ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2010年1月10日


2010年1月10日 主日礼拝説教
「ペテロの涙」(マルコの福音書14章66節〜72節)

■はじめに
 先回は、ユダの手引きによって捕らえられたイエス様が大祭司カヤパのもとで裁判を受けられました。カヤパから「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」と問われ、「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです」とイエス様は答えられました。その答えによって、イエス様は神をけがしたという罪で死刑を宣告されたところを見ました。
 その時ペテロはどうしていたのか。イエス様の裁判を並行してペテロの様子が描かれているのが今日の個所です。ペテロの失敗の記事は、4つの福音書すべてに記されています。ペテロは十二使徒筆頭の弟子であり、教会の指導者として皆から尊敬されていました。そのペテロが、イエス様がつかまった時に逃げ出してしまった。それだけではない。ペテロはイエス様を知らないと3度も言ってしまったのでした。それは、ペテロにとって生涯忘れることのできない失敗でした。
 しかし、それでもペテロは赦され、教会の指導者として歩むことができるようになりました。ペテロは、この時の自分の罪と弱さ、そして、それにも勝るイエス様からの赦しと恵みを受けたことを証し続けたのでした。

■最初の問いかけ
 弟子たち皆が逃げ出してしまったのですが、ペテロだけは「自分だけでも」と思い直して大祭司の中庭に入っていきました。

53彼らがイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな、集まって来た。54 ペテロは、遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の庭の中まで入って行った。そして、役人たちといっしょにすわって、火にあたっていた。

 そこから今日の66節につながります。

66ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、67ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」

 たき火がたかれていました。過越の祭りの時期です。3月末から4月上旬のエルサレムの夜は寒かったのです。ペテロは火にあたりながら、そしらぬ様子でイエス様の裁判の様子をうかがっていました。
 ペテロは、その夜ゲツセマネで、イエス様が祈っておられたとき眠り込んでしまい、イエス様に「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです」と言われました。
 また、ペテロはイエス様が捕まる時、剣で大祭司のしもべの耳を切り落としました。その時もイエス様から「やめなさい」と言われました。その夜ペテロは、イエス様のみこころに沿うことができず、失敗続きでした。
 そんなペテロがたき火にあたり、ほっとしていた時、不意打ちのような問いかけを受けました。「大祭司の女中のひとり」が「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね」と言ったのです。
 女中からのほんのささいな問いかけであったかもしれません。暗い中、火にぼうっと照らし出されたペテロの顔。女中は、この男がイエス様の一番弟子と言われている男だとは知らなかったかもしれません。ところがペテロは、それをとっさに否定してしまうのです。

68しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない」と言って、出口のほうへと出て行った。

 恐ろしさ、恥ずかしさのためであったのか。ペテロは「何を言っているのか、わからない」と言って、火のあたらない暗い出口のほうに逃げていきました。それで、怪しいと思われたのでしょう。

■2度目

69すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です」と言いだした。70しかし、ペテロは再び打ち消した。

 女中は、最初の「あなたは」という呼びかけから、今度は、たき火にあたっていた人たちに向かって、ペテロのことを「この人は」と呼びかけ、「あの仲間です」と言いました。ペテロは、いっしょにいただけではない、「仲間」だと言われてしまうのです。
 ペテロは、イエス様を知らないばかりか、仲間であること、弟子であることを否定してしまいます。最初の軽い否定がだんだんと抜き差しならなくなっていくのです。

■3度目
 そして3回目の問いです。

70しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」

 ルカの福音書によると、2回目と3回目の間は「一時間」ほどたっていました。

ルカの福音書22:59「それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから」と言い張った。」

 ペテロにとっては、これでもう大丈夫と思った。そのくらいの時間であったでしょう。また、たき火の近くに寄ってきて、イエス様の裁判の成り行きを見守っていました。そのとき、「あなたは」と指され、ペテロのガリラヤなまりを証拠に、あなたがイエスといっしょであり、その仲間だったと言われるのです。

71しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。

 3回目は「のろいをかけて誓う」と、最高の否定のことばを使っています。

72するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。

 ペテロの否定と同時に、2度目の鶏の声が聞こえました。自分だけは大丈夫だと思っていたペテロ。自分は挫折しない、失敗しないと思っていたペテロでした。ペテロは、鶏の鳴き声によってイエス様のおことばを思い出しました。

■イエス様のまなざし
 その時です。ペテロの否定のことばが聞こえたかのように、イエス様がペテロを見つめられました。

ルカの福音書22:60−61「しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。

 ちょうど、大祭司カヤパの尋問が終わり、引き出されたところであったでしょう。ペテロの自信と、他の弟子とは違うという優越感がこなごなに崩れてしまった瞬間でした。
 イエス様のまなざしは何を語っているでしょうか。その時のイエス様のまなざしは、ペテロをあわれみ、ペテロを赦す、まなざしでした。それは、どこまでも無限に赦してくださるイエス様のまなざしでした。
 ペテロは我に返り、自分の犯した罪を知り、悔い改めて激しく泣きました。「イエス様、赦してください。」

■いっしょにいてくださるイエス様
 ペテロはイエス様といっしょであったこと、イエス様の仲間であったことを否定してしまいました。しかし、イエス様は裁判の間もペテロといっしょにおられました。イエス様がペテロのために祈ってくださっていたのでした。

ルカの福音書22:31−32「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

 ほんとうに赦していただける方から赦されました。ペテロはイエス様のまなざしから、ペテロを選び愛してくださるイエス様の「祈りました」ということばを思い出し、信仰を持ち続けることができました。
 神様は私たちといつもいっしょにおられ、いつまでも私たちを背負い、導いてくださるのです。

イザヤ書46:3−4「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」

 神様のまなざしは、私たちひとりひとりに注がれています。

イザヤ書43:1−4「あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

 神様のまなざしは、私たちへの愛と恵みのまなざしです。主のまなざし、私たちを見つめる神様のまなざしを覚え、私たちも主を見上げて歩み続けたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2010年1月10日