ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2008年10月26日
2008年10月26日 主日礼拝説教
「権威ある新しい教え」(マルコの福音書1章21節〜31節)
■はじめに
イエス様は、伝道活動の初期にさまざまな奇蹟を行われ、特に病をいやす奇蹟を行われました。それらの奇蹟は、ご自分の教えが神からのものであることを証しするために、またご自分の神としての権威を示すしるしとして行われました。しかし、最も大切な目的は、身近に置いた弟子たちに、ご自分が神の子キリストであることを知らせ、その神の子が十字架にかかることを教えるためでした。
■カペナウムの会堂
21それから、一行はカペナウムに入った。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂に入って教えられた。22人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
カペナウムは、ガリラヤ湖の北西にある町です。イエス様は、弟子に選んだペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを連れてカペナウムの会堂に行かれました。
その日は安息日(土曜日)でした。イエス様は、そこでラビ(ユダヤ教の教師)として、聖書を朗読し、みことばを解き明かされました。イエス様の教えを聞いた人々は「その教えに驚いた」とあります。イエス様の教えが今までの教えとは全く違うものであり、権威のある者が教えているように感じました。今までの教えというのは、律法学者、特にパリサイ人の教えでした。彼らは、昔からの伝承どおり律法を守るようにと教えていました。律法を守ることが最優先であり、それを守るために規則や形式が決められて複雑なものになっていました。
ところがイエス様は、神の権威をもって、全く新しい律法の解釈をなさいました。イエス様の教えがよく示されているのが、マタイの福音書5〜7章の山上の説教です。それを聞いた人たちもこのように感じました。
マタイの福音書7:28−29「イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。」
律法学者たちは「律法の権威」によって人々を教えていたのですが、イエス様は「神の権威」によって教えてくださいました。イエス様の教えは、ただ律法を守ればそれで良いというものではありません。また律法を守れないからダメだということでもありません。聖く完全な神様の前では、すべての人が等しく罪で汚れており不完全だからです。イエス様は、律法よりはるかにすぐれた救いの道を示してくださいました。
■汚れた霊につかれた人
カペナウムの会堂に、汚れた霊(悪霊)につかれた人がいました。
23すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。
悪霊は、悪魔の支配下にあって働く霊的存在です。この悪霊につかれると精神に異常をきたし、悪霊の言いなりになってしまうようです。パウロはこうも言っています。「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。」(Tテモテ4:1)。病を与えるだけではなく、信仰から離れさせようとする働きを悪霊はしているのです。
悪霊の働きは、旧約聖書にはあまり出てきません。イエス様がいらっしゃった時代に、その働きが活発になりました。ですから、イエス様は弟子たちに特別に悪霊を追い出す力を与えられました。
マルコの福音書3:14−15「そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」
マルコの福音書6:7「また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。」
汚れた霊につかれた人はいつも会堂にいましたが、だれもどうすることもできなかったのでしょう。それが突然、イエス様を前にして大声をあげました。
24「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
悪霊につかれた人が、イエス様を「神の聖者」であると告げました。まだだれもイエス様がどういう方か気づいていなかったし、イエス様もそのことを公にしていませんでした。しかし、汚れた霊はイエス様が神の聖者であることを知っていました。自分が滅ぼされることを知って、おそれおののいていました。
25イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。
それに対してイエス様は、権威に満ちたおことばで、汚れた霊に「黙れ」、そして「この人から出て行け」とお命じになりました。
26すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
汚れた霊が最後の悪あがきをするように男をひきつけさせ、投げ倒して(ルカ4:35)、大声をあげてその人から出て行きました。
幸いなことに本人は何の害も受けず、正気に返りました。そこに居合わせた人たちは、彼が悪霊から解放されたことを知りました。
27人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」
人々は、イエス様の権威ある教えに驚き、その教えに加えて、命じると悪霊が出ていくという奇蹟を見ました。彼らはさらに驚き、イエス様の教えが「権威のある、新しい教え」であると論じ合いました。
今までどうすることもできないと思われていた悪霊につかれた人。運命とあきらめるか、あるいはそれを追い出すために偶像にたよらざるを得なかったような人から、イエス様は瞬時にして悪霊を追い出し、たちどころにいやしてしまった。そこに、人々は神様の力の表れ、神様の権威を感じました。それは、自分たちが今まで見たこともなく、聞いたこともない新しい教えでした。
28こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。
■ペテロのしゅうとめのいやし
29イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。
安息日の集会が終わって、イエス様はすぐにシモン(ペテロ)とアンデレの家に向かいました。
ペテロには妻がいました。その妻も夫のペテロと同じくキリスト信徒になりました。ペテロの妻がペテロといっしょに伝道旅行に同行していたことをパウロが記していることから、そのことがうかがえます。
Tコリント9:5「私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパ(ペテロ)などと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。」
ペテロの妻の母であるしゅうとめが「ペテロとアンデレの家」にいました。年をとり、娘の嫁ぎ先で世話になっていたと考えられます。そのしゅうとめが「熱病で床に着いて」いました。
30ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。31イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。
ルカの福音書4章38節によると「シモンのしゅうとめが、ひどい熱で苦しんでいた」とあり、高熱であったことがわかります。娘の嫁ぎ先で床に伏していた彼女のつらさが察しられます。
イエス様はしゅうとめに近寄り、その手をとって起こしてくださいました。ルカの福音書では、枕もとで「熱をしかりつけられた」とあります。するとたちまち熱が引いてしゅうとめはいやされました。
しかも、すぐにイエス様たちをもてなすことができるほど体力を回復させていただいたのでした。
■イエス様がなさったこと
イエス様はこの日、会堂で権威ある者のように教えられました。また汚れた霊につかれた人から悪霊を追い出し、ペテロのしゅうとめの熱病をいやされました。人々は非常に驚き、イエス様の評判はすぐにガリラヤの全地域に広まっていきました。
しかし、その時、もっと驚くべきことがあることにまだだれも気づいてはいませんでした。イエス様の弟子になったばかりのペテロたちも知りませんでした。それは、この世界を創造され、歴史を導いておられる神様が、人のかたちを取って地上に立っておられる、という事実でした。
「ナザレの人イエス」。イエス様は人々からこう呼ばれていましたが、このイエス様こそ、私たちを古い律法から解放し、悪霊を打ち負かし、病をいやしてくださる神様であられました。
それだけではありません。イエス様は、私たちを罪(いのちの源である神様から離れている状態)から救い出し、滅びから永遠のいのち(神様と共にいる状態)に移してくださるために来られたのです。それを可能にする唯一の方法がイエス様の十字架でした。罪のない神の御子イエス様が私たちの代わりに死んで、私たちは赦され(罪から救われ)、神様のいのちによって生きるものとされたのです。
これからイエス様が弟子たちや人々に伝えていこうとしておられるこの教えは、まさに神様ご自身にしかなしえない、権威ある教えであり、律法によらない新しい救いの教えでした。
私たちは、イエス様の十字架という思いもよらなかった方法によって救われ、神様の驚くばかりの恵みを受けることができました。心から感謝いたします。
ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2008年10月26日