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2010年1月24日 主日礼拝説教
「十字架を負ってくださるお方」(マルコの福音書15章16節〜23節)
■はじめに
イエス様は大祭司カヤパのもとで真夜中の裁判を受けられ、カヤパの質問に対して「自分は神の子である」と答えられました。神をけがしたという罪で、ユダヤ議会はイエス様に死刑判決を下しました。夜が明けてから、ローマ総督ピラトのもとに、イエス様をローマへの反逆罪、「自分を王と語っている」という罪で送りました。
ピラトは、イエス様が無罪であることを知り釈放したいと願ったのですが、ユダヤの指導者と群衆の「バラバを赦してイエスを十字架につけろ」という声に負けて、イエス様を十字架につけるように決定しました。
■ローマ兵に引き渡される
イエス様は、十字架刑を執行するローマ兵に引き渡されました。
16兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。
兵士たちによってイエス様に行われたことはあざけりでした。
17そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、18それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めた。
イエス様は、ユダヤ議会でも同じようなあざけりを受けられました。
マルコの福音書14:65「そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ。「言い当ててみろ」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。」
この時は、ユダヤ議会の議員と役人たちによるものでした。今日の箇所はローマ兵による、イエス様が「ユダヤ人の王」と言ったことに対するあざけりでした。ローマ兵たちはイエス様に王の格好をさせ、自分たちはそれに従うかのようなふるまいを演じたのです。
イエス様は、16節に「全部隊を呼び集めた」とあるように、そこにいた全部隊の前、数百人規模の兵士の前に引き出されました。下級兵士たちは上官から理不尽な扱いを受けていました。彼らはだれかに暴力を振い、それによって慰め、喜びを得るのでした。そのような兵士の中にイエス様が送り込まれました。
イエス様は、この時すでにむち打たれていました。15節に「それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した」とあります。むちは先に金属片や鉛の塊や骨がついていて、肉を裂くような厳しいものでした。ローマ人には禁止されていたむごい刑でした。
そのむち打ちによってできた傷の上に「紫の衣を着せ」かけ、王のマントとしました。そして「いばらの冠を編んでかぶらせ」ました。そのとげが額に突き刺さり、血が滴り落ちました。さらに、マタイの福音書によると、イエス様の右手に葦のぼうを持たせました。王が持つ笏です。
そして、ちょうどローマ皇帝に「ローマ皇帝カイザル、ばんざい」と拝するように、「あいさつをし始めた」のです。イエス様を王として飾り立て、からかったのです。拝礼が終わると、持たせていた葦の棒を取り上げました。
19また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。20彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。
兵士たちは日頃のうっぷん晴らしを、この時とばかりイエス様に行ったのです。
■黙っておられたイエス様
その間、イエス様はじっと耐え、黙っておられました。イエス様はゲツセマネで「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」と祈られました。「取りのけてください」と祈った、イエス様が受けられる杯、苦難は十字架だけではありませんでした。十字架の前にもこのような苦しみがあり、イエス様はそれにも耐えられたのでした。なぜこれほどまでの侮辱を受けられ、それをイエス様は耐え忍ばれたのでしょうか。
救い主はこのような目に遭い、それを忍ばれることが聖書の約束でした。
イザヤ書53:7、10「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。……しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。」
また、私たち人間の持っている罪は、このように大きいことを教えています。
エペソ人への手紙2:3「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」
兵士たちによって王の姿にされたイエス様こそ、私たちの救い主、私たちの王であられました。
イザヤ書33:22「まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちの立法者、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。」
このお方が私たちの罪を負って、代わりに死んでくださろうとしているのでした。これが救い主のお姿でした。
■クレネ人シモン
イエス様は、十字架刑に処せられるために、ご自分がかかられる十字架を背負って刑場に向かわされました。
21そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。
ローマ兵は、イエス様を見せしめのため、十字架を背負わせてゴルゴタの丘まで歩かせました。
イエス様は、昨夜からほとんど寝ていない、何も食べていない状態でした。そのような疲れ切ったイエス様です。いばらの冠をかぶせられたまま、むち打ち後の傷が痛み、十字架の重さに耐え切れず、何度もころび倒れたでしょう。
そこで兵士は、たまたま過越の祭りにやってきた男をつかまえ、無理やりイエス様の十字架を負わせたのでした。その人の名前は「シモンというクレネ人」、アフリカ北海岸に住む人でした。シモンの子供である「アレキサンデルとルポス」は、マルコの福音書を読んだローマの教会で知られていた人と思われます。
ローマ人への手紙16:13「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」
ここに書かれている「ルポス」がその人ではないかと言われています。
無理やり負わされた十字架を機に、何もわからなかったシモンは刑場まで連れて行かれ、イエス様の死の様子を見たと思われます。その後、イエス様を救い主として信じ、その信仰が2人の子供たちに引き継がれたのでした。
偶然のようにローマ兵に引き出され、イエス様の十字架を負わせられたシモンでしたが、それがイエス様を信じるきっかけとなったのでした。そこに神様の導き、神様の選びのみわざを覚えます。
私たちの歩みも、そのようなことが起こりました。それが教会に集い始めるきっかけとなり、イエス様に従っていく機会となったのです。
■没薬を混ぜたぶどう酒
イエス様は刑場に到着しました。
22そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。23そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。
「没薬を混ぜたぶどう酒」は麻酔の役割をしました。釘を十字架に打ち付ける時の痛みを和らげようとするローマ兵の計らいでした。しかしイエス様は、それをもお受けになりませんでした。それは、神様のみこころをご自分の意志で受け止め、十字架の痛み、罪の刑罰の苦しみをご自分の体で受けようとしたからでした。
私たちは十字架にかかられたイエス様を思うたびに、イエス様の苦しみを見る時に自分の罪を思い知らされます。またイエス様が私たちの罪のために与えてくださった大きな愛を覚え、感謝をささげたいと思います。
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