ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年8月16日


2009年8月16日 主日礼拝説教
「あなたの信仰があなたを救ったのです」(マルコの福音書10章46節〜52節)

■はじめに
 イエス様はエルサレムへの途上にあります。エリコに差しかかりました。エルサレムへあと1日の道のりです。エリコは、ヨシュアに導かれたイスラエルの民が最初に攻め取った町としても知られています。

■バルテマイの叫び

46彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。

 イエス様が行くところ大勢の人々がいました。今までイエス様から恵みを受けた人たちや、イエス様に従っていこうと決心した人たちがいっしょでした。加えて、今は過越の祭りが近づいていました。その巡礼の人たちも、イエス様を囲む群集といっしょにエルサレムへ上っていました。
 その騒ぎに、町の道ばたに座っていたバルテマイが気づきました。「これはいったい何事ですか。」

47ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。

 バルテマイはイエス様が来られたと聞くと、すぐ「ダビデの子のイエスさま」と呼びかけました。バルテマイは、エリコの道ばたに座りながら、イエス様のことを聞き、この方こそ待ち望んでいた救い主だと確信できたのでしょう。
 バルテマイは、「ダビデの子」(救い主を意味していた)と呼びました。救い主がダビデの子孫から生まれることは、聖書の約束でした。「ダビデの子」という称号は、マルコの福音書で初めて出ることばです。確かに、イエス様は、ダビデの子としてエルサレム行き、預言されていたダビデの国を打ち立てるためにこれからエルサレムに入城しようとしていました。
 イエス様がエルサレムに入城されたとき、人々をこのように言って迎えました。

マルコの福音書11:9−10「そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」」

■バルテマイの願い
 バルテマイは、「ダビデの子」と呼びかけ、「私をあわれんでください」と願いました。これは、今までは「お金を恵んでください」という意味で使っていたでしょう。しかし今は、イエス様が本当に必要なものを与えてくれるお方として呼びかけました。それも、何度も何度も叫んだのでした。

48そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。

 大勢の人がイエス様を取り巻いていました。弟子たちにとっては、緊張と悲壮感あふれるエルサレムへの旅でした。
 幼子たちがイエス様のもとに連れて来られたときも、弟子たちがそれをたしなめた。今度は、イエス様についてきた大勢の人たちがたしなめました。エリコでは人通りも多く、何人もの物乞いがいて、このような光景はよく見られたのでしょう。
 しかし、バルテマイは違いました。どうしてもイエス様にお会いしたい、治していただきたい。人々が止めたぐらいではあきらめません。イエス様は、騒ぎに気づかれ、立ち止まりました。

■イエス様の招き

49すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。50すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。

 イエス様はバルテマイを招きました。バルテマイは上着を脱ぎ捨てました。上着は、バルテマイにとって寝るときにも必要な大切なものでした。それを脱ぎ捨てて、すぐに立ち上がって、イエス様のもとに来たのでした。

51そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」

 イエス様は、バルテマイに尋ねられました。「わたしに何をしてほしいのか。」これはバルテマイを信仰へ導く問いかけでした。バルテマイはイエス様の問いに、率直、単純に答えました。彼が欲しかったものを答えました。それがバルテマイの信仰告白でした。
 「先生。目が見えるようになることです。」バルテマイは、それがかなえられることを信じていました。だから、バルテマイは「ダビデの子」と叫び、上着を脱ぎ捨てて、すぐに立ち上がったのでした。
 バルテマイにとって、それは一番欲しかったものでしたが、今まではだれにも言えなかったものです。そんなことを人に言ったら笑われるだけでしょう。しかし、今はそれが言えるのです。
 イエスを救い主と信じる者は、自分の最も必要なものを求めていいのです。それがどんなものであっても要求していいのです。

ヨハネの福音書15:7「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」

■あなたの信仰があなたを救ったのです

52するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。

 イエス様はその願いに答えてくださり、バルテマイの目を治してくださいました。イエス様はバルテマイの信仰を見られました。愛の心を向けてくださると信じて叫び続けたバルテマイの信仰をイエス様は見られました。
 バルテマイはイエス様について行きました。イエス様に声をかけられ、信仰を与えられ、イエス様について行った最後の直弟子となったのでした。
 バルテマイは、いやされたことを感謝して歩んでいきました。彼は、エルサレムでイエス様がロバの子に乗ってエルサレムに入城する時、イエス様のそば近くにいたでしょう。そしてエルサレム入城から5日目に、バルテマイはイエス様にあけてくださったその目で、イエス様の十字架を見たでしょう。十字架の上のイエス様のお姿に、イエス様のおことばに、さらに深いイエス様の愛を感じたでしょう。そして、そのことを語りながら生涯を全うしたと思うのです。

■あなたの信仰
 イエス様ならできる、目をあけてくださるというバルテマイの信仰。イエス様なら救ってくださるという信仰。イエス様は、その信仰に目に目を留めてくださいました。イエス様は、それを「あなたの信仰」と言ってくださいました。
 私たちも、信仰によって神様から豊かな祝福をいただくことができます。どんな小さな信仰であっても、その「あなたの信仰」を神様は見てくださり、豊かな祝福を受けることができるのです。
 私たちは、「キリスト・イエスを信じる信仰」によって救われました。バルテマイは、イエス様が「ダビデの子」救い主であったことを信じました。私たちもそうです。イエス様を救い主であると信じたのでした。
 2000年前、イエス・キリストがこの世に生まれたこと、十字架にかかって死んだこと、イエス様が神の御子であったこと、十字架の死によって、私たちの罪を赦し、私たちを滅びから救ってくださったこと、そして永遠のいのちを持つことができる道を開いてくださったこと。私たちは、イエス・キリストが、そのようなお方であった救い主であることを信じたのです。
 そのお方に従って、今週も共に歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年8月16日