ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年7月12日


2009年7月12日 主日礼拝説教
「神が結び合わせたもの」(マルコの福音書10章1節〜12節)

■はじめに
 10章からイエス様の活動が、新しくガリラヤからユダヤ、エルサレムに移っていきます。11章になると、イエス様が十字架にかかり復活される最後の1週間、エルサレム入城の出来事に入っていきます。

1イエスは、そこを立って、ユダヤ地方とヨルダンの向こうに行かれた。すると、群衆がまたもみもとに集まって来たので、またいつものように彼らを教えられた。

■パリサイ人の質問
 まずパリサイ人が結婚と離婚の問題を持ってやってきました。

2すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。

 「夫が妻を離別すること」は、ユダヤの教えでは許されることでした。しかし、何が離婚の原因として認められるかについては、いろいろ考えがあって定まっていませんでした。ですから、この問いは、どう答えてもイエス様を窮地に陥れることになる問いでした。

3イエスは答えて言われた。「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」4彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」

 イエス様は、彼らがよりどころとしている律法をご存じで、「何と命じていますか」と尋ねました。パリサイ人は申命記24章1節を引いて、「モーセは離婚を許しました」と答えました。「人が妻に何か恥ずべき事があり、気に入らなくなったら、離婚状を書いてその女に渡し、家から去らせるように」(申命記24:1参照)。
 しかし、これには続きがありました。この律法は、女性に対して「離婚状を出す」ということですが、また、男性に対しては「離婚状を出して」おきながら離縁したその女ともう一度復縁してはいけないという律法でした。それが、本来モーセの律法の趣旨でした。
 それを前半の「離婚状を出すように」という箇所だけを取り上げて、律法によって夫の側からの離婚が許された権利として受け取っていたのでした。

■離婚の条件
 問題となったのは、離婚の原因としてどこまで許されるのかということでした。妻がした「何か恥ずべき事」とは何なのか。それを不品行だけに限る立場が1つの考えでした。
 しかしこの考えは、夫にとって人気がありませんでした。恥ずべき点を夫にとって都合の悪いことすべてと考える。例えば、料理がまずい、態度が悪い。さらに、ほかの女性と比べて美しくないということも離婚の理由になりました。

5イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。

 人間には罪があり、その心がかたくななで、神様の教えに完全に従えない者です。それで結婚しても、男性の都合で、いろいろ支障が出てくるかもしれません。それで離婚を認めたのでした。
 その場合も、去らせられることになる女性の立場を認めて口頭ではなく、「離婚状」という文書によって行うようにと命じました。離婚が認められないと妻に不利になることがあります。そのためにも、神は離婚状による離婚を許されたのでした。離婚状があれば、女性はその男から解放され、他の男性と結婚ができました。
 離婚の規定はあくまでも命令ではなく、許容的なものであり、当然の権利と考えるのは間違っていました。神様は命じたのではなく、許したのでした。

■結婚の意味
 それで、イエス様はパリサイ人の問いに直接答えないで、本来の結婚の意義を語りました。

6しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。7それゆえ、人はその父と母を離れ、8ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。

 イエス様は、創造と結婚の目的を示されました。

  1. 人は神様に創造された。
  2. 男が造られ、女が造られた。
  3. 男と女は本来一体であること。それが結婚によって完成されること。

創世記2:18「神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。』」

 神様がなさった創造の働きは、すべて良いものでした。しかし、ここだけ、男を造ったときに、「良くない」、「ひとりでいるのは良くない」と仰せられました。神様の創造の働きを完成するための女の創造でした。一人では良くないと言われた男が、女によって良いものとされました。

創世記2:24「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」

 最も親しい間柄であった「親と子」の関係を離れて新しいきずなを結び、一体となる。それは、結婚が神様によって計画された創造のみわざと見ないかぎり説明できない神秘的なことです。
 離婚が容易にできると考えていたパリサイ人、また子孫を残すことに結婚の意義を認めていたパリサイ人には全く新しい結婚の教えでした。

9こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」

 結婚の絆は神によって結び合わされたものであり、それは、もはや分けることができない存在です。イエス様は、そのように結婚の本来の意味を教えられました。ですから、いかなる離婚も人間の都合によるものであり、人間の罪の結果なのです。
 しかし、実際、離婚をどう考えたらよいか、弟子たちにはイエス様に尋ねました。

10家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた。11そこで、イエスは彼らに言われた。「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。12妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです。」

 こうして、イエス様は、離婚が容易であった時代に、イエス様は結婚の本来の姿を示したのでした。

■聖書が教える離婚
 しかし、同じ記事のマタイの福音書19章では、イエス様は弟子たちに、もう少し詳しくお話しなさいました。

マタイの福音書19:9「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」

 イエス様は「不貞のため」という線を引かれ、その場合に離婚が認められると教えられました。しかし、イエス様の十字架と復活のあと、教会が始まり、クリスチャンが増えていったとき、教会の中で離婚に対して新しい問題が生まれました。
 それは、夫婦の一方がクリスチャンになった場合、クリスチャンでない配偶者と結婚を続けるべきかどうかということでした。パウロは、それについて神様から受けたこととして、次のように命じました。

Tコリント7:15「しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。」

 相手が承知している場合は、そのまま結婚を続けなさい。しかし、相手が離れて行った場合、その時は離婚しなさいと教えました。
 これが今も教会が守るべき聖書の原則です。不貞と、配偶者が相手を遺棄した場合のみ離婚が認められるのです。現代では、遺棄の形態がさまざまになってきています。
 私は結婚して14年目に離婚しました。妻が子供を置いて、別の人との結婚を望んだのでした。3人の子供は私と暮らすことになりました。それぞれ小2、小6、中2でした。そして、2年間の父子家庭の後、今から20年前に再婚しました。この間の事情は、かつて7年ほど前に「百万人の福音」に書きました。

■結婚と教会
 結婚の結びつきについては、キリストと私たち、キリストと教会との関係を説明する時に使います。キリストが教会のかしらであるように、夫は妻のかしらであり、妻は夫を敬いなさい。またキリストが教会を愛し、ご自身をささげたように夫は妻を愛するようにと教えるのです。

エペソ人への手紙5:30−33「私たちはキリストのからだの部分だからです。『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。』この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」

 皆さまは、いろいろな道を通って現在の生活があります。神様が与えてくださった結婚生活、神様が与えてくださった独身生活、それぞれの歩みに、神様の導きと祝福をお祈りいたします。私たちの今の生活が、神様の導いてくださった道であると信じ、イエス様を見上げてこれからも歩みたちと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年7月12日