ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年12月13日


2009年12月13日 主日礼拝説教
「あなたのみこころのままを」(マルコの福音書14章26節〜42節)

■ゲツセマネへの途上で
 イエス様と弟子たちは、過越の食事である最後の晩餐を終えて、オリーブ山の近くにあるゲツセマネの園に向かいました。

26そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。

 エルサレムの町中から離れたこの場所は、祈りの場としてイエス様たちがいつも使っていたところでした。真夜中になっていましたが、通いなれた道でしょう。イエス様たち一行は、満月の月明かりをたよりに賛美しながらそこに向かいました。
 その途中のことです。イエス様がご自分の死と復活、そして弟子たちがイエス様につまずくことを言われました。

27イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』と書いてありますから。28しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」

 まもなく、羊飼いである私が打たれる。その時、羊であるあなたがたは散り散りになるという聖書のことばが実現するのです。旧約ゼカリヤ書13章7節のことばです。

ゼカリヤ書13:7「剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、わたしの仲間の者を攻めよ。──万軍の主の御告げ──牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける。」

 最後の晩餐の席では、イエス様はユダが裏切ることをおっしゃいましたが、今度は弟子たち全員がつまずくのです。

29すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」30イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」31ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

 ペテロは、イエス様に死んでも従うと言い張ります。ほかの弟子たちも「自分たちもそうだ」と言うのですが、みなは、このあと数時間後、イエス様が捕らえられた時に逃げ出してしまい、ペテロは捕らわれたイエス様を見届けようとついていくのですが、イエス様が言われたとおり「鶏が二度鳴く前に」三度イエス様を知らないと言ってしまうのです。

■ゲツセマネの園で

32ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」33そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。

 イエス様は、ゲツセマネの園につくと、入口で「ペテロ、ヤコブ、ヨハネ」を連れ、ほかの弟子たちを残して奥に入って行かれました。
 ゲツセマネの園でイエス様がいつも祈っていたことをユダが知っていて、ユダの手引きによって、まもなくここに長老、祭司長たちから差し向けられた群集たちがやってこようとしていました。そのような緊迫した状況の中でのイエス様の祈りでした。
 イエス様は、「深く恐れもだえ始められた」とあります。イエス様はこの時まで、まだ心が揺れていました。

34そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」

 イエス様は、これほどの悲しみはないという悲しみに襲われていました。その思いを弟子のペテロたち3人に告げたのでした。
 イエス様はここにきて、人間としての悲しみ、苦しみ、弱さを味わわれました。それは、全人類のすべての罪を背負われ、それに対する刑罰をただ一人で受けられるという押しつぶされそうな苦しみでした。イエス様は罪ある者とみなされ、神に捨てられ、神のさばきにあうことの恐怖に直面したのです。

35それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、36またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」

 イエス様は一人になられ、ひれ伏して祈り始めました。「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。」杯とは、全人類の罪に対する神の刑罰を表していました。
 「あなたにおできにならないことはありません。」「どうぞ、わたしから取りのけてください。」それがイエス様の切実な願いでした。間近に迫った十字架をできるものなら避けることができるようにとイエス様は祈りました。

■みこころのままを
 神様の答えは沈黙でした。イエス様は、沈黙の中に父なる神様のみこころを求めました。罪を罰しなければならない神の義の厳しさ。しかし同時に、人間を滅びから救いたいという神の愛。それには、愛するひとり子を十字架の苦しみにあわせなければならない。その神様のみこころにイエス様がどう答えるのか、それがこのゲツセマネの祈りでした。
 祈りは1時間ほど続きました。イエス様の行き着いた祈りが、「しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」という、すべて神様のみこころ、ご意思に従おうとする祈りでした。
 苦悩から救ってくださいという切なる願いでしたが、それが神様のご意思、みこころがなりますようにという祈りに変えられていったのでした。

37それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。

■立ちなさい
 イエス様は弟子たちのところに戻ってきました。弟子たちは、いつの間にか眠ってしまいました。

38誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

 イエス様は、ペテロたちの心は燃えていることはご存じでした。イエス様は、弟子たちの熱心さをわかってくださいました。熱心であっても、「心は燃えていても、肉体は弱く」疲れていることもご存じでした。

39イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。

 イエス様は2度目の祈りに入りました。

へブル人への手紙5:7−9「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となりました。」

40そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。

 イエス様はまた戻って来られましたが、弟子たちはまたもや眠ってしまいました。イエス様は3度目の祈りをされるために園の奥に入って行かれました。

41イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。

 「時が来ました。」神様のみこころのまま、十字架への道を歩み、それによって罪の贖いを成し遂げる時が来ました。

42立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

 イエス様は、眠ってしまったような弟子たちを励ましてくださいました。しかし、剣や棒を持った群衆がイエス様を取り巻き、捕らえようとしたとき、弟子たちはみな逃げ出してしまうのです。しかし、主イエス様だけが、そのような弟子たちのために、そのような弱さをもった弟子たちのために十字架への道を赴いて行くのです。
 イエス様は、十字架にかかられたあと、よみがえることを弟子たちに伝えてありました。さらにイエス様が天に帰られたあと、聖霊なる神様を一人一人のために送ってくださることを約束しておられました。
 それは、すべてをご存じのイエス様が、弟子たちの弱さも罪もご存じのイエス様が、このあと、復活のイエス様にお会いし、聖霊を与えられて、本当に立ち上がらせてくださるため、いつもイエス様が共に歩んでくださり、いつも共にいてくださることをわからせてくださるためでした。
 そのためにイエス様は、この時ゲツセマネの祈りで、神様のみこころのまま十字架への道を受け入れてくださいました。
 私たちは、イエス様がどのような時でも弟子たちを思い、弟子たちのこれからの歩みをも見据えてくださっていたイエス様を覚え、イエス様に感謝し、これからも歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年12月13日