ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年2月1日


2009年2月1日 主日礼拝説教
「主がしてくださった大きなこと」(マルコの福音書5章1節〜20節)

■はじめに
 イエス様と弟子の一行は、ガリラヤ湖を舟で渡りました。途中、嵐に出会いましたが、イエス様たち一行は無事向こう岸にたどりつきました。そこから今日の出来事が始まります。

■ゲラサ人の男

1こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。2イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。

 「ゲラサ人の地」は、異邦人が住んでいた地域でした。彼らはユダヤ人が食べない豚を飼っていました。そこに、「汚れた霊につかれた人」(15節で「悪霊につかれた人」)がいました。悪霊は人間に正気を失わせる力を持っています。

3この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。

 この男は、「墓場に住んで」いました。この地方のお墓は、山の斜面に横穴を掘り、そこに体を葬り、石をころがし、ふたをしておくのです。男はその穴に住んでいました。彼は、だれもが近づきたがらない墓場にもぐりこみ、人間社会に入れなかったのです。
 その上、彼は暴力的でした。彼は、超人的な力を発揮し、そのために縛り付けておかなければならない状態でした。

4彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。5それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。

 彼は、鎖をひきちぎり、足かせを砕くほどのすさまじい力を持っていて、石を自分の体に打ち付け、傷だらけ、血だらけになり、昼も夜も叫び声を挙げていました。これではだれも近寄れません。髪や爪は伸び放題になっていたでしょう。
 その悪霊につかれた男のところに、イエス様がやってきました。

6彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、7大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」8それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われたからである。

 悪霊は、イエス様が神の御子であられ、自分たちを支配する力と権威を持ったお方であることを知っていました。悪霊は、何にもまさってさばきを恐れていました。そして、大きな叫び声をあげて、御前にひれ伏し、こう願いました。「どうか私を苦しめないでください」。

9それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。10そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。

 イエス様は悪霊につかれた男に向かって名前を尋ねました。聖書では、名前とはそのものの本質を表すものです。彼は「レギオンです。私たちは大ぜいですから」と答えました。レギオンとは、ローマ軍団の6000人のことです。大勢の悪霊が支配していたのでした。

■悪霊が豚に入り、男がいやされる

11ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。12彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」

 その山の山腹に、豚の大群が飼われていました。悪霊たちは、「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください」と懇願しました。イエス様は、その願いを許しました。するとどのようなことが起こったのでしょうか。

13イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。

 悪霊たちがこの男から出て行き、豚の中に入ると、豚の群れが暴走を始めて、けわしいがけを駆け下っていき、次々に湖になだれ落ちて、豚がおぼれて死んでしまったのです。この騒ぎのあと、男はいやされ、正気になりました。悪霊に縛られて、どうにもならなかった男が、イエス様の力によって解放されたのです。
 なぜこのようにたくさんの豚が死ななければならなかったのでしょうのか。たくさんの豚が死ぬことによって、確かに、この男が悪霊から解放されたことが明らかにされたのでした。悪霊が豚に入らなければ、もっと恐ろしいことが起こったでしょう。それに、これほどの出来事をもってしなければ、このゲラサの地では、イエス様が神の子であることがわからなかったのでした。しかしゲラサ地方の民衆は、これを見て、すっかりおびえてしまいました。イエス様を信じるどころか、恐れでいっぱいになりました。

14豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。15そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。16見ていた人たちが、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。17すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った。

 彼らは、豚が失われ、経済的な損失をこうむったのでした。これ以上何かが起こったら大変でした。彼らはそれ以外のことは考えられませんでした。イエス様の神の子としての力を見ることも、いやされた自分たちの仲間を見て感謝することもできなかったのでした。
 しかし、悪霊を追い出していただいた男は違いました。

■あなたの家に帰りなさい

18それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。19しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」

 墓場に住んでいた彼は、すでに友人もいなかったでしょうし、豚飼いたちの怒りもあったでしょう。地域の人ばかりか、家族さえも彼を受け入れてくれないかもしれません。イエス様について行きたいという願いは、男の切なる願いでした。しかしイエス様は、この男に、「家に帰りなさい」とおっしゃいました。
 これが、イエス様が奇蹟をなさった、もう一つの目的でした。イエス様がこのゲラサ地方にとどまり、宣教を続けることはむずかしかったのです。イエス様はユダヤの地に戻り、十字架への道を進まなければならなかったのです。イエス様はゲラサ人の地に住む人たちの魂を、この悪霊を追い出された男に託したのでした。 
 あなたは家族のもとに帰りなさい。あなたの育ったこの地に、そして、あなたが救われたこの所で受け入られるようになりなさいと。それが、あなたのこれからの人生であると。

20そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

 男の人は、イエス様の言われたとおり、忠実に、この地域で主を言い広める働きをしたのでした。聞いた人々は、「驚いた」とあります。この男の証しによって、イエス様の弟子に加わっていった人たちが起こされていったと思います。

■十字架による救い
 私たちは「悪霊につかれた人」と聞くと、自分とは関係のない人のように思ってしまいます。しかし、自分の歩みを顧みたときに、そこに悪霊の働きがあったことに気づくことがあります。
 本来私たちは、自由な者として造られました。私たちは、神様のかたちに造られた者として自由に生きる者として喜ぶことができるはずなのに、そうできない自分を発見するのです。
 私たちは、神様を知っているのに、神をあがめず、感謝もせず、罪の道を歩んでいます(ローマ1:21)。神様は、人間が持っている自由を本来の目的に使うことをしないので、神様は、人間の心の欲望のままに歩むことにまかせられた、とあります(ローマ1:24)。
 それは、まさに悪霊の働きであるとエペソ人への手紙2章で言っています。

エペソ人への手紙2:1−5「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──。」

 「自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行う」、それは人が生まれながらに持っている罪の生活を続けることです。神様はこの罪に対して、御怒りを持っておられました。しかし神様は、愛のお方であり、ご自分の造られた者を限りない愛をもって愛しておられます。それがイエス様の十字架によって示されました。
 神様の怒りを、イエス様が私たちの罪の身代わりに十字架で負ってなだめてくださったのです。イエス様の十字架によって救われる人は、永遠に、自分の罪のためにさばかれることはありません。
 まさに、ゲラサの地の悪霊につかれた男に、イエス様が近づいていやしてくださったように、イエス様は私たちの魂に近づき、自らのいのちをもって、十字架における身代わりのいのちをもって、罪によってがんじがらめになっていた私たちを真に自由に生きる者としてくださいました。
 イエス様は、私たちを創造された本来の生き方に生きるようにと解き放ってくださったのでした。イエス様に心から感謝し、その思いをもって今日の聖餐式に臨みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年2月1日