ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年5月10日


2009年5月10日 主日礼拝説教
「天からのしるし」(マルコの福音書8章1節〜21節)

■はじめに
 イエス様は、いま異邦人の地で活動しておられます。ツロ地方でスロ・フェニキヤ出身の女の娘で、悪霊につかれていた娘をいやされた後、異邦人の多く住んでいるデカポリス地方に行き、そこで耳が聞こえず口がきけない男をいやされました。イエス様はこれまでユダヤ人への宣教を主としていましたが、このときは異邦人への宣教を試みているかのような歩みです。
 やがてイエス様の十字架と復活の後、その教えはエルサレムからユダヤ、サマリヤそして全世界、地の果てにまでが伝わっていくのです。

■4000人のパンの奇蹟
 デカポリスの地方で行われた4000人へのパンの給食は、ユダヤ人も異邦人も共にあずかった奇蹟でした。イエス様の恵みが異邦人に及んで行くことを象徴していました。これは、6章32節以降にあった男5000人へのパンの給食(その時は、ほとんどユダヤ人であったでしょう)に続いて2度目の給食になります。
 イエス様の話は、デカポリス地方の人々を前にして3日間続いていました。イエス様の教え、救いのことばを初めて聞くという彼らの熱心さは、自分たちが空腹であることを忘れるほどでした。イエス様は、人々が空腹を覚えていることを心配して、そのことを弟子たちに話されました。
 前回5000人の時は、弟子たちがイエス様に、「夕方になったので、群衆を解散させて食べ物を買って来させるように」と提案しました。この時は、群衆が異邦人であったから、弟子たちはそのように言い出さなかったかもしれません。

4弟子たちは答えた。「こんなへんぴな所で、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができましょう。」

 イエス様は弟子たちの答えを聞き、今あるパンの量を質問されました。答えは「七つです」。それからイエス様は地面に座るようにおっしゃいました。イエス様はパンを取って、感謝をささげ、裂いて、弟子たちに与えられました。人々はみな満腹するまで食べることができました。そして、余りのパン切れが「七つのかご」に集められました。

10そしてすぐに弟子たちとともに舟に乗り、ダルマヌタ地方へ行かれた。

 聖書地図「キリストの後期旅行」にあるように、そこはガリラヤ湖の西「マグダラ」と考えられています。

■パリサイ人が天からのしるしを求める
 そこでのイエス様の教えは、実りある結果を見ることはなかったと思われます。それは、そこにパリサイ人たちが待ちかまえていたかのようにやってきたからでした。

11パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスをためそうとしたのである。

 彼らは、イエス様の奇蹟だけでは、救い主として信じるには不十分と考えました。彼らは「天からのしるし」を求めました。それは、今すぐに、例えば天からの声、天からの火、天から降ってくるマナのような天から来るしるしを要求したのでした。

12イエスは、心の中で深く嘆息して、こう言われた。「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。まことに、あなたがたに告げます。今の時代には、しるしは絶対に与えられません。」

 イエス様は彼らの不信仰を嘆かれました。たとえ新しい天からのしるしを与えても、彼らは信じないことがわかっていたからでした。しるしを見て信じることができるのは、知識ではなく、信じたいという願い、その信仰があるかどうかでした。
 パリサイ人たちはすでに、ガリラヤ地方で行われていたたくさんの奇蹟について聞いていたし、見ていたはずでした。バプテスマのヨハネの証言もありました。それでイエス様が救い主であることがわかるはずでした。

ヨハネの福音書7:17「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか……がわかります。」

 そのような真剣に求める態度をとろうとしないパリサイ人に対して、イエス様は新たなしるしを見せることはなさいませんでした。

13イエスは彼らを離れて、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。

 そして、また舟に乗って向こう岸(東岸)のベツサイダに行かれました。その舟の中での出来事です。

■パン種に気をつけなさい

14弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。15そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」

 弟子たちがパンを忘れたことを弟子同士で話をしていました。そのとき、イエス様は「パン種」の話をされました。
 「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種。」パン種はいろいろたとえられますが、ここでは悪影響を与えるものとして使われています。そして、その影響力はしだいに増し、弟子たちにも脅威になっていく。だから「十分気をつけなさい」と言われました。
 しかし、弟子たちは、イエス様の言われた意図に気づきませんでした。

16そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始めた。

 そのときイエス様は、弟子たちの信仰を問題にされたのでした。

マタイの福音書16章8節「イエスはそれに気づいて言われた。『あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。』」

 これまでも、イエス様のことばを正しく理解できなかったことがしばしばありました。このときも、自分たちがパンを持っていなかったから、イエス様がパン種のことを話されたと思い、イエス様の言われた意味を考えようとしないで、これからパンがなくてどうするのか、だれがパンを忘れたのか、などと論議し始めました。

17それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。

 イエス様はたとえで話された霊的な意味を汲み取れず、全く違う次元の話に終始してしまう弟子たちに、イエス様は弟子たちに叱責されました。イエス様はパンのことを問題にされたのではなかったのです。そのことを気づかせるために、また弟子を教育するために、今までに行った2つのパンの奇蹟を思い出させました。
 弟子たちはパンのことは心配する必要がありませんでした。生活のパンはいつも与えられていました。弟子たちの必要は必ず満たされたのでした。それは、弟子たちが行った伝道旅行でも実証されました。

マルコの福音書6章8節「また、彼らにこう命じられた。『旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。』」

21イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」

 ここまで言われて、弟子たちはようやく理解しました。パン種とはパリサイ人たちの教えのことであると気づきました。イエス様に天からのしるしを求めようとする、彼らの不信仰に対して注意するように言われたのでした。

マタイの福音書16章12節「彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなくて、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。」

 パリサイ人は偽善的であり、形式的な律法主義者でした。ヘロデ党は、この世的、この世に迎合する、物質主義者であったのでした。

■私たちへのしるし
 私たちは、この時の弟子たちとは違って、すでにイエス様の全生涯を知っています。イエス様のなさった奇蹟、教えてくださったことすべて、そしてイエス様の十字架と復活が、イエス様が救い主であることを信じられるしるしであると知っています。それを私たちは、今は聖書から知ることができます。

ヨハネの福音書20章30−31節「この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」

 イエス様の十字架は、私たちの罪のためであったこと、それを信じる者たちに、神様は私たちの罪があたかもなかったかのように見てくださり、神の子としてくださり、神の国へ入れてくださいます。そして、この地上に生きているうちに、私たちは神の国にいるのと同じような喜びの生涯を送ることができるのです。それが聖書の約束です。
 それは神様がいつも共にいてくださり、どんなときにも見捨てず、いつも慰めてくださり、励まし、恵みを私たちに与えてくださるからです。そのことを感謝して、また1週間を歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年5月10日