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2008年11月9日 主日礼拝説教
「あなたの罪は赦された」(マルコの福音書2章1節〜12節)
■はじめに
先週は、ツァラアトに冒された人がイエス様の前に出て、「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます」と願ったときに、イエス様が「わたしの心だ。きよくなれ」とおっしゃってくださり、そのツァラアトに触ってくださり、いやしてくださったお話をしました。
今日は、イエス様がまたカペナウムに戻ってこられたことろから始まります。
■中風の人が連れてこられる
1数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。2それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。
イエス様が別の町や村をめぐって、またカペナウムの町に戻ってきました。カペナウムにはペテロの家があったので、そのことを知っている人たちがペテロの家に押し寄せてきたのかもしれません。
イエス様はその家で、お話をしておられました。戸口のところまで人がいっぱいで「すきまもないほど」でした。
すると、そのときです。
3そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。
病気になって、体が動かすことのできない中風の人がいました。不自由な体で、イエス様のところに行きたくても行くことができません。
それで4人の人がイエス様のもとに連れてきたのです。彼らは、この中風の人をいつも世話していた家族だったかもしれません。あるいは、近所の友人だったかもしれません。その4人が寝床のまま、「かついで」連れて来たのです。
ところが連れて来たものの、戸口のところまで人があふれていました。イエス様に近づくことができません。
そこでどうしたかというと、
4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
どうしても、イエス様のところに中風の人を連れていきたい。そこで彼らは、屋根に上がりました。屋根に上がって、見当をつけて屋根に穴をあけてしまいました。
イスラエルの家は屋根が平らになっています。木材の上に葦などの植物を並べ、土を乗せていました。それに階段がついていて、簡単に上がることができるのです。
そうであったとしても、屋根に穴をあけて人間を寝たまま吊りおろすのですから、大変なことだったでしょう。
大勢の人が熱心に、イエス様の話を聞いている。その天井に穴があき、人がおりてくる。
ゴミや、ホコリの中で、「イエス様、その人を助けてください。治してください。お願いします」と大声で叫んでいる人がいる。
なんと乱暴な、激しいやり方でしょうか。話が終わるのを待てなかったのかと思ってしまいます。
そのような騒然とした中、イエス様は中風の人に言われました。
5イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。
イエス様は「彼らの信仰を見て」言われました。 ずいぶん乱暴なやり方でしたが、治りたいと願っているその人と、無中になって中風の人をイエス様の前に吊りおろした「彼ら」ひとりひとりの信仰を見られたのです。連れてきた人たちは、なんとかしてこの中風の人を助けてあげたい。イエス様のもとに連れていきたい。 この彼らの思い、信仰をイエス様は見られたのです。
■あなたの罪は赦された
そしてイエス様は、みながびっくりするようなことばを言います。
「子よ。あなたの罪は赦されました。」
「子よ」は、あたたかい呼びかけです。これは当時、先生が弟子として受け入れるときに呼んだことばでした。
だれにでも言うことばではありません。この家に来た客として、そして自分の家族として呼ぶことばです。
そしてイエス様は、中風の人に、「あなたの罪は赦されました」と言われました。
イエス様は、中風の人に力強く、罪の赦しを宣言されるのです。「あなたの罪は赦されました」と。
罪の赦しは、中風がいやされるよりはるかに大きな恵みです。それは、永遠のいのちにかかわることだからです。
ところが、この家に、律法学者が数人座っていました。
律法学者ですから、前のほうに座って神の国の話に耳を傾けていたでしょう。
彼らは、「あなたの罪は赦されました」というイエス様のことばが気に入りませんでした。
「心の中で理屈を言った」のです(6節)。
7「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」
神の国について話すことは、だれにでも許される。しかし「あなたの罪は赦されました」と言う権威は、人間には与えられていない。今「罪の赦し」を実現させてしまう。あなたは神なのか。そんなことはない。
そのように、律法学者たちは考えたのです。
8彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。9中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。
中風の人に「あなたの罪は赦された」と言うのと「起きて、寝床をたたんで歩け」と言うのと、どちらがやさしいでしょうか。「罪が赦された」と言っても、外見からは、その証拠を見ることができません。しかし、皆が見ている前で中風の人が治り、歩いて帰ることになったら、治した人の力をだれも疑うことはできません。
病気をいやすことのできる神の力があることを、そしてイエス様が、この地上で、いま罪を赦す権威を持っていることを示すことになるのです。
■中風のいやし
10人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、
イエス様は言われました。「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」。彼は、たちどころに人々の前で起き上がり、寝ていた床を取り上げて、みなの見ている前を出て行きました。イエス様が神の力を持っておられることが、罪の赦しが地上で目に見える形で明らかになりました。
「みなの者がすっかり驚き」、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神様をあがめました。
この、「あなたの罪は赦されました」ということばによって、イエス様が、罪を赦す権威を持っておられることを、自分が神であることを明らかにされたのです。
■十字架による罪の赦し
「子よ、あなたの罪は赦されました。」このイエス様のことばは、
中風の人だけにかけられたことばではありません。
だれもがイエス様から、かけいただくおことばです。
この4人の人たちは、中風の人をかついで屋根にのぼり、穴をあけ、イエス様の前に吊りおろしました。なんと激しい信仰表現でしょう。しかし、イエス様の愛は、もっと激しかったのです。私たちの救いのために、ご自分の命をかけられたからです。
イエス様は、十字架にかけられ、ご自分の肉を裂かれ、血を流されて、私たちを罪から救ってくださいました。こんな激しい行動、激しい愛の表現があるでしょうか。「あなたの罪は赦されました」ということばには、それほどの犠牲が払われたのです。
イエス様の十字架だけが私たちを罪から救ってくださいます。イエス様だけが人の罪を赦すことができるのです。天の神様は、私たち人間の罪を赦すために、イエス様を救い主としてこの世に遣わしてくださいました。
使徒の働き10:43「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
イエス様の十字架こそが、私たちの罪を赦すのです。ほかに救いはありません。
イエス様が「子よ」と呼んでくださいます。私たちのこんなきたない心を、
こんな恐ろしいことを、こんな恥ずかしいことを、それらすべてを神様はご存じです。私たちのすべてを知っていてくださるお方が、「子よ、あなたの罪は赦されました」と言ってくださいます。
私たちを愛してくださる主に、十字架で、私たちの罪のために死んでくださったイエス様に感謝して、この週も歩み出したいと思います。
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