ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2010年2月21日


2010年2月21日 主日礼拝説教
「よみがえられたキリスト」(マルコの福音書16章1節〜20節)

■はじめに
 イエス様が十字架で亡くなると、ユダヤの議員であった「アリマタヤ出身のヨセフ」がピラトのもとに行き、イエス様の体の下げ渡しを願いました。ヨセフは、自分が持っていた新しい墓にイエス様を埋葬しました。ユダヤの墓は岩を掘り抜いた横穴式で、そこにイエス様の遺体を安置し、入口に大きな石を転がしてふさぎました。
 墓石には封印がされて、墓の前には兵士たちが番をしていました。

マタイの福音書27:62−66「さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。」

■墓に行く女たち

1さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。

 土曜日の日没が過ぎて「安息日が終わった」ので、3人の女の弟子たちは(この3人は十字架を最後まで見ていた女性たちでした)、香料を買い、イエス様の体に油を塗りに行こうと思いました。夜が明けて日曜日の朝です。

2そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。3彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。

 彼女たちは、墓の入口の大きな石をどうしたらよいか、何の計画もなく墓のところにやってきました。すると、大きな地震が起こりました。

マタイの福音書28:2、4「すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。……番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」

 番兵たちは逃げて行きました。番兵たちの報告から、弟子たちが盗んでいったという話が広まっていきます。

4ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。

■御使いの知らせ
 マリヤたちが墓の中に入りました。

5それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。6青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。

 墓の中に真っ白な衣をまとった青年、主の使いがいました。墓の中に座っていた主の使いが言いました。「驚いてはいけません。」復活の時に、弟子たちのだれもが持ったことは、「驚き」と「恐れ」でした。
 主の使いはイエス様がよみがえられたことを伝えました。十字架で死んだお方が確かにここに葬られたが、ここにはその遺体がない。よみがえられたと言うのです。彼女たちは復活をすぐに信じられたわけではありませんでした。いくら主の使いがそう伝えても信じることはできませんでした。
 この復活が幻ではなく事実であることを、確かにイエス様が復活なさったことを信じることができるように、弟子たちにイエス様がお会いなさろうとしたのでした。主の使いは告げました。

7ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』とそう言いなさい。」

 特にペテロの名前が告げられました。ペテロは、イエス様が十字架にかかる前に3度「知らない、自分とはかかわりがない」と言いました。弟子たちもイエス様が逮捕された時、イエス様を見捨てて逃げてしまいました。そのような弟子たちをイエス様はもう一度召し出そうとしていたのです。
 イエス様はかつてガリラヤで、弟子たちに「人間をとる漁師にしてあげよう」という約束されました。そのことをもう一度確かめるためにガリラヤに戻るのでした。
 弟子たちはイエス様に赦しを求めたいと思ったでしょう。その機会をイエス様のほうから作ってくださったのでした。

8女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

 主の使いのことばにもかかわらず、彼女たちは恐ろしかったので逃げ出してしまいました。

■マルコの福音書の追加
 マルコの福音書は、8節の「女たちは恐ろしかったから」ということばを最後に突然終わります。それ以降は、後の他の福音書を参考にして書き加えたものです。
 最初に書かれた福音書と言われているマルコの意図が、復活とは弟子たちにとってこのようなものであり、恐れでいっぱいであったと正直につづったのでこのような終わり方になったのでした。
 そのあとに書かれたマタイの福音書はこう続けています。

マタイの福音書28:8「そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。」

 それを聞いたペテロとヨハネが走って、墓まで見に行ったことがヨハネの福音書に記されています。

ヨハネの福音書20:1−3「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。」

 墓についた彼らは、確かにイエスさまの体が消えてしまったことを知りました。

9さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現された。

 マグダラのマリヤにイエス様が現れた次第は、ヨハネの福音書に詳しく書かれています。

ヨハネの福音書20:15−16「イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。」

12その後、彼らのうちのふたりがいなかのほうへ歩いていたおりに、イエスは別の姿でご自分を現された。

 これは、ルカの福音書24章にあるエマオ途上でのことで、よみがえられたイエス様が2人の弟子に現れた次第をまとめて、ここに書き加えました。

19主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。

 こうして、イエス様の十字架による救いが完成したのです。

■復活と弟子たち
 イエス様が十字架で亡くなられてから、弟子たちはユダヤの人々からの迫害を恐れていました。しかし、わずか数週間でそれが変えられ、今度はイエス様の名によって人々に福音を語り、反対する人に立ち向かっていくようになりました。弟子たちの別人のような力強い行動は、もし復活がなかったならば説明できないほどの変わりようです。
 ペテロはイエス様に赦され、立ち直ってから、大胆に多くの人に向かって、いつも同じことを語りました。「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」
 イエス様の十字架と復活は、私たちの罪が十字架によって赦され、私たちが義とされることが、私たちの目に見える形で明らかにされた出来事でした。

ローマ人への手紙4:25「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」

 イエス様は今も生きておられます。イエス様は今も生きておられ、私たちを助けていてくださいます。その復活の喜びを今日も覚えたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2010年2月21日