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2009年10月11日 主日礼拝説教
「一番大切なもの」(マルコの福音書12章28節〜34節)
■はじめに
イエス様がエルサレムの神殿で人々にお話ししていたところに、ユダヤ教指導者たちが次々とやってきて質問をしました。4番目に来たのは「律法学者」でした。
■主を愛せよ
28律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
この律法学者は、今までの質問者とは違っているようです。イエス様の答えを聞いていて、イエス様の知恵を認め質問したように受け取れます。
マタイの福音書を見ると、イエス様が、サドカイ人がした復活についての質問に見事答えられたので、パリサイ人たちが相談し、仲間の律法学者のひとりを選んでイエス様のもとに送った、となっています。
この律法学者は、最初はそのような動機でやってきたとしても、イエス様との対話を通してイエス様の心に触れ、イエス様に対する思いが変えられていったのではないかと思われます。
さて、質問は、「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか」です。
29イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。30心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
イエス様は、まず申命記のことばを挙げられました。
申命記6:4−5「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
これは、ユダヤ人たちが礼拝のたびに唱えてきたものであり、また幼いころから教えられてきたことばでした。
神様は、唯一のお方です。そのひとりの神様に、私たちは従順と献身の思いをささげなければならない。それも「尽くして、尽くして」といくつも並べられるような思いをもって神様を愛するように、と言っておられるのです。
この律法が与えられたモーセの時代は、イスラエルのまわりのほとんどが唯一の神を信じていませんでした。彼らは、多神教の世界の中に生きなければなりませんでした。十戒の第1も「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」でした。
ですから、イエス様の言われた唯一の神を愛するということは、律法学者も納得できるものでした。
■あなたの隣人を愛せよ。
31次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
イエス様は、続けて2番目の大切な命令をあげました。
レビ記19:18「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」
イエス様は、一番大切な命令はと聞かれ2つ挙げられました。それは、イエス様のお考えでは2つが1つとなって、それが一番大切な命令とおっしゃりたかったからでした。この2つ目の戒めは不可分にあることを教えようとされたのです。
■2つの命令
ルカの福音書10章にも同じような問いかけがあったことを思い出します。その時は、イエス様たちはまだエルサレムへの旅の途中でした。
律法学者がやってきて、何をしたら永遠のいのちを自分のものとすることができるのか、とイエス様に質問しました。それに対して、イエス様のほうから、律法には何と書いてありますかと問いかけました。
ルカの福音書10:27−28「すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」」
この2つの命令は、当時の律法学者には当たり前の答えだったようです。イエス様がマルコの福音書でこの2つを挙げた時、律法学者もそう思ったのでしょう。それでこう答えました。
32そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。33また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
律法学者は、イエス様の答えに、「まさにそのとおりです」と、イエス様の答えが正しいものであり、聖書から引き出された答えであると、評価しました。ところが、イエス様は、律法学者の答えをさらに越えてこう語られました。
34イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。
律法学者は、神は唯一です、まさにそのとおりと答えました。そして、その神を愛し、また隣人を愛することは、どんな全焼のいけにえや供え物よりもすぐれていると、イエス様の言われた命令を一つにしてまとめました。律法学者は、イエス様から「あなたは神の国から遠くない」と言われました。
■イエス様がなさったこと
では、イエス様がここでおっしゃった一番大切な命令は、律法学者も知っていた2つの命令とはどこが違っていたのでしょうか。それは、イエス様がその一番大切な命令を身をもって実践しようとしていたことでした。
イエス様は「神を愛するとは」を、イエス様の生涯を通して示してくださいました。それは、神のみこころに全く従って歩むことでした。
ヨハネの福音書10:38「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。」
イエス様は、それがたとい自分では受け入れられないものであっても、それを受けてくださったのでした。十字架を前にして、イエス様はゲツセマネで、「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」と祈られました。
隣人への愛については、イエス様は新しい教えを入れられました。隣人とは「イスラエル人とイスラエルに寄留している外国人」を指していました。しかしイエス様は、異邦人や、取税人、遊女、罪人と言われてユダヤ社会から除外されていた人たち、さらに自分を憎む者、自分を殺そうとした者まで愛されました。イエス様は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」の隣人から、どのような人も除外されなかったのでした。
それがイエス様の十字架の愛でした。
ローマ人への手紙5:6−8「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
イエス様の愛は、「不敬虔な者」、罪人のためにいのちを捨てるという愛でした。敵をも愛して、十字架で祈られました。
ルカの福音書23:34「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
イエス様はこのように神様への愛と、人への愛を十字架によって全うされ、一つにされたのでした。そのようにしてくださった神様を、私たちは「尽くして、尽くして」愛するのです。
そしてイエス様は、神様のかたちに造られた、神様が愛しておられる人を愛するように、新しい戒めを弟子たちに教えられました。
ヨハネの福音書13:34「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
イエス様は、2つの大切な命令に新しい意味を与えてくださいました。イエス様は、これを自ら実行し、私たちに示してくださいました。私たちは、この一番大切な命令を身をもって成し遂げ、私たちの罪を贖い、私たちの救い主となっててくださったイエス様に感謝して歩みたいと思います。
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