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2008年10月12日 主日礼拝説教
「主イエスの歩む道」(マルコの福音書1章12節〜13節、マタイの福音書4章1節〜11節)
■はじめに
先週からマルコの福音書に入りました。バプテスマのヨハネが、救い主のおいでが近いことを告げ、そしてイエス様がヨハネから洗礼を受けられたところまで読みました。そのあと、イエス様はどうなさったのか。マルコの福音書1章12,13節に語られているように、イエス様は荒野でサタン(悪魔)の誘惑に会われました。
12そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。13イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。
イエス様が荒野でどのような誘惑に会われたのか。その詳細はマルコには記されていませんので、マタイの福音書4章から、イエス様が受けられた誘惑を読んでみましょう。
■第1の誘惑
1さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。2そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
「御霊に導かれて」とあるように、聖霊なる神様がイエス様を荒野へ導かれました。イエス様が荒野で悪魔の試みに会うことは、神様のご計画の中にあったことでした。父なる神様は、人となられたイエス様を救い主として歩む道へと導いておられました。しかし悪魔の目的は、どのようにしてイエス様を父なる神様から引き離すか。どうすればイエス様を「十字架による救い」という道から迷い出させることができるかということでした。
「四十日四十夜」の断食の後、イエス様は空腹を覚えられました。人としての体を持っておられるイエス様に対し、空腹という状況の中で悪魔は最初の試みの矢を放つのでした。
3すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
悪魔はイエス様に「あなたが神の子なら」とささやきました。本当にあなたが神の子なら、全能の権限を与えられているのではありませんか。今、その空腹を満たすために、あなたはこの石をパンに変えることができるはずです、そうしてごらんなさい、と。それに対して、イエス様は答えられました。
4イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
これは、申命記8章3節に書いてあることばです。申命記は、出エジプトから40年たって、いよいよ約束のカナンの地に入るという時にモーセによって語られたものです。
モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民たちは、荒野に出て、すぐに食べるものがなくなりました(出エジプト16章)。人々は、エジプトでの苦しかった奴隷生活を忘れ、また、その苦しみから解放してくださった神様を忘れ、「食べるものがない」「エジプトにいたほうが良かった」と不平を言いました。
そこで神様はイスラエルの人々のために天からマナという食べ物を降らせてくださいました。その時から40年間、イスラエルの民は荒野を旅しながら、毎朝、神様が与えてくださるマナをいただき、神様が確かに生きておられ、自分たちを生かしてくださることを体験したのでした。
イエス様に対する悪魔の試みは、神様との関係を抜きにしてパンを得ることへの誘いでした。
人間は、食べ物があれば生きられます。しかし、食べ物を与えてくださる神様を知らず、そこに神様の祝福があることを知らなければ、何のために食べて生きているのかわからなくなってしまいます。イエス様は、食べ物を与えて生かしてくださる父なる神様に限りない信頼を寄せることと、神様のみことばによって人は真に生かされていくのだという姿勢を示して第1の試みに勝たれました。
■第2の誘惑
5すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、6言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」
悪魔はイエス様を、ユダの荒野からエルサレムに連れて行きました。そして神殿の頂きに立たせ、ここから飛び降りてみなさいと言いました。あなたが神の子なら神様はあなたを守ってくれるだろう、と言うのです。しかもこの時は、悪魔も聖書のことばを出して、その根拠を示しました。詩篇のみことばです。
詩篇91:11−12「まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。」
悪魔の引用では「すべての道で、あなたを守るようにされる」が抜けています。この詩篇は、私たちの歩むすべての道において、神様が御使いを通して支え、石につまずかないように守ってくださるというみことばです。それを悪魔は「高い所から飛び降りてみなさい」「御使いが下にある石に当たらないように守ってくれる」と変えてしまいました。悪魔は、自分の都合のいいように聖書を変えて読んだのでした。
