ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年3月1日


2009年3月1日 主日礼拝説教
「力あるわざはどこから」(マルコの福音書6章1節〜6節)

■はじめに
 イエス様はベツレヘムでお生まれになり、少年時代、青年時代をナザレで過ごされました。そして30歳になったとき、ナザレの家から出られ、バプテスマのヨハネのところに行かれました。そのころヨハネは、ヨルダン川で悔い改めの説教とその悔い改めのしるしとしての洗礼を授けていました。イエス様はそこで洗礼を受けられ、次に悪魔に誘惑に会われ、勝たれ、そして、福音を公に宣べ伝え始められました。
 その後まもなくして、イエス様がナザレにお帰えりになり、安息日に会堂でお話しされたことが、ルカの福音書4章16節に記されています。マルコの福音書(マタイの福音書も)では、ルカの福音書にあるような、かなり初期にイエス様が故郷のナザレに帰ったようには記されてありません。マルコの福音書によると、まずイエス様はガリラヤ湖畔にあったカペナウムという町を拠点として活動をされました。イエス様の評判は高まりますが、そこに家族の者たちが尋ねてくることはあっても、イエス様ご自身が故郷のナザレに帰られることはありませんでした。
 ですからルカとマルコを読み比べてみると、イエス様は故郷に2度帰られたことになります。あるいは、ルカは時間的順序を変えて、主題ごとにまとめて書く傾向にありますので、イエス様がナザレに1回帰られたその同じ出来事を、別の視点から書いたとも考えられます。

■ナザレに帰る

1イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。

 イエス様たちは、会堂管理者ヤイロの家でヤイロの娘をよみがえらせてから、弟子をつれて郷里(ナザレ)に向かわれました。ルカの福音書4章の時から少なくとも1年以上たっていたと考えられます。
 ナザレに帰ったイエス様は、安息日に会堂(そこはイエス様が小さいころから通っていた会堂だったでしょう)で教えられました。

2安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。

 ナザレの人たちのイエス様に対する評価と驚きは、「この人に与えられた知恵」「この人の手で行われるこのような力あるわざ」はどこから得たのだろうか、というものでした。イエス様の評判は風のたよりで聞いていたでしょう。イエス様の知恵、力あるわざはやはり本当でした。しかし、彼らの関心は「どこからこれらの知恵や力を手に入れたのか」でした。彼らは、イエス様の知恵や力が自分にとってどういう意味があるかを考えようとしなかったのです。
 それはパリサイ人たちもそうでした。彼らは、それが天からのもの、神からのものであることを受け入れることができず、それは悪霊によるものと考えました。ナザレの人たちも、イエス様のことを考える時に、自分たちの常識や知識の範囲を超えることができませんでした。彼らは、イエス様の生い立ちと切り離して、イエス様ご自身を見ることができなかったのです。

■イエス様につまずく

3この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。

 彼ら言う「この人は」ということばには、軽蔑の気持ちが込められています。ナザレから、また大工から偉大な宗教的指導者は出るはずはないと考えてしまいました。ナザレの人たちは、イエス様の知恵と力あるわざを認めましたが、彼らにとって、イエス様を救い主と認めることができず、イエス様は自分たちの仲間の一人、「大工」でしかなかったのでした。
 彼らはイエス様の家族をよく知っていました。母親の「マリヤ」、4人の弟「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」、そのほか妹たちを知っていました。しかも、兄弟たちはイエス様を信じていなかったのでした。彼らが信じたのはイエス様の復活後でした。
 ナザレの人たちはイエス様の説教も聞き、その行うみわざも見ました。彼らは、その力が神から来たと思ったでしょうが、自分たちの常識でもってそれを否定し、まさかという思いと、自分たちの中から救い主が出るとは認められず、受け入れることができなかったのでした。
 彼らはイエス様に「つまずいた」のでした。素直になれなかったのです。自分の経験、自分の知識、常識でイエス様を見ようとしたのでした。

4イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」

 ナザレの人たちも、神を信じるユダヤ人たちでした。しかしイエス様を預言者以上のお方、「神の子」と認めることができませんでした。イエス様は行く先々で、多くの人に囲まれ、教えと奇蹟を行っていました。しかしナザレの人たちにとって、いつまでもイエス様は「マリヤの長男」でしかなかったのでした。

5それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。6イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。

 イエス様が受け入れられなかったことを弟子たちも見ました。弟子たちはイエス様につまずくということがどういうことかを体験したのでした。

■弟子たちもつまずく
 イエス様は、このナザレに来る直前、信仰の大切さ、信仰によって人が変えられることを弟子たちに教えてきました。長血の女には「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです」とイエス様は言われました。ヤイロには「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われました。それらのことばを弟子たちも聞きました。そして信仰をもってイエス様を見る時に、イエス様に近づく時に、イエス様は祝福を与えてくださったことを弟子たちは見てきました。
 しかし、そうできなかった人たち、信じることができなかった人たちもいました。イエス様につまずいた人たちでした。
 ナザレの人たち、イエス様を神の子と認められないイスラエルの指導者たち、イエス様をローマの解放者として期待していた人たちなどです。そして最後には、イエス様が神の子と信じたペテロも、弟子たちもイエス様の十字架を前にしてつまずいてしまうのです。しかし、弟子たちとイエス様の家族は、イエス様の復活を見て、イエス様が「神の子」救い主であるという信仰に立ち返ったのでした。

■十字架につけられたキリスト
 後にイエス様の弟子となったパウロも、十字架につまずきました。パウロにとって、「木にかけられた者(十字架につけられたキリスト)は呪われた者」でした。救い主があのような死に方をするはずがなかったのでした。それは、パウロは自分の基準で自分の知識、自分が持っていた律法でイエス様を見てしまったからでした。
 しかし、パウロも復活されたイエス様にお会いして、十字架こそ救いに至らせるものであることがわかりました。その信仰によって救われることを知ったのです。パウロはこう書きました。

コリント人への手紙第2、5:16「ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」

 そしてパウロは、十字架のみに救いがあることを、それがつまずきになることを知りながら、それを信仰によって受け入れるように語り続けたのでした。

コリントへの手紙第1、1:23−25「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」

 ナザレの人たちが発した問い「この知恵と力はどこから来たのか」の答えは、「神からのもの」でした。そう答えることのできる信仰が与えられた人は幸いです。私たちは、これからも「神の子イエス・キリスト」を信じて歩んでいきたいと思います。その神の子イエス様が、私たちの罪を赦し、救いに入れてくださるために十字架にかかってくださったことを感謝して、今日の聖餐式に臨みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年3月1日