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2009年3月15日 主日礼拝説教
「バプテスマのヨハネ」(マルコの福音書6章14節〜29節)
■はじめに
弟子たちが2人ずつ組になって、ガリラヤに伝道のため派遣されました。彼らが帰って来るのが30節に記されます。
6:30「さて、使徒たちは、イエスのもとに集まって来て、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエスに報告した。」
その間にはさまれて、バプテスマのヨハネの最期の様子が語られるのが今日の箇所です。
■ヘロデとヘロデヤの結婚
14イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は、「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が、彼のうちに働いているのだ」と言っていた。
弟子たちのガリラヤ伝道によって、イエス様のことがヘロデの耳に入りました。人々はイエス様を、すでに死んでいたバプテスマのヨハネの再来ではないかとうわさしていました。
「ヘロデ王」とは、イエス様が誕生されたときユダヤの王であったヘロデ大王の息子です。ヘロデ大王は東方の博士たちの訪問を受け、彼らからイエス様が生まれたことを聞き、2歳以下の男子を見つけ出して殺害した王でした。ここに出てくるヘロデ王は、歴史上「ヘロデ・アンテパス」と呼ばれているガリラヤ領主のことです。
ヘロデ大王の死後、国はローマによって4つに分割され、「ヘロデ・アンテパス」は北のガリラヤ地方だけを治める領主となりました。イエス様が十字架につけられる前に会ったのも、このヘロデでした(ルカ23:8)。
ヘロデは、イエス様のことを聞き、大きな恐れに襲われました。それは、バプテスマのヨハネがよみがえったと言われていたからでした。ヘロデは人々のうわさを信じました。それは、ヘロデにヨハネを殺したことに対する迷信的な恐怖があったからでした。
17実は、このヘロデが、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、──ヘロデはこの女を妻としていた──人をやってヨハネを捕らえ、牢につないだのであった。18これは、ヨハネがヘロデに、「あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です」と言い張ったからである。
ヘロデは、バプテスマのヨハネを捕らえ、牢につなぎました。ヨハネが「兄弟ピリポの妻を自分のものとした」と糾弾したからでした。
「ピリポ」とは、ヘロデ王と同じ、ヘロデ大王の息子で、兄「ピリポ」と弟「ヘロデ王」は異母兄弟になります。その兄ピリポの妻であったのが「ヘロデヤ」という人で、ヘロデヤはヘロデ大王の孫にあたります。ピリポとヘロデにとっては、ヘロデヤは姪ということになります。
ヘロデはすでに結婚していましたが、兄の妻ヘロデヤの美しさにひかれ、ヘロデヤと結婚することを願い、自分の妻と離縁しました。ヘロデヤもそれに応え、ピリポと別れ、娘のサロメとともにガリラヤにやってきて、ヘロデと結婚したのでした。サロメという名は聖書に出てきませんが、ローマの歴史からその名前が知られています。
この結婚をバプテスマのヨハネが知り、「それは不法です」とヘロデ王を叱責しました。ヨハネの説教は罪の悔い改めの説教でした。それには厳しい罪の指摘も伴っていました。義理の姉妹と、夫が生きているうちに結婚することは旧約聖書の教えに反することでした。ヨハネは、直接王宮に行ってヘロデにその罪を突きつけたか、あるいは民衆への「罪を悔い改めなさい」の説教の中で、ヘロデ王の結婚のことに触れたのか。いずれにしても、それがヘロデの耳に入り、ヘロデはヨハネを捕らえたのでした。そのことは、マルコの福音書では最初のほうに出ていました。
マルコの福音書1:14「 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。」
■ヘロデの誕生日の宴会
19ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。20それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。
ヘロデ王の妻となったヘロデヤは、早くヨハネを殺すように、たびたび夫のヘロデに言ったでしょうが、それがかなわないでいました。それは、ヘロデがヨハネを「正しい聖なる人」と知っていたからであり、しばしばヘロデはヨハネから教えを聞き、自分の犯した罪に良心を刺されながらも、ヨハネを牢に置き、生かしておいたのでした。
