ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2009年3月8日
2009年3月8日 主日礼拝説教
「神により頼む」(マルコの福音書6章7節〜13節)
■はじめに
イエス様が弟子を召した目的は、将来にわたって福音を広めるためでした。弟子たちは、これまでイエス様の奇蹟を目撃し、イエス様の教えを聞きながら、イエス様の弟子となる訓練を受けてきました。
イエス様は、ナザレの人たちの拒否にあって後、「近くの村々を教えて回られました」(6節)。そのあとイエス様は、この12弟子の派遣を行いました。
派遣された地域は、ガリラヤの村々であったでしょう。並行しているマタイの福音書10章に、イエス様はまだサマリヤ人のところにも、異邦人のところに行くことをお許しにならなかったとあります。
マタイの福音書10:5「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。『異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。』」
この伝道旅行は、弟子たちがイエス様の教えを伝える最初の実地訓練でした。弟子たちの活動によって、イエス様の教えがガリラヤ地方全体に行き渡りました。
■出て行くための準備
7また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。
伝道旅行は「ふたりずつ」の組になって行われました。イエス様は弟子をひとりで送り出すことはありませんでした。それは、聖書にある「二人の証人」が必要という教えにかなっていたことでした。
8また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。9くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」
イエス様は、彼らに何も持たずに伝道するように命じられました。持ち物は杖と靴のみです。替えの下着も持ちません。マタイの福音書では、靴も杖も持っていくなと、より厳しく表現されています。
マタイの福音書10:10「旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。」
イエス様は、初めて伝道に出る弟子たちに、イエス様の教えを伝えようとする者の原則と祝福を示されました。神様に信頼して生き、神様を仰ぎ見て、神様に従って進みなさい。そうすれば、すべての必要が満たされることを教えられました。弟子たちは、宣べ伝える神の国に対する信頼をもって、神様への全面的な信頼をもって出て行くのです。パウロもそのようにして、十字架による救いを伝えました。
コリント人への手紙第2、6:10「私たちは……悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」
■神により頼む
イエス様が弟子たちを遣わす時に語ったことばは、伝道者だけではありません。すべて、神様を信じる者すべてに当てはまる生き方であり、原則です。神様が私たちをご支配くださり、守ってくださると信じる者たちに、神様は必要のすべてを与えてくださると、こう約束しておられます。
マタイの福音書6:31−33「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
■備えてくださる神様
10また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。
これは、最初に受け入れてくれた家にとどまり続けなさいということです。もっと良いもてなしをする家があったからといって渡り歩いてはいけない。宿屋を変えてはいけない、というのです。
それは、与えられたものを感謝して受けることを教えています。同時に、伝道の拠点は、神様が備えてくださり、神様の導きによってふさわしい家が与えられることをイエス様は保証してくださったのでした。
そのような例がピリピの町でありました(使徒の働き16章)。パウロは、ピリピの町に着いてから、まだ泊まる家がありませんでした。最初の安息日に、ユダヤ人たちが集まっていると思われる川岸に行って話をすると、そこにルデヤという女の人がいて、彼女はパウロの伝えた救いを信じました。ルデヤはパウロに自分の家を提供し、パウロはルデヤの家を使い、ピリピの町の伝道を続けたのでした。そして、ピリピにマケドニヤ地方最初の教会が誕生したのでした。
11もし、あなたがたを受け入れない場所、また、あなたがたに聞こうとしない人々なら、そこから出て行くときに、そこの人々に対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」
宣教がいつも歓迎されるわけではありません。時には拒絶する人が出てきます。神のことばを受け入れない場所、人々には、足の裏のちりを払い落して出て行くようにと言われました。これは、そこで触れたものはすべて無関係、ちりさえもそうだということを示す仕草です。
イエス様は、伝えるためにはあらゆる努力をしなければなりませんが、聞こうとしない者には伝えた者の責任ではないことを教えられました。その責任は、彼ら自らが負うことになるからです。
12こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、13悪霊を多く追い出し、大ぜいの病人に油を塗っていやした。
弟子たちは、「悔い改めを説き」「悪霊を追い出し」「病人に油を塗っていやし」ました。そして彼らは、神の国の到来を告げました。
マタイの福音書10:7「行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。」
イエス様は天に帰られる時、イエス様の教えを伝えるために出ていく弟子たちに、「わたしがいつも共にいてくださる」と約束してくださいました。
マタイの福音書28:19−20「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
神様の恵みを告げ知らせるために、これからも神様の助けをいただき、励んでいきたいと思います。
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