26「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」

 弟子たちは、イエス様の名によって遣わされる「聖霊」が与えられるまで、エルサレムで待つように言われました。そして、使徒の働き2章にあるように、イエス様が天に帰られてから10日後のペンテコステの日に「聖霊」が与えられました。
 復活したイエス様にお会いしたこと、それが聖書によって預言されていたことを理解すること、それに加えて、「聖霊」がすべてのことを教え、イエス様が話したすべてのことを思い起こさせてくださることによって、弟子たちはキリストの復活の証人とされていきました。
 さらに「聖霊」は、次の世代のために、もうイエス様を直接目で見ることのできない者たちがイエス様の復活を信じることができるように、イエス様の教えたこと、なさったことを書き記すように導いてくださいました。それがマタイの福音書から始まる新約聖書になっていくのです。

ペテロの手紙第1、1:8−9「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」

 ここまで準備を整えて、ここまで保証してくださって、イエス様は、「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と約束してくださったのです。そしてそのお約束どおり、イエス様の十字架による罪の赦しと復活のいのちは全世界に広まっていきました。

■イエス様の昇天
 いよいよルカの福音書の最後の場面に来ました。イエス様が弟子たちをベタニヤまで連れていかれます。

50それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。51そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。

 イエス様は手(原文では複数なので両手)を上げて弟子たちを祝福し、祝福しながら離れていかれました。両手を上げたお姿は、大祭司がイスラエルの民に祝福を告げる姿です。それを見て、弟子たちの心は「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びに」おどりました。「イエス様が両手を上げて私たちを祝福していてくださる。」

■喜びを抱いて

52彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、53いつも宮にいて神をほめたたえていた。

 弟子たちは「非常な喜び」を抱いてエルサレムに帰り、もはや何も恐れるものではありませんでした。少し前まで「弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあった」(ヨハネ20:19)のです。そこに復活のイエス様が現れてくださり、弟子たちの「真ん中に立たれた」。その瞬間から状況は一変しました。イエス様はそれから「四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された」(使徒1:3)。イエス様はご自分の復活の姿を弟子たちに繰り返しお見せになり、聖書を説き明かしてご自分の十字架と復活についてねんごろに教えてくださいました。

使徒の働き1:9−11「こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。『ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。』」

 この時以来、キリストの教会はイエス様の復活を記念し、イエス様が再びおいでになる日を待ち望みながら主の日の礼拝を守り続けているのです。

 2006年5月7日、ゆりのきキリスト教会の礼拝が始まった日から読み進んできましたルカの福音書は、これで終わりになります。
 2年4か月の間、毎週礼拝を導いてくださった父なる神様をほめたたえます。そして私たちの真ん中にお立ちくださって私たちを祝福し、私たちの礼拝をお受けくださったイエス様に感謝いたします。どうかこれからも私たちの礼拝をイエス様の復活のいのちで満たしてください。私たちがイエス様を仰ぎ望みつつ喜びを抱いて歩んでいくことができますようにお祈りいたします。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年9月21日