それに対して、イエス様はこうお答えになりました。申命記6:16のことばです。
7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
神を試みるとは、自分が神様よりも上に立つことです。こういうことを見せてくだされば信じますとか、こういうことをしてくだされば従いますとか、そのほかたくさんあります。
しかし、奇蹟を起こすかどうかは神様のみこころであり、神様が決めることです。イエス様は、ただ神様に信頼し、すべての道で私たちを守ってくださる神様にゆだねる生き方を示されました。
私たちがゆだねていくとき、神様は私たちに決して失望を味わわせることはなさいません。なぜなら、神様はあわれみ深いお方であり、私たちを愛しておられ、主権をもってすべてをご存じのお方でありますから、必ず、私たちに最善のことをしてくださるからです(ローマ10:11-12)。
■第3の誘惑
8今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、9言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
これは、悪魔にひざまずいて頼めば、この世の政治的権力や経済的繁栄のすべてをあなたにあげましょうという誘いです。キリストが、貧しい人々や苦しんでいる人々を助けるためにおいでになったのなら、彼らを救うにはこれが手っ取り早い道ですよ、と誘うのです。
それに対して、イエス様は答えられました。これは申命記6:13のみことばです。
10イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」
イエス様は、この世の権力や富によって人々を救おうとする誘惑に勝たれました。ただ神様だけを拝み、神様だけに仕えるという決意を明らかにされました。神様のご支配がすべてのものの上にあり、神様だけが人間を本当に救うことができるということをお示しになられたのでした。
■イエス様の歩まれる道
イエス様は、救い主としての道を歩み出されました。この荒野における試みの中に、イエス様がこれからどのような道を歩んで行かれるのかが、はっきりと示されています。
それはまず第1に、父なる神様のみこころに徹底して従うという道です。イエス様は父なる神様の救いのご計画を実現するために、全くご自分を明け渡して、従って行かれるのです。
第2に、イエス様は、この世の権力や富を用いて人々を救いに導くことをなさらなかったということです。イエス様は私たちの最も深い問題、根本的に救いを必要としている問題が、目に見えるところではなく、目に見えないところにあることを知っておられました。
それは、私たちだれもが生まれつき持っている罪の問題です。罪というのは、自分を造ってくださり、こよなく愛していてくださる神様に背いて神様から離れてしまった状態のことです。神様を無視して自分の考えで生きていこうとする性質のことです(詩篇14:1-3)。この罪の状態から救い出されない限り、私たちは滅びをまぬかれることはできません。いのちを与えてくださる神様から離れてしまった人間は、死によって永遠に滅びることが、聖書に書かれています。
エペソ人への手紙2:1「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、」
ヨハネの福音書3:36「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」
イエス様は、この世の力をもってしてはどうすることもできない罪の問題、すべての人が聖なる神様の前では等しく罪人(つみびと)であり、滅びに定められているという動かしがたい事実から、私たちを解放してくださるために、私たちのところへ来てくださいました。それは、罪のない神の御子イエス様が私たちの代わりに十字架にかかって死んでくださるという方法によるものでした。
神様はイエス様の身代わりの死によって私たちの背きの罪を赦し、私たちを滅びから救い出して、神様のいのちによって生きることができるようにしてくださったのです。
ヨハネの福音書3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
「神の子ならこうすればよい、ああすればよい」という声は、今もイエス様や教会に向けて発せられる誘いです。しかし、イエス様がご自分のいのちと引きかえに私たちに与えてくださったのは、奇蹟や、あるいは富や権力を行使して実現する地上の王国ではありません。人間の罪が赦され解決されて、神様と私たちの間に和解が成立して初めて実現する神の国です。
ローマ人への手紙5:1「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
イエス様の十字架による御救いを受けることのできた私たちは、何と幸いなことでしょうか。イエス様が回復してくださった神様との豊かな交わりを楽しみながら、今週も歩みたいと思います。
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