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2009年11月8日 主日礼拝説教
「キリストが力と栄光を帯びて」(マルコの福音書13章14節〜27節)
■はじめに
弟子たちがエルサレム神殿のすばらしさに驚きの声をあげている時に、イエス様はどのような立派な建物もやがて崩れ去る時が来ることを教えられました。そして、弟子たちからの、「そのようなことはいつ起こるのですか」との問いに対して、イエス様は終わりの日の前兆について教えてくださいました。
第1の前兆は、「私こそそれだ」と名乗り出す者が現れる(6節)
第2の前兆は、「戦争のことや戦争のうわさを聞く」(7節)
第3の前兆は「地震、ききん」など、自然的災害が起こる(8節)
第4の前兆は、弟子たち、教会に対する迫害が起こる(9節)
第5の前兆は、「福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられる」(10節)
終わりの日の前兆はまだ続きます。今日は6つ目の前兆から始まります。
■荒らす憎むべきもの
14『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
6つ目の前兆です。弟子たちたちにはすぐそれがだれのことを言っているのかわかりました。200年ほど前、シリヤのアンティオコス・エピファネス王がイスラエルを支配し、彼はエルサレム神殿を汚して、ギリシヤの神を置き、それを拝むように強要しました。また祭壇に、ユダヤ人の嫌う豚の肉をささげました。それに対して、イスラエルの反乱、独立戦争が起こりましたが、多くに人が殺されたという歴史がありました。
そのようなことが世の終わりの前兆として起こるとイエス様はおっしゃいました。ところがイエス様は、ここで世の終わりについて語りながら、やがてローマの軍が「荒らす憎むべきもの」となってエルサレムに攻めてくる。その時、神殿の崩壊、エルサレムの滅亡があることも預言したのでした。
だから「読者はよく読み取るように」と、マルコは書きました。世の終わりのことを言っているけれども、もうすぐ起こることもイエス様は預言なさいました。その時、そうなったらひたすら「山へ逃げなさい」というのです。エルサレムは城壁に囲まれ、絶対に安全だと思われていました。そのエルサレムに逃げ込まないで、山へ逃げなさいとイエス様は言われたのです。
15屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。16畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
屋上にいる者、畑にいる者も、家に入って何かを持ち出そうとしないで、そのまま逃げなさい。後ろを振り向いてはいけない。ひたすら逃げなさいというのです。
17だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。18ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。19その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。
だれも耐え忍ぶことができないような厳しさです。
20そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。
しかし、そこにも神様の恵みが注がれます。神様が選ばれた者たちに神様の守りがあり、その患難の期間が短くされるのです。これはエルサレムの滅亡の預言と、終わりの日の預言が重なって語られています。
イエス様がお話しなさってから40年ほどたち、マルコの福音書が書かれた時から10〜15年ほどした紀元70年。ローマ軍によって、エルサレムとエルサレム神殿が滅ぼされてしまうのです。しかし、エルサレム教会の人たちは、イエス様の命令どおり、いちはやくそこから近くの山に逃れ、救われたと歴史は記しています。
イエス様は、世の終わりに「『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立つ」というようなことが起こると語りました。だれが、どこに立つかわかりませんが、そのことが起こったならば、それは終わりの日の前兆であるのです。
■偽キリスト、偽預言者の出現
7つ目の前兆を語ります。
21そのとき、あなたがたに、『そら、キリストがここにいる』とか、『ほら、あそこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。22にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
人々に救い主への期待が膨れ上がります。第1の前兆では、自称キリストが現れるということでしたが、ここでは、多くの人が本当に世の救い主が現れたかと思ってしまう。そして、実際に権力を持ってしまう。それを利用して、人々を惑わす者が現れるのです。
それは、政治的、宗教的な指導者の姿をとって、人々を惑わす者たちです。彼らは、しるしや不思議を見せます。いつか世の終わりに、神を否定し、世の救い主とあがめられる独裁者が全世界を支配するのです。ヨハネの黙示録では、これを獣の姿で描いています。
ヨハネの黙示録13:1−2「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。」
23だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。
このように、戦争、地震、ききん、迫害、偽キリストの出現などの前兆をくぐりながら、この世界も教会も終わりの時代を過ごします。
■イエス・キリストの再臨
そして、ついに世の終わりの時を迎えます。
24だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、25星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
これは、ヨハネの黙示録に書かれているような、今までにないほどの天変地異です。
ヨハネの黙示録6:12−14「私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。」
26そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。27そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。
イエス様が再臨される時がやってきました。その日、人の子であるイエス様はこの地上に、もう一度おいでになり、御使いを送って、神の民を四方から集められます。すでに死んでいる者、そして、その時生きている者たちが、主によって呼び集められるのです。
テサロニケ人への手紙第1、4:16−17「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
このようなことがいつか起こるのです。そのことについてペテロはこう書きました。
2ペテロの手紙第2、3:3−9「まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」……しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
私たちにとって、神秘の世界に属する終わりの日のこと、イエス・キリストの再臨の教えです。しかし、これは必ず起こることだと、聖書は語ります。
イエス様が2000年前に、この地上にお生まれなさり、私たちの罪を赦してくださるために私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださった。それと同じように確かなことです。
そのイエス様がもう一度いらっしゃって、救いを完成してくださる。その厳粛な聖書の約束を思って、私たちは日々の歩みを続けたいと思います。
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