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2009年5月24日 主日礼拝説教
「あなたはキリストです」(マルコの福音書8章27節〜33節)
■はじめに
今日の「ペテロの告白」は、イエス様の歩みの一つの転換点と言われている箇所です。今までのイエス様の歩みは、ガリラヤ地方を中心とした群衆への伝道でした。これからは、イエス様が迫り来る十字架の死を前にして、残される弟子たちと共にエルサレムへの道を進んで行くことになります。
■わたしをだれだと言いますか
27それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」
イエス様たちはベツサイダから北に向かい、ピリポ・カイザリヤに着きました。そこでイエス様は、弟子たちに尋ねられました。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」
28彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」
「バプテスマのヨハネ」は、すでにガリラヤの国主ヘロデによって首を切られていましたが、そのヨハネが生き返って、あのような力を発揮しているとうわさされていました。
また、旧約聖書に出てくる預言者エリヤだという人たちもいました。旧約聖書に、メシヤが現れる前にエリヤが現れると預言されていたからでした。そのほか、「預言者のひとり」だと言う人もありました。しかし人々は、救い主キリストであるとはっきり言うことができませんでした。
イエス様はどのようなお方だったでしょうか。実際のイエス様は柔和でへりくだったお方でした。罪人や取税人の友となり、人々の悲しみに心を動かされるイエス様でした。そのようなイエス様の中に、人々が待ち望んでいた救い主、ローマの軍隊を打ち破りイスラエルの独立をもたらす英雄的な「救い主」の姿を見いだすことができなかったのです。
■あなたがたは、わたしをだれだと言いますか
29するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」
イエス様が本当に知りたかったのは、世の中の人々の評判ではなく弟子たちの答えでした。代表してペテロが答えました。「あなたは、キリストです」と。「あなたは、ユダヤ人が長い間待ち望んでいたキリスト、救い主です」とペテロは言うことができたのでした。
30するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。
それは、弟子たちも、人々もまだ本当のキリストについて理解できなかったからでした。
■初めて受難と復活を予告される
そこでイエス様は弟子たちに、自分は救い主キリストとして何をするかについて、初めて明らかにされました。イエス様がご自分の受難と復活を予告なさる初めてのおことばでした。
31それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
主イエス様はこれから歩もうとされている先に何があるのか、イエス様の身に何が起こるのか。イエス様が苦しみを受けて、殺されて、三日目によみがえられるということを具体的に教え始められました。
32しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。
ところが、それは弟子たちにとって、びっくりするようなことばでした。彼らは、イエス様のことばを理解できませんでした。そこで、ペテロはイエス様をわきに引き寄せ、イエス様をいさめ始めます。「そんなことがあなたに起こるはずはありません。」
ペテロをはじめ弟子たちは、彼らなりにメシヤの王国を考えていました。彼らの漠然とした願いはユダヤ王国の建設でした。イエス様が復活されたあと、弟子たちは「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか」(使徒1:6)と尋ねました。
しかし、イエス様はエルサレムで十字架にかかり、死ぬことを目指されたのです。それは、すべての人の罪を負い、すべての人がイエス様の打たれた傷によって、いやされるためでした。
ペテロは、イエス様が神のひとり子であり、イエス様の国はこの世のものではなく、永遠に続く神様の御国であり、イエス様が神様の御国をご支配されるお方であることは理解できたかもしれません。しかし、そのイエス様が、なぜ「多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され」なければならないか、ペテロにはわかりませんでした。
■下がれ。サタン
33しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
イエス様は振り向いて、弟子たちを見ながらペテロを叱りました。ペテロだけでなく、弟子たちみなそう思っていたからでした。「下がれ。サタン。」
これは厳しいおことばでした。イエス様を愛してやまないペテロにとって、予想もしなかったことばでした。しかし、イエス様を気づかうペテロのことばにさえ、サタンはわなをひそませていたのです。
これはイエス様への、十字架で死ななくても人々を救うことができるのではないかというサタンの誘惑のことばでした。それはかつて、サタンが荒野でイエス様を誘惑した時と同じでした。サタンは、「あなたが神の子なら、その力を示したらどうか。石をパンに変えてみよ。ここから飛び降りてみろ。私を拝め。この世のすべての国々を与えよう」と言ってイエス様を試みたのです。
■十字架
「あなたは、キリストです」と正しい告白をしたペテロと弟子たちは、十字架にかかる救い主キリストの歩みを理解できず、受け入れることができませんでした。
神様のご計画は、人間の罪によって生じた神様と人間との断絶に橋をかけることでした。そのためには、神様から背いた罪の贖いの代価として犠牲となる命が必要だったのです。それを神様のひとり子であるイエス様が引き受けてくださいました。
ペテロの手紙第1、2:24「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
それが神様のご計画でした。私たちを愛するがゆえの恵みのご計画です。ペテロたちは、イエス様が十字架にかかり復活されてから、イエス様の言われた意味がわかりました。ペテロたちは復活のイエス様にお会いして、そのことの証人になったのでした。
■信仰告白
信仰告白とは今日のところで見たように、「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」というイエス様の問いに対する答えです。人はいろいろ言うでしょうが、「あなたはどうですか」と問われているのです。私たちは、この問いに対して、イエス様を「私の救い主です。私の神様です」と告白するのです。
ペテロはイエス様の問いに対し、あなたは「あなたは、キリストです」と告白しましたが、これはペテロ自身がしたことではありませんでした。マタイの福音書を見ると、この告白の後にイエス様はペテロにおっしゃいました。
マタイの福音書16:17「するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。』」
ペテロが告白できたのは、そこに神様が働いてくださり、そのように導いてくださったと、イエス様は言われました。
その告白の時、ペテロの知識はまだ不十分でした。ペテロは、イエス様の十字架と復活の意味をまだ理解できていませんでした。しかし、この時ペテロが「あなたは、キリストです」と言った信仰告白は、生まれたばかりの赤ん坊の産声のようなものでした。これは神様に導かれた告白であり、ペテロの信仰は確かに、このとき据えられたのでした。
何も全部わからなくてもいい、知識が信仰を生み出すのではありません。信仰とは、イエス様を前にして、イエス様が私の救い主です、イエス様についていきます、と言い表すことです。そのように神様が導いてくださるのです。
神様の導きをいただいて、イエス様を神の子キリストですと告白することができた人は幸いです。ペテロはこのように手紙に書きました。
ペテロの手紙第1、2:2「あなたがたは、……生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」
教会に集う人たちが導かれ、イエス様を「神の子キリストです」と告白できるように祈りたいと思います。信仰告白した私たちは、みことばによって成長し、救いを得ることを望んで、今週も一歩一歩共に歩んでいきたいと思います。
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