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2009年9月27日 主日礼拝説教
「神のものは神に」(マルコの福音書12章13節〜17節)
■はじめに
イエス様がエルサレムに入城されてから、イエス様のところに「祭司長、律法学者、長老」たち、ユダヤ教指導者たちがやってきました。彼らはイエス様に、「何の権威によって、これらのことをしているのか」という質問しました。そのあと、イエス様は「悪い農夫のたとえ話」をなさいました。ぶどう園の主人が送った愛する息子を殺してしまった農夫たちは、イエス様を捕らえ、殺そうとしている祭司長、律法学者たちでした。それを聞いた彼らは、イエス様を捕らえようとしましたが、民衆の手前、すぐにそれができなかったのでした。
さて、ここからさらに3つの質問が続きます。ローマに納税することについて、復活はあるかについて、一番たいせつな戒めとは何かです。今日は、納税すべきかどうかです。
■税金を納めるべきかどうか
13さて、彼らは、イエスに何か言わせて、わなに陥れようとして、パリサイ人とヘロデ党の者数人をイエスのところへ送った。
ユダヤの指導者たちは、パリサイ人とヘロデ党の者たちをイエス様のところに送りました。パリサイ人は律法を厳格に守ろうとする人たちであり、ヘロデ党は、かつての栄光あるヘロデ王家を復興しようと考えていた人たちでした。相対する立場にある者たちが手を組んで、イエス様のもとにやってきました。彼ら双方にとって、イエス様は邪魔な存在だったからです。
まず、イエス様に対して好意的な様子を示し、すぐに核心をついた質問をしました。
14彼らはイエスのところに来て、言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」
カイザルとはローマの皇帝のことで、当時はティベリウス(テベリオ、ルカ3:1)が皇帝でした。
イスラエルはローマの支配下にあったので、ローマに税金を納めなければなりませんでした。それは人頭税で、全員にかけられていました。そのための人口調査が行われましたが、税金をローマに払いたくないということで、反乱がたびたび起こっていました。ある人口調査の時にガリラヤのユダという者が立ち上がったことが、使徒の働き5章37節に出てきます。熱心党というグループがその運動の指導者であり、それはローマにとって危険思想でした。
税を納めること自体は何も問題ではありません。これは、イスラエルでもサウル王・ダビデ王が立てられたときから決まっていたことでした。問題は、支配者が外国である場合に税を納めてもいいかどうかです。
これは、律法にはっきり書かれていなかったことでした。パリサイ人は、異邦人には税金を納めるのはふさわしくないと思っていましたが、ヘロデ党は、ローマによってヘロデ家を再興したいと願っていたので、絶対に納めなければならないと思っていました。
イエス様の答えが、税金は納めるべきではないということであれば、イエス様を、ローマへの反逆罪で訴えることができました。もし納税するようにという答えであれば、イエス様への民衆の支持が一気に失われてしまうことになります。イエス様を逮捕しても、だれも反対しないし、イエス様を死刑にすることが可能になるのでした。
これは、どう転んでもイエス様を捕らえる口実を作ることができる意地の悪い質問でした。
■カイザルのものはカイザルに
15イエスは彼らの擬装を見抜いて言われた。「なぜ、わたしをためすのか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」
「デナリ銀貨」とは1デナリ銀貨のことです。これは、当時の1日分の労賃に相当します。雇い人が日給を支払う時に、これ1枚を渡せばいい。当時、最も流通していた銀貨であったと言われています。
16彼らは持って来た。そこでイエスは彼らに言われた。「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。
銀貨には皇帝の横顔と、皇帝の名前、「アウグストゥスの息子ティベリウス」という文字が刻まれていました。イエス様はその像と銘を指しながらでしょう、「だれの肖像ですか」「だれの銘ですか」と質問しました。彼らは「カイザルのです」と答えました。
17するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
イエス様の答えは2つです。1つは、「カイザルのものはカイザルに返しなさい」です。イエス様は、皇帝に税金を払いなさいと言われたのです。
日常生活でこの銀貨を使う者は、この銀貨を作った国の政治的支配下にあり、そして経済的支配下にあることを認めていることになります。その恩恵にあずかっているのなら、その国家から課せられた義務を果たしなさいと言うのです。ユダヤ指導者たちはローマの平和を受けていたのでした。
これは、国家の権威、為政者の権威を認めるものです。私たちは、この世界のすべての背後にある神様の主権とご計画を認めるからです。聖書はこのように教えています。
ペテロの手紙第1、2:13−14「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。」
しかしそれは政治的分野のみです。そのような国家も、神様の領域に及んだとしたら、私たちは国家に抵抗し、神様に従う道を選びます。ペテロは、福音を伝えることを禁じられた時にはっきりと答えました。
使徒の働き4:19「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」
使徒の働き5:29「人に従うより、神に従うべきです。」
■神のものは神に返しなさい
もう1つの答えは、「神のものは神に返しなさい」です。
カイザルの像が刻まれている銀貨はカイザルのものであり、それはカイザルに返しなさいとイエス様は言われました。神の像が刻まれたものは何でしょうか。それは神様が造られた人間です。私たち人間は、神のかたちに造られたと聖書は語ります。
創世記1:26「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
私たち人間には、神のかたちが刻みつけられています。私たちは神様のものです。神様が私たちに対して主権を持っておられます。「神のものは神に返しなさい」とは、神の像が刻まれた私たち自身を神様に返しなさい。神様に、私たちの生き方をゆだねなさいと言ったのです。
「彼らはイエスに驚嘆」しました。パリサイ人たちは黙って、引き下がってしまった。しかし、結局は、3日後、彼らはローマ総督ピラトに、イエスは納税を禁じ、自分が王であると言っていると訴えました。
ルカの福音書23:2「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。」
反逆罪しかイエス様を死刑にする道がなかったからでした。確かに、イエス様は、自分が王であると言いましたが、それは、この世のものではない国の王であったのでした。
イエス様は十字架への道を歩まれました。それは、このイエス・キリストの十字架が、私たちの罪のためであり、そのことを信じる者に永遠のいのちを与えてくださるためでした。そして今は、私たちがキリストを信じたことにより、キリストのものになったことを聖霊によって証印が押されているのです。
エペソ人への手紙1:13「キリストにあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。」
神様のものである私たちは、罪赦された喜びと神と共に歩む感謝の毎日を過ごしたいと思います。
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