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2010年2月14日 主日礼拝説教
「葬られるキリスト」(マルコの福音書15章40節〜47節)
■はじめに
先回は、イエス様が十字架にかかられ息を引き取られるまでを見ました。その時、ローマの百人隊長がイエス様を見て、「この方はまことに神の子であった」と信仰を告白しました。
私たちは、使徒信条に「十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、3日目に死人のうちよりよみがえり」とあるように、イエス様が墓に葬られたことを大事な出来事として告白しています。神の子であられたイエス様の人間としての生涯は、処女マリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、死んで葬られた。そのような人としての生涯をたどられたのでした。
■女の弟子たち
イエス様が十字架で息を引き取られた時に、それを見ていた3人の女の弟子たちがいました。
40また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。41イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。
彼女たちは葬りの場に立ち会い、また16章1節にあるように、復活の最初の目撃者となるのでした。女性の証言は重んじられなかった時代に、神様はあえて女の弟子を選ばれました。男の弟子でなかったところに、これは創作ではなく歴史的事実であったことを証ししています。
マグダラのマリヤたちはガリラヤでイエス様に出会い、イエス様を信じ、イエス様のあとに従い、イエス様とともにエルサレムにやってきました。
ルカの福音書8:1−3「その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。」
42すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、
金曜日の夕方になりました。土曜日は安息日です。ユダヤでは日没から日付が変わるので、金曜日の夜から安息日が始まります。安息日になると何もできなくなってしまいます。それまでにイエス様の体を十字架から降ろし、墓に葬ってしまわなければなりません。
イエス様は十字架刑にされた犯罪者だったので、このままだと共同墓地に葬られてしまいます。しかも、本来そのことをしなければならなかったペテロたち弟子たちは逃げ出したままでした。
■アリマタヤのヨセフ
43アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。
アリマタヤという町のヨセフという人が出てきます。ヨセフは、この葬りの時にしか出てこない人です。彼は「有力な議員」あり、「神の国を待ち望んでいた人」と紹介されています。ヨセフはユダヤの議会の議員として、イエス様を死刑とした議会に沈黙していたか、あるいは議会を欠席したのかもしれません。
ヨハネの福音書では、アリマタヤのヨセフをこのように紹介しています。
ヨハネの福音書19:38「そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。」
ヨセフは恐れのため、イエス様への信仰を公にすることを隠していた人でした。その彼がここにきて、はっきりと信仰を表明したのです。ヨセフは総督ピラトのもとに行き、イエス様の遺体の引き取りを申し出ました。
ヨセフは、ユダヤ議会と決別しなければならなくなり、自分の地位を失うかもしれない。イエス様に向けられた敵意やあざけりを自分も受けることになるかもしれない。ユダヤ議会が死刑に追いやった犯罪人イエス様の死体を引き取るということは、確かに「思い切って」でなければできないことでした。
■イエスの死の確認
44ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。45そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。
十字架刑は死ぬまで数日かかることもあると言われています。ですから、安息日が始まる前に、その死を早めるためにすねを折らなければならなかったのですが、イエス様はすでに死んでいました。
ヨハネ19:31−33「その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。」
ピラトは、十字架刑に立ち会った百人隊長にも、確かにイエス様が死んでしまったことを確認し、イエス様の体をヨセフに与えました。
■葬り
46そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。47マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。
許可を受けたヨセフは、十字架からおろされたイエス様を受け取り、「亜麻布で包み」ました。このとき、もう一人のユダヤ人が登場します。ニコデモです。
ヨハネの福音書19:39−40「前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。」
ニコデモはパリサイ人で、ヨハネの福音書3章に出てきます。夜ひそかにイエス様のもとにやってきて、救いについて質問した人でした。ニコデモも、それまでは公に信仰を告白できず、このとき葬りの場にやってきたのでした。
イエス様の十字架の死を通して、ローマの百人隊長、ユダヤ議員のアリマタヤのヨセフ、パリサイ人のニコデモが信仰を表明したことになります。
イエス様は墓に葬られました。墓の前には大きな石が置かれました。マグダラのマリヤたちは、安息日が終わってから改めてイエス様の体に塗るために「油と香料」を用意し、安息日が終わる日曜日の朝まで待つことになります。
■よみがえりを待つイエス様
聖書は、イエス様は十字架で確かに死んで、確かにお墓に葬られたことを語ります。私たちは、聖書が伝えているようにイエス様は死んで葬られ、確かによみがえられたことを信じる信仰に導かれました。
イエス様がそうであったように、私たちにも死が訪れ、葬られる時がやってきます。それは、だれもが持っている罪のためであったと聖書は記します。
ローマ人への手紙6:23「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
しかし私たちは、死をもはや恐れることはなくなりました。死も葬りも、私たちの歩みの一通過点にすぎません。
私たちの罪は、イエス様が代わりに負ってくださり、死については解決してくださいました。信仰によって、「私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのち」が与えられたからです。
私たちの魂は、死後、神様のご支配の中に移されますが、体はまた新しい体を持ってよみがえるまでの休息の時を過ごします。
ローマ人への手紙6:3−4「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」
イエス様を信じ、バプテスマ、洗礼を受けるということ。それは、私たちがイエス様と結ばれ、イエス様が体験された十字架と葬り、復活を、同じようにあずかることであると教えています。
私たちは、罪あるいのちが葬られ、新しいいのちに生きることができるようになりました。イエス様の葬りを通して、私たちは今日も、そのような希望に生かされていることを感謝して歩み出したいと思います。
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