ところが、ヘロデにとっても思いがけないチャンスがやってきました。それは、自分が積極的にかかわることなく、やむをえずヨハネを殺したという状況が巡ってきたからでした。
盛大なヘロデ王の誕生日が行われました(21節)。たくさんの人々が集まり、さまざまなお祝いとことばを受けたヘロデは有頂天になり、ヘロデヤの連れ子、ヘロデ王にとって義理の娘になるサロメの踊りをみなに見せたくなりました。
少女ということばから、このときサロメは12歳から17歳くらいであったでしょう。サロメの踊りは、列席の人々を喜ばせました。ヘロデもうれしくなり、酒の勢いもあったでしょう、「何でもほしい物を言いなさい。与えよう」(22節)と、気前のいいところを見せました。「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう」(23節)と、できないことまでも軽く口に出して誓ってしまいます。
24そこで少女は出て行って、「何を願いましょうか」とその母親に言った。すると母親は、「バプテスマのヨハネの首」と言った。
王からそのような約束をもらったサロメは、母ヘロデヤのところに飛んで行きました。ヘロデヤはすぐに、サロメに耳打ちした。「ヨハネの首をもらえ」と。サロメにとって、母親のことばは絶対でした。母親がサロメに言ったことばそのまま伝えました。「今すぐに」と、ヘロデの心変わりを封じ、「首を盆に載せて」と、そのことが決定的に行われることを要求したのでした。
■バプテスマのヨハネの死
ヘロデ王にとっては予想外の要求でした。ヘロデはヨハネのことを思って動揺しましたが、サロメの要求を断れませんでした。ヘロデはサロメの要求に、それは良くないと断ることもできたでしょう。しかしヘロデは、小心でした。神を恐れず、人の目を恐れました。「列席の人々の手前もあって」(26節)断ることができませんでした。
一瞬の戸惑いはあったでしょうが、自分の動揺を悟られないよう「すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した」(27節)のでした。「護衛兵」は行って、ヨハネの首をはね、それをサロメに、そしてサロメは母親ヘロデヤのところに持っていきました。
29ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった。
ヘロデの誕生パーティーで起こったことが、ヨハネの弟子たちに報告されました。弟子たちは、ヨハネの遺体を引き取って葬ったのでした。
■バプテスマのヨハネの生涯
バプテスマのヨハネは、ヘロデ王に大胆に罪を指摘し、その結果、投獄され、殺されてしまいました。それは、人を恐れず、神様を恐れた生涯でした。
マタイの福音書10:28「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」
ヨハネの生涯は、人間の目で見れば、途中で終わったかに見えます。しかし、神様から与えられたヨハネの使命は、イエス様を紹介することでした。このことは十分果たした生涯でした。
ヨハネはイエス様のことをこう語りました。
ヨハネの福音書3:20「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」
そしてイエス様は、ヨハネのことをこう語りました。
ルカの福音書7:27−28「その人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう』と書かれているその人です。あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。」
イエス様は、ヨハネが救い主の道備えをした者であり、ヨハネは女から生まれた者の中で最もすぐれた者であったと紹介しました。そして、「しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています」とおっしゃいました。
イエス様は、イエス様によって救われた者は、十字架の救いを直接知り、そのことを信じて神の国に入る者たちなので、ヨハネより大きな祝福が与えられるとおっしゃったのです。
エリヤも、預言者たちも、救い主を望みながらも見ることができませんでした。最後の預言者と言われているバプテスマのヨハネは、救い主イエス様を見ることはできましたが、イエス様の十字架を見ることなく殺されてしまいました。
しかし、私たちは、十字架の救いを自分のものとして受けることができ、十字架によって罪を赦され、神の国に入ることができることを知っている者たちなのです。
私たちは、このような十字架による救いの時代に生かされていることを感謝して、これからもイエス様を信じ、イエス様に従って歩みたいと思います。
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