ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年12月21日


2008年12月21日 主日礼拝(クリスマス)説教
「救い主がお生まれになりました」(ルカの福音書2章1節〜12節)

■イエス・キリストの誕生

1そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。2これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。

 「皇帝アウグスト」は20年間にわたるローマの内乱を平定し、初代皇帝として紀元前31年から後14年までローマを治めました。政治も安定し、ローマ帝国全体に平和が訪れ、繁栄していた時代です。このアウグストが全世界(ローマ帝国内)の住民登録をせよという勅令を出しました。住民登録の目的は、税金を取ることと、徴兵の下準備の2つです。勅令は、皇帝アウグストが支配する世界に自分が王であることを全住民に宣言したものでした。
 ローマの支配にあったユダヤの国では、自らを神とするローマ皇帝に絶対的な服従を強いられていました。イエス様が生まれたのはこのような時代でした。

3それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。

 ヨセフも、身重になっていたマリヤをつれて、ナザレからベツレヘムへと旅立ったのです。

4ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、5身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。

 ヨセフはダビデ王の家系に連なる者でした。イエス・キリストが生まれる約千年前、イスラエルにダビデという有名な王様がいました。救い主はこのダビデの家系から生まれると預言されていました。さらに救い主は、ミカという旧約聖書の預言者によって、ベツレヘムで生まれると預言されていたのでした。
 これらの預言が成就するように、神様がこの時、ひとりひとりを導いておられました。ローマがユダヤを支配するようになったこと、アウグストが住民登録の勅令を出したこと、ガリラヤのナザレに住んでいたヨセフとマリヤが、ベツレヘムの町に行かなければならなくなったこと、その10か月前に、マリヤの胎に幼子が宿ったこと、そして、ヨセフとマリヤがベツレヘム滞在中に救い主が生まれること。それらすべてに、神様の御手が働いていました。
 ナザレからベツレヘムまで、3日ほどの旅行でした。マリヤはすでに臨月になっていました。多くの人が行き交う中、二人はいたわりあいながら、ゆっくり旅を進めたと思われます。

6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 ベツレヘムの町に着いてみると、町は、人口登録に来たダビデの家系の者たちでごったがえしていました。身重のマリヤを伴っての旅は足が遅かったのでしょうか、宿屋はもうどこも満員でした。子どもが間もなく生まれそうなので、どうしても宿屋がほしかったのです。しかし、ヨセフとマリヤに泊まれそうな宿がありませんでした。そこで、マリヤと近づいている出産のために野宿するわけにもいかず、彼らはあいていた家畜小屋を借りて泊まることになりました。
 家畜小屋にいる間、マリヤは10か月前に御使いから告げられたとおり約束の男の子を生みました。生まれた赤ちゃんは、「飼葉おけ」に寝かされました。

■羊飼いたちへの知らせ

8さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。9すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。

 野宿して、羊の番をしていた羊飼いに不思議な輝きが現れました。彼らもユダヤの民でした。神様の使いが現れたことを知り、恐れました。

10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

 「恐れることはありません。」人が神様と出会う時、そこには、恐れと不安が起こります。
 クリスマスは、神様ご自身が人間に直接現れた時でした。神の御子を宿したマリヤに、神様からの御使いが「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです」(ルカ1:30)と語りかけました。
 マリヤの夫となることが決まっていたヨセフにも、御使いが「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです」(マタイ1:20)と告げたのでした。
 バプテスマのヨハネが生まれることを告げられた父ザカリヤにも、「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい」(ルカ1:13)と告げました。
 神様は御使いを遣わして、ひとりひとりていねいに「恐れることはありません」と告げたのでした。羊飼いにも同じでした。
 神が神の御子をこの世に遣わすというご計画が、この時に集中したのです。
 最初の人アダムとイブが罪を犯し、その罪がすべての人類に及び、人は生まれながら罪を持つ者となってしまいました。神様は、それをもう一度ご自分のもとに帰ることができるようにしてくださったのでした。それがクリスマスに実現したのでした。
 これは喜びの知らせでした。その宣言が御使いから羊飼いに告げられました。

■きょう、お生まれになった

11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

 「きょうダビデの町で」、救い主が今日、ダビデの町ベツレヘムでお生まれになりました。きょうから新しい神の救いの時が刻み始めたのでした。ちょうど、天地創造の時に、神様が時を創造し歴史が始まったように、きょう、イエス様がベツレヘムの家畜小屋で飼葉おけに寝かされました。その赤ちゃんの誕生から新しい救いの時、歴史が始まったのでした。
 神様は見ることができ、触ることができ、求めればすぐそこにいてくださる、そのような近い所に来てくださいました。それは2千年以上前の出来事ですが、「きょう、お生まれになりました」というその御使いのことばは、今も変わることなく私たちへのことばでもあるのです。

■私たちのためにお生まれになった
 御使いは羊飼いに告げました。「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」救い主はだれのためでもない、「あなたがたのために」でした。私たちの救い主になるという使命を帯びて、このみどりごは生まれたのです。

12あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

 飼葉おけのみどりごは、私たちをその罪と悲惨から救い出すためのしるしでした。私たちの弱さ、悲しみ、苦悩、罪を知り、そこから救い出してくださるためでした。
 神の子でありながら、人間の体を持ってお生まれになったイエス様は、成長し、30歳になられた時、人々に神様の愛と救いを宣べ伝え始めました。やがて、キリストは捕らえられ、十字架につけられました。その十字架による死刑は、イエス様が犯した罪のためではありません。キリストは何の罪もありませんでした。
 それは、私たちの罪を清算し、神様が人を創造されたその時の状態に戻すためでした。それによって人は、もう一度、新しく生きることができるようになったのです。キリストにある者は、神様の前に恐れることなく出ることができるのです。キリストがすでに罪の刑罰を十字架で代わりに受けてくださったからです。
 その救いが「きょう」のクリスマスに始まったのです。そのことを覚え、きょうクリスマスを感謝し、イエス様の誕生をお祝いしたいと思います。

コリント人への手紙第2、8:9「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

 イエス様によって、私たちが永遠のいのちを与えられる者、「富む者」とされたことを覚え感謝いたします。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年12月